◆楽天ブログ◆【“三者三様”《喧々諤々》《侃々諤々》】 管理人:toshi&sana&non
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MSNの産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/life/trend/081008/trd0810080156000-n1.htm介護用ロボットスーツをリース販売 2008.10.8 01:55 このニュースのトピックス:ロボットサイバーダインの「ロボットスーツHAL福祉用」 筑波大発のベンチャー企業「サイバーダイン」が開発した装着型のロボットスーツ「HAL」が10日からリース販売される。年間約500台を目標に介護施設や福祉施設向けに製造される。 HALは、筑波大の山海嘉之教授が開発したロボットスーツ。体に装着して脳から出る電気信号を皮膚の表面に付けたセンサーで読みとり、コンピューター制御で、高齢者や障害がある人の歩行を補助する。 今回販売されるのは下半身に装着する両足用と単脚用の2タイプ。介護する側が装着する全身タイプも開発中だとか。SF映画のような光景が、近い将来に介護の現場で見ることができるかも。ロボットメタルトレーナー【621172-2】
2008.10.10
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今日は日曜日ですが、、新しい歯医者さんは日曜日も診療日です。ありがたいことです。歯医者さんに限らず、病院などは、 医療サービス業と位置づけるなら、やっぱり、 土日が診療日だととても助かります。toshiは昨日で診察が終了したのですが、sanaの付き添い(?)で一緒に歯医者さんに行きました。早く終わると思いきや、、結構時間がかかりましたが、レントゲン等もしてもらい、長期戦ですが、着々と準備が進みます。歯医者さんも大注目!使ったその場で真っ白清潔の白い歯に!ホワイトキューブ 2本セット待ってる間、 「お父さんのための病気の本」のような本を読んでました。toshiも齢です。幸い、大病はしてませんが、気ヲツケネバ。
2008.08.17
トキワ荘の同志、藤子不二雄(A)氏が葬儀委員長を努め、しめやかならぬ、にこやかに、告別式が行われました。昭和30年代、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄ら、多くの明日を夢見る若いマンガ家たちが青春時代を過ごした実在のアパート“トキワ荘”での彼らの物語を、史実に基づいて描く!■トキワ荘の青春■弔辞のタモリ氏は、赤塚氏により見出された天才。確か子供の頃に、赤塚氏による「タモリ誕生物語」みたいなのを読んだのを覚えています。その衝撃たるや。まさに漫画。ギャグの世界です。タモリ氏が語った。「私が人生で初めて読む弔辞があなたのものとは……。」「今まで一言もお礼を言ったことがないが、今お礼を言います。」「私もあなたの数多い作品の一つです」タモリ以下、『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋【赤塚 不二夫(あかつか ふじお、男性、1935年9月14日 - 2008年8月2日)】日本の漫画家。『天才バカボン』『おそ松くん』などのギャグ漫画で知られている。本名は赤塚 藤雄(あかつか ふじお)。血液型A型。赤塚不二夫トキワ荘の青春 [闘病生活、そして晩年]1987年、多忙を極める中アルコール依存症に陥っていた不二夫のサポートをと前妻が勧めたことにより、眞知子と結婚。1988年、『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』がフジテレビ系列で再びテレビアニメ化。さらに1990年には『平成天才バカボン』がフジテレビ系列で、『もーれつア太郎』がテレビ朝日系列でテレビアニメ化。1994年、赤塚のアルコール依存症が回復しないことにより、長年アイデアブレーンとして赤塚を支えてきた長谷がやむなくフジオプロを脱退[10]。1997年、第26回日本漫画家協会賞文部大臣賞を受賞。1998年、『ひみつのアッコちゃん』がフジテレビ系で3度目のテレビアニメ化。同年、紫綬褒章受章。食道がんの手術を受ける[7]。1999年、『レレレの天才バカボン』がテレビ東京系でテレビアニメ化。2000年、硬膜下血腫で手術。2002年4月、検査入院中に脳内出血を起こし倒れ、一切の創作活動を休止。同年、小学館から『赤塚不二夫漫画大全集 DVD-BOX』(デビューからの作品を集めたDVD全集)が発売された。2003年、妻の尽力により青梅市に青梅赤塚不二夫会館を設立。2005年からはオンデマンド出版形式で全271巻が販売されている。2006年7月12日には、赤塚を看病してきた妻の眞知子がクモ膜下出血のため56歳で急逝。