本のタイトル・作者
ケチじょうずは捨てじょうず [ 小笠原洋子 ]
本の目次・あらすじ
第1章 ものを溜めない日々の心がけ
第2章 ケチカロジーな暮らし
第3章 私の家にないもの
第4章 捨てたけれど忘れがたいもの
第5章 台所スリム化計画
第6章 衣類は買わずに楽しむ
感想
2021年290冊目
★★★
著者は、1949年生まれのフリー・キュレター、美術エッセイスト。
若い頃から草庵暮らしに憧れていたという方。
「ここまでは、無理かな…」という吝嗇っぷりで、すごいと思った。
でも、祖母なんかは普通にやってるよね、こういうこと。
マスクの紐を取って置いたり、きれいな包み紙もストックしてある。
ものが十分にない時代を経験しているから。
ミニマリストってこう、カッコつけてるじゃないですか。
ストイック、禅、みたいなファッション性もある。
けど、「少ないものを大切にして暮らす」って、ほんの数十年前までは当たり前のことだったんですよね。
むしろ今の「普通」の大量生産大量消費の状態が、一時的な「異常」なわけで。
著者は、一日の予算千円で生活している。
自炊だけならいけるけど、娯楽を入れるのは厳しい。
だから、お茶を水筒に入れて散歩する。
それでじゅうぶんじゃないか。
著者はほとんどゴミを出さないという。
骨も皮も実も食べる。お茶を入れたあとの茶葉も食べる。
ケチって、エコだ。
「地球にやさしい暮らし」という欺瞞に満ちた言葉で飾り立てなくても、「SDGs」なんて新しい言葉を使ってみなくても、それは当たり前で、そこに立ち返るだけ。
出来ていない、と感じた。
私はモノを買わなくはなったけど、それでもびっくりするくらいモノが家に入って来る。
ほぼ食品しか買っていないのに、家がゴミで溢れる。
プラ、プラ、プラ。
袋を洗って乾かしながら、いくつもぶら下がったプラゴミを見て怖くなる。
こんなにたくさん、私たちは一体、どうする気なんだろう。
著者が立派な箪笥が新居に入らず、上部を捨てた話。
これがある限り草庵暮らしを叶えられない…という葛藤。
心の中では「この人と別れたい」と思っていた、という表現に、「わかる…」となった。
私も立派な箪笥を持っている。
私が生まれた時に、「ベビー箪笥の代わりに一生使えるものを」と祖父母から贈られたもの。
つまり、捨てられない。
でも、好きじゃない。
大学時代にパリ風インテリアに凝り、シャビ―インテリアに憧れて、アンティークホワイトでペイント、やすりをかけて「ペンキが剥がれた風」にしました。
前よりは好きになったけど、それでもやっぱり、圧迫感が半端ない。
背丈まであるので、上にものを置くにも不便。
何より、地震で倒れてきたらと思うと怖すぎる。
「持って行きなさい」と言われたけれど、一人暮らしを始める時に実家に置いて来ました。
今は実家の箪笥部屋で使われています。
現在の我が家に箪笥はなく、プラスチックの衣装ケースを押入に入れているだけ。
空間広々。地震も怖くない。引っ越しも簡単。
たまに「家具」が欲しくなることもあるけれど、この箪笥の教訓があるので、身軽に生きていきたいからやっぱりやめておこう、と思い直す。
草庵暮らし、いいよなあ。
もし一人で暮らすなら、畳の部屋に布団とちゃぶ台。
押入に衣装ケースとハンガーラック。以上。
そんな暮らしがしたい。
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