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2022.12.17
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テーマ:読書(8559)

本のタイトル・作者



何もない空間が価値を生む AI時代の哲学 [ アイリス・チュウ ]

本の目次・あらすじ


第1章 経験する
第2章 学ぶ
第3章 働く
第4章 ネット上を生きる
第5章 AI時代の哲学

引用


人生の挑戦に直面する時、逃げないで(面對它)
困難を人生の一部と認め(接受它)
対応する方法を考えて行動に移した後は(處理它)
結果がどうであれ気にしない(放下它)

聖厳法師(法鼓山の創立者)が書いた十二文字の箴言


感想


2022年326冊目
★★★★

だいすきオードリー・タン!
この本は、「自らの体験をもとに説くネット空間を生きる99の心構え」。
と、「特別付録Q&A「東大生がオードリー・タンに聞く」」。

でも、ネット空間に限らず、人生とか世界に対する姿勢をインタビューしているので、この1冊でオードリーの考えが広く聞けてお得な感じがした。

「20 外国語を学ぶのではなく第二言語を練習する」では、「私は言語を目的としてではなく、その後に何かをするための手段として学ぶ」と仰っていた。
言語ではなく、「何かを学んだり遊んだりするために通らなければならない道」だと思っているのだそう。
道、かあ。
そこにアクセスするための方法、ということなんだろうな。
私もはやく、英語で本が読めるようになりたいなあ。

「35 プログラミングの練習は、スプレッドシートから始めてもいい」では、チューリング賞(コンピュータサイエンス界のノーベル賞)を受賞したオランダのプログラマー、エドガー・ダイクストラの言葉を紹介していた。
「プログラムをどれだけ上手に書けるかは、母国語の能力がどれだけ高いかにかかっている」。
いろんな言語の翻訳家や通訳の方々も同じことを言う。
母国語の語彙がどれだけ豊富か。理解がどれだけ深いか。
きっと人は、言葉で操れるものの外には出られないんだろう。
自分の内側にあるものを外へ出すときに。
選択肢は多いに越したことはない。

「24 教育について語るより、学習について語る方が良い」では、教育(学校が何を教えるか)ではなく学習(生徒がどのように学ぶか)に焦点をあてるべきだという。
私もそう思う。

幼い頃に読んだ『となりのトットちゃん』でトモエ学園に憧れたのは、それが子供主体の学びだったからだ。
「37 仮定の質問:一週間の学習スケジュールを自分で組めるとしたら?」に、オードリーは「毎日目がさめるまで寝て、それから自分の学びたいことを学ぶ」と答えていた。
身に付けるべきことはあるので、義務教育ではすべてを子どもに任せるのは難しい(無知の知すらないのだから)。
トモエ学園は、朝登校したら(教室は、古くなって譲り受けた電車の車両だ!)、前の黒板に「今日やること」が書いてあって、それをどれからやってもいい。
そういうことは出来ないかな。

これまでは、一人一人の学びというのは難しかったかもしれない。
でもITは、AIはそれを可能にするんじゃないか。
インターネットはあまねく情報を平らかに広めた。
教育と言う名の制度、知識と言う名の権威は瓦解した。
その後に、授けられるものとしての「教育」はもう、時代遅れなのだろう。
これも「アクセス」だな。個々人が学ぶことへのアクセスの担保。
オードリーは、教師はもはや「生徒より少し前に学ぶ(教室の中の)もう一人の学習者」なのだと言う。
そういえば「先生」という言葉は、「先に生まれた人」と書く。
ただそれだけなのかもしれない。
ならば教師は、この先、子どもたち(学習者)の牽引者ではなく、伴走者としての役割を求められるのではないかと夢想する。

私は毎朝起きて、ラジオ体操とダンス?をして、それから英語を勉強する。
楽しい。
だって好きなことだから。
毎朝目が覚めて、やりたいと思ったことを、それを楽しみに起きるようなことを、学ばないといけない。
というか、学ぶこと自体が楽しいんだよ、本当は。
それがたとえ、義務でやらなければならにことであっても、そこに喜びは絶対にあるのだ。

「41 組織に必要なのは縦の管理ではなく、平等な横のつながり」では、Socialtext社にオードリーが入社したときの就業規則(社員がみんなで作った)が紹介されていた。
休暇に関する結論は一文「Be an adult」(大人であること)だけ。
自分のためと皆のため、短期的と長期的なバランス。
それを取ることを「大人であること」と書き表した。
私これ、働くことすべてに言えると思う。
というかもう、社会全体に言えることじゃないか。
クラーク博士は、校則はただ一つ「Be gentlemen(紳士たれ)」で良いのだと言ったのだっけ?
みんな、大人になろう。紳士的であろう。
それは自己を慎み、礼節を重んじ、他者を許容することに他ならないよ。

「88 私たちは皆、お互いの生まれ変わりである」という考えも同じ。
転生というと宗教的で抵抗を覚えるけど、オードリーはそれをログインに喩えている。
自分をログアウトして、一度他の人でログインしてみる。
そしてまた自分にログインしたとしたら、その人の世界で新たに世界を見ることが出来る。
これは読書も同じだと思う。他者の靴を履く。
オードリーは、ネットは一つの大きな意識に溶け合うことだと言う。
ログインとログアウト。記憶の並列化。

また、オードリーは、「66 ネガティブな意見のほとんどは、その空間のルールに起因する」という。
だから、ネガティブなコミュニケーションに接した時は、それをコミュニティのせいではなく仕様のせいだと考える。
Facebookがダイアログボックスを真四角から角を丸くしていたのは知らなかった。
物理的な空間も同じかなあ、と思う。
教室のいじめも、職場のいざこざも。
同じ部屋に長時間同じ人間を詰め込むのがまず無理があるんだろうな…。

すごいなと思ったのは「67 個人攻撃に反応するかどうかは自分で決められる」。
オードリーは、自分に対する攻撃をアルゴリズムの出力とみなしているのだけど、そのうえで直接的な攻撃メッセージは自分の「心のマッサージ」だと思うことにしているのだそうだ。
自分の心の中に向き合えない部分があって、攻撃を受けることでなぜそれが辛いのか考えて、心の中のだるくて痛い所を見つけてマッサージしてくれて少しずつ痛みが減るのと同じだって。
つっよ!!!

でもこれで思ったのが、私は自分がどうしても「ゆるせない」と思う本を、「ゆるせない」と思いながらあえて読むことがあって、それは自分の中の凝り固まって動かない「ゆるせない」の存在を見たいから。
そこにあることにすら気付いていなかった自分のコア。
「そうそう!」と同調する本は、その周りに漂うもので、本当の本質の核は抵抗を覚えるところにある。

それを見なくては、解さなくては、私は本当に私という人間を理解できない。
隠されたもの。覆われたもの。忘れたもの。そうして自分を守ったもの。
深く沈めた核を割って、中に入っているものを見る。
それが蠱毒であるならば。
私はその正体を、見極めなくちゃならない。

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最終更新日  2022.12.17 10:52:07
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