「なぎら健壱FC会報」によると2004年から意識不明のまま植物状態にあったという。2006年末に眞知子夫人の訃報を取り上げたテレビ朝日の『報道ステーション』で、赤塚が意識不明であると改めて伝えられた。2008年2月24日にはちばてつやが不二夫を見舞い、似顔絵をブログで公開した。2008年8月2日午後4時55分、肺炎のため東京都内の順天堂医院で死去した。享年74(満72歳没)。赤塚の訃報はスポーツ新聞各紙が一面で大きく取り上げた他、一般紙も一面で大きく掲載した。また、民放ばかりでなくNHKでもトップニュースで取り上げられた。漫画好きで知られる自由民主党幹事長の麻生太郎代議士は「あの種のギャグ漫画の草分け的存在で『シェー』をはじめ、よく笑った」とコメントした。また、赤塚が才能を見出し、芸能界へデビューさせたタモリは「物心両面の援助は肉親以上のものでした」と赤塚の死を悼み、感謝の言葉も載せた。また、赤塚の最初の妻であり長女りえ子の実母が、赤塚の死去の3日前の7月30日に死去していた事が後に報じられた。赤塚の葬儀では、藤子不二雄A(安孫子素雄)が葬儀委員長を務めることとなり、8月6日に通夜、翌7日に葬儀・告別式が東京都中野区内の寺で営まれた。告別式ではタモリが弔辞を読み上げた。法名は「不二院釋漫雄(ふにいんしゃくまんゆう)」。赤塚不二夫のギャグポルノ・気分を出してもう一度(DVD) ◆20%OFF!
2008.08.07
今日はとても暑い日です。2年前の今日。暑い日だったかどうか、覚えてません。tomo(母)が、大怪我後、5つ目の病院で、真っ白になって、この世に別れを告げた。死に化粧は、生前の壮絶な痛み・痺れ等との闘いとは打って変わり、とてもとても穏やかでした。 真っ白に。 そして、何もかも真っ白に。あの日のことは忘れられません。
2008.07.15
【玄関工事】が早く終わったので、sana(妻)の車に乗せられて午前中に【整形外科】に行きました。一人暮らしでは出来なかったことです。『レントゲン』を撮ってもらって診察。「骨に異常はありません。」「4番と5番の間がやや狭くなってますが、 痺れがなければ問題ありません。」「急な運動はしないように。」「太り過ぎに注意して下さい。」「お風呂は入ってもいいですが、長くつからないように。」し、しまった。昨夜、ゆっくりお風呂に入ってしまった。。後の祭り・・・ ●ロキソマリン錠60mg (熱を下げ、痛みや炎症を抑える薬) ●ノイトロピン錠 (痛みを抑える薬) ●アズクレニンS顆粒 (胃の粘膜を保護する薬) ●モーラス30 10cm×14cm (痛みと炎症を抑える貼り薬)を処方して頂きました。
2008.01.05
03/10/18(土) ■駐車場■ at 2003 10/18 19:28 編集いつも某所へ行く際の駐車場が、今日は満杯で(涙)。そのすぐ近くにも駐車場はあるけれど、有料です。1日研修のため、計算すると・・・円。っていうか、計算するまでもなく遠い遠い駐車場に停めに行きました。そして歩く歩く歩く。早く目的地に着いたお陰でよかったよかった。 03/10/19(日) ■□■緊急事態発生□■□ at 2003 10/20 11:20 編集よって、このホームページはしばらくお休みします。 -------------------------tomo(母)の突然の大事故・・・この日から、生活が一変する。この後、既に決まっていた 【BBC(びわ湖放送)】には何とか出掛けて、おまけに映ってしまったけれど。この頃のことが、走馬灯の様に甦る。思い出したくは無いけれど、、、、、、、、、、、、
2007.09.29
ずいぶん昔の今日、tomo(母)が生まれました。その頃の【写真】は、まだ見つかっていません。滋賀のとある片田舎で、7人(?)兄弟姉妹の○番目、女3人の真ん中(次女)としてこの世に産声をあげました。(情報不足です。只今、情報収集中・・・否、準備中)生まれた頃のtomo(母)は、 (ん?わからない。 記憶の断片は残っていますが、 亡くなってしまった今、 そのパズルを解くことは出来ない?)だったらしい。一年前の今日、とても申し訳ないことをしてしまった。入院中のtomo(母)・・・高熱が続く中、そしゃくや嚥下(えんげ)が急に難しくなり、「誕生日祝い」に買って来たケーキのクリームを少し食べて、あとは要らないと言った。それなのに折角だからと無理矢理、“いちご”を口に入れた。とても苦しそうで、最後には吐き出した。いつもは、無理矢理なんて、したことなかったのに、何故だか、この日、どうしても食べて欲しかった。この時点では、まさか9日後に亡くなるなんて想ってもいませんでした。それなのに、やがて訪れる死をどこかで“予感”していたのかも知れません。そう、tomo(母)への最後の【食事介助】は、“いちご”になってしまったのです。
2007.07.06
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●『サービス・ケア・アテンダント』が求められる業種*百貨店、専門店、スーパー、銀行、カウンターサービスなど*駅、鉄道、バス、タクシー、トラベル業など*レストラン、ホテル、旅館、レジャーサービス業など*病院、行政窓口、コミュニティ施設など公的サービス機関●『サービス・ケア・アテンダント』の役割*お客様、ご利用者に充分配慮したお迎え、案内、誘導、お見送り*窓口やカウンターでのお客様の状況を理解したサポート*わかりやすい説明、身体状態に合わせた接客・接遇*店舗や施設のサービスチェックなど----------------------------------ウェルフェア2007(第10回国際福祉健康産業展)シリーズ第一弾シリーズ第一弾「あらゆるお客さま・ご利用者にやさしい接客を! ~ユニバーサルサービスの実践事例とその展開方法~」の最終回です。第一弾として、あえて『ユニバーサルサービス』の実践を採り上げました。 多くの方は「何のこと?」と思われたかも知れません。サービス業の方々はもちろんのこと、高齢者、障害者、妊婦をはじめとしたあらゆる人と接する場合(それが常時でなくとも、例えば道や電車の中でなども含め)、 ◆何かしてあげたい。けれど何をどうすればいいのかわからないという人が多いのではないでしょうか? ○心(気持ち) があっても ○技術・手法(やり方) がわからない自分の親の介護の仕方についてもしかり。知らないものが知らないなりに我流で間違ったこと、間違った接し方をしてしまってたのでは、折角の気持ちが【逆効果】になってしまうこともあります。 だとしたら、そういったことを学ぶ機会を設けていくのも大事なのではないでしょうか?例えば、小学校の授業でお年寄りと接する機会を設けていたり、『高齢者の擬似体験』をしたり、『ホームヘルパー等の講習会』に参加したり、、、 過去のアドレスも記載させて頂きます。ご関心のある方は是非最初からお読み下さい。(但し、分かり難いことが多いのはご承知置き下さい。)http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706050000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706060000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706070000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706080000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706090001/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706100000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706110000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706120000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706130000/http://plaza.rakuten.co.jp/3sansya3sanyou3/diary/200706140000/
2007.06.15
●『サービス・ケア・アテンダント』の必須条件*コミュニケーション能力:円滑な人間関係を構築*介助能力:表現と技術*接遇能力:卓越した接客サービス●『サービス・ケア・アテンダント』試験概要1.『ノーマライゼーション社会におけるユニバーサルサービスの必要性』2.『ユニバーサル接客とは』3.『高齢のお客様の理解と対応方法』4.『耳の不自由なお役様の理解と対応方法』5.『車椅子を利用しているお役様の理解と対応方法』6.『目の不自由なお役様の理解と対応方法』7.『ユニバーサルサービスの実践演習』8.『筆記試験』-------------------------- toshiは、『サービス・ケア・アテンダント』検定試験そのものとは何ら関係していませんし、検定試験の受検を促すものではありません。こういったものが求められてるという『時代認識』のためにあえて転載してきました。いよいよこのシリーズも次回で最終回です。
2007.06.14
ユニバーサルサービスを担う人材を育成します『サービス・ケア・アテンダント』検定試験とは・・・ 試験実施・認定機関:社団法人 公開経営指導協会 少子高齢社会の到来や、お身体の不自由な方々の社会進出をサポートするためにユニバーサルデザインによるハード面での環境を整える動きがある中で、あらゆる接客・サービス業(流通、小売、金融、公共機関など)では、そうした方々に接する機会が増えてきています。 この『サービス・ケア・アテンダント』はノーマライゼーション社会におけるユニバーサルサービスの考え方を基に、サービスを提供するあらゆる場面において、お年寄りやお身体の不自由な方々にとどまらず困っている全ての方々へのサービスに主眼を置いています。 つまり、単なる介護技術だけではなく、コミュニケーションの手法や人的対応能力に重点を置き、マインド(お客様・ご利用者への気づきと配慮)とスキルを融合し、従来の顧客満足から、更にサービス品質のレベルアップを図るものです。 --------------------------------ノーマリゼーション 【normalization】 〔常態化の意〕 障害者に,すべての人がもつ通常の生活を送る権利を可能な限り保障することを目標に社会福祉をすすめること。デンマークの知的障害者福祉の取り組みから生まれた理念で,バンク=ミケルセンが提唱。ノーマライゼーション。 三省堂提供「デイリー 新語辞典」よりノーマライゼーション(normalization)は1960年代に北欧諸国から始まった社会福祉をめぐる社会理念の一つ。障害者と健常者とは、お互いが特別に区別されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるとする考え方。またそれに向けた運動や施策なども含まれる。 『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
2007.06.13
6)聴覚の聞こえ方に差がある方への気づき(1)聴覚に差がある方で手話のできる方は20%未満(2)筆談、空書、ジェスチャーを活用する(3)簡易筆談器や無線振動呼出器のツールを用意(4)パンフレットなどの印刷物を活用する(5)筆談は、長い文章ではなく簡潔に7)妊婦・子供連れの方への気づき(1)幼児を乗せられるカートを用意する(2)おむつ交換できるスペースをトイレに用意する(3)妊婦の方には空調、日差しなどに配慮した席を勧める(4)荷物の一時預かりや車の積み込みサポートをする
2007.06.10
2.流通・サービス業界の現状と求められるもの1)なぜバリアが多いように感じるのか・店舗オペレーション機能の認識不足・お客様とのコミュニケーション不足・スタッフ間のコミュニケーション不足2)求められる3つの対応力・共感しあえるコミュニケーション力・あたたかいホスピタリティ力・バリアを感じさせない店舗オペレーション力 キーワードは、気づき3)高齢の方への気づき(1)高齢の方に対する尊敬の念をもって接する(2)高音が聞き取り難いので、ハッキリ、ゆっくり話す(3)お客様の求めているものは何か、聞き役になる(4)カタカナ、専門用語ではなく、わかりやすく説明する(5)代金や釣り銭は口に出して確認する(6)レジでも急かさず、後ろのお客様にも配慮する
2007.06.08
4)ユニバーサルサービスとバリアフリーの違い ユニバーサルサービス バリアフリー------------------------------------------------------------対 象 すべての人 特定の人目 的 バリアをつくらない バリアを取り除く手 段 一般(品) 専用(品)コスト コスト安 コスト高領 域 デザインから接客まで 主に建築物を連想※補足説明バリアフリー - 障害者・高齢者等の社会生活弱者に対する障壁を取り除く社会施策。 http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/25901/%A5%D0%A5%EA%A5%A2%A5%D5%A5%EA%A1%BC/detail.html バリアフリー(Barrier free)とは、広義の対象者としては障害者を含む高齢者等の社会生活弱者、狭義の対象者としては障害者が社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害(障碍)や精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障害を取り除いた状態をいう。一般的には障害者が利用する上での障壁が取り除かれた状態として広く使われている。http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%D0%A5%EA%A5%A2%A5%D5%A5%EA%A1%BC&kind=jn&mode=0&base=1&row=0バリアフリー 【barrier free】 〔障壁のない意〕 建築設計において,段差や仕切りをなくすなど高齢者や障害者に配慮をすること。製品設計にも応用されている。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%E6%A5%CB%A5%D0%A1%BC%A5%B5%A5%EB%A5%C7%A5%B6%A5%A4%A5%F3&kind=jn&mode=0&base=1&row=0ユニバーサルデザイン 【universal design】 障害者・高齢者・健常者の区別なしに,すべての人が使いやすいように製品・建物・環境などをデザインすること。1974 年,アメリカのメースによって提唱された概念。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A5%E6%A5%CB%A5%D0%A1%BC%A5%B5%A5%EB%A5%B5%A1%BC%A5%D3%A5%B9&kind=jn&mode=0&base=1&row=1ユニバーサルサービス 〔(和製) universal+service〕すべての人のために提供されるサービス。地域・所得などにかかわらず利用できる電話サービスなどをいう。〔地域差に依らないサービスの場合,全国一律サービス・全国均質サービスともいわれる〕http://bizex.goo.ne.jp/it/detail.php?id=5090ユニバーサルサービス 全国どこでも一律にほぼ同じ価格や条件で利用できるサービスのこと。生活に不可欠なサービスとして、国民全般に公平かつ安定的に提供されるべきサービスを指す。国によって何がユニバーサルサービスとみなされるかは異なるが、多くの国では電気や水道、電話、郵便、放送などがこれにあたる。サービスの提供主体は国や自治体の機関であることが多いが、先進国では経済の自由化が進むとともに、事業主体が民営化されたり、事業が民間に開放される例が増えている。企業などが事業主体となる場合には、合理化や営利のために地域によってサービス内容や価格に著しい格差が生じないよう、特別な法律により規制が行なわれることが多い。日本でも、旧電電公社の民営化や郵政民営化に際し、ユニバーサルサービスの維持に関する議論が大きく注目された。 5)ユニバーサルサービスのもたらす効果・顧客満足の更なる向上・超高齢化社会での有効なサービス・ソフト面はコストがそれほどかからない・すべてのお客様に適切に対応できるサービス
2007.06.07
2)急速に進む高齢化に伴う変化と対応・2005年 50歳以上が成人人口の半数 5人に1人が高齢者(65歳以上)・2006年 人口が減少・2015年 4人に1人が高齢者(65歳以上)・2025年 3人に1人が高齢者(65歳以上) ※出典:国立人口問題研究所「日本の将来推計人口」・障害のある方の6割は高齢者(18歳以上) ※資料:厚生労働省調査3)高まるユニバーサルサービスの視点・ユニバーサルサービスとは何かすべての人々が「公平に・快適に・安全に」ご利用頂けるためにハード(施設・設備など)とソフト(接客サービスなど)共にお客様への配慮を重視して接するためのサービスあらゆる人の立場にたって、公平な情報とサービスを提供すること年齢・性別・国籍・障害の有無にかかわらず、互いの違いを認め合い、尊重し共生することそのための配慮、気づき、心配り
2007.06.06
このシリーズは、5/18(金)-20(日)にポートメッセなごや(名古屋市国際展示場)にて実施されました ウェルフェア2007(第10回国際福祉健康産業展)で得た情報(toshiが直接参加したのは5/19(土)のみ)をお伝えさせて頂くものです。参加したくでも出来なかった人達の参考にして頂ければと存じます。尚、パソコンの不具合により、入力中のデータが何度も失われてしまう事態に陥っております。それで、少しずつ、できたものからUPしていく手法を取りたいと存じます。『主題』に大きく繋がるものについては、後回しになってしまいますことをお詫び申し上げます。※『主題』との関係性であって、重要度とは関係ありません。------------------------------------------------------ 「あらゆるお客さま・ご利用者にやさしい接客を」 ユニバーサルサービスの実践事例とその展開方法 -サービス・ケア・アテンダント検定試験紹介- 公開経営指導協会 協力講師 ブランズマーケティング研究所 石井 理佳 氏 1.ユニバーサルサービスとは? 1)○×クイズ (1)車椅子マークの個室トイレは、車椅子の方以外は絶対に使ってはならない(2)杖を持っている方の杖を引っ張って誘導するのが親切(3)おむつ交換できるスペースは、女性用トイレのみに設置(4)手話ができないので、耳の聞こえ方に差がある方と話ができない(5) けがで松葉杖の青年よりも年配の方を絶対に優先する
2007.06.05
【ウェルフェア2007(第10回国際福祉健康産業展)】http://www.nagoya-trade-expo.jp/welfare/会期:5/18(金)・19(土)・20(日)会場:ポートメッセなごや(名古屋市国際展示場) 〒455-0848 名古屋市港区金城ふ頭2-2主 催:名古屋国際見本市委員会 [構成:愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ) 名古屋貿易情報センター、(財)名古屋都市産業振興公社] (社福)名古屋市総合リハビリテーション事業団(なごや福祉用具プラザ)共 催:中日新聞社、日刊自動車新聞社※感想その他は後日・・・
2007.05.19
◆笑顔でつなげる看護の心をテーマに12日大津市で【滋賀県看護大会】が開かれました。看護大会は5月12日の「看護の日」にちなんで、滋賀県看護協会が毎年開いているものです。大津市のコラボしが21で開かれた大会には、県内の病院や介護施設で看護業務に携わっている保健師や臨床看護師らが出席し永年に渡り看護業務に尽力した看護師らに賞状が手渡されました。この後、主催者を代表して滋賀県看護協会の藤井淑子会長が挨拶に立ち、 「どんな人にも平等に光を与えたナイチンゲールの心に触れ 輝くためにはどうすればいいかを考える一日にしてください」と参加者に呼びかけました。また、会場近くの大津パルコ前では血圧測定などを行う健康相談や体験コーナーなど「まちの保健室」が設けられ、訪れた買い物客らが健康についての相談を受けていました。---------------BBC(びわ湖放送)より・・・
2007.05.12
時間の合間を縫って、【警察署】へ。●過去の市内の交通事故の発生状況について、資料がないかと尋ねる。平成18年と16年の資料を頂戴する。それ以外は入手できず残念。●tomoの事故記録の閲覧可能かの問い合わせどこにあるのか?「事件」なのか、そうでないのか?ま、「事件」だったら当時から状況が一変しているでしょう。「親子」である確認のため、『免許証』を求められるが、ない。なくはない。けれど焦ってるので出てこない。この後、「調査」のために「事故現場」に行かなければならない。『保険証』を出すも、「明日は持って来て下さい」とのこと。イズレニシテモ出直しです。
2007.03.05
コメント(1)
tomoが事故後1001日生きられたのは、「この人のお陰です。」といえる人がふたりいらっしゃいます。toshiが逢うのは初めてです。あいにく【約束の時間】に雨が再び降り出し・・・(以下続く)
2007.02.28
想い付く限り、精一杯、手を尽くす。「“後悔”は、新たな“後悔”を生む」確か、大好きなゲーテの言葉だったような。「“生”か“死”か、それが『問題』ではない。当たって砕けろ!!
2007.02.23
“今日”、弁護士からアドバイス頂いたひとつ『現地調査』を“今日”から、実行!!日や時間を置いても仕方ない。幸いにも“晴れ”の今日。(続く・・・かも)
2007.02.20
天国へのメール便 です。お父さん、お母さんへの報告。間に合わなくってごめんね。近くで観れなくってごめんね。これからは、安心してそっちでゆっくりしな。これからは、toshiの心配しなくっていいから。自分のこと、一所懸命やりなよ。
2007.01.21
祝!◆◆◆◆【ラスト・ラン】 “有終の美”を飾ろうなんて想わなくっていいよ。 躓き(つまずき)ながらの人生だもんね。 だから◆◆。あなたはちっちゃくっても強く逞しい。 ◆◆らしい“走り”を見せて・・・ 見たぁ~い!! 新しい人生に、力強くバトンを渡せるように・・・心から、“無事”を祈りますm(__)m (【楽天グリーティングカード】応援(がんばれ)カード特集より) 最初の更新: October 29, 2006 07:28:22
2006.10.29
コメント(9)
【葬儀場】の支払い担当者と叔母(=営業アルバイト)が来て、葬式代の清算。会員割引等を駆使するも、やっぱり持ち出しが大きい。決して身体が丈夫とは言えないが、幸い「大病」も「大怪我」もしたことがない。平成9年に、shige(父)&tomo(母)が「大病」をしてからは殆ど風邪をひいていない。特に平成15年のtomoの「大怪我」以降、風邪は引き初めで食い止めて悪化したことは一度もなかった。風邪を引いたら、【見舞い】&【介護】に行けないから、気を張っていたからかも知れない。そのせんど(疲れ)が一気に出てしまったようだ。【相続手続き】等、まだまだやらなければいけない事が沢山あるけれど…熱を出すのは、何年、否10年ぶり位か?頭がクラクラと痛い。喉が痛いイタイいたい・・・鼻があおばなで、かみづめだ。ここはひとまず“休養”が必要なようだ。
2006.07.19
3日続けて病院に泊まり病院で過ごしたため、そろそろ休憩をと、今晩は泊まらず家に帰る。ゆっくり静養し、また明日から、、、(未完成。完成はあるかしら?)
2006.07.14
今日も病院で泊まり。今週・来週は幸いにも、外の仕事があまりない。その替わり、7月最終週~8月前半、外での仕事が殆ど。(続く)
2006.07.13
「昨夜11時頃から、急に【意識不明】になった」との知らせが、朝9時半頃にある。 だったら何故、昨夜のうちに連絡してもうらえなかったのか???昨夜9時40分頃迄、病院に行ってて、その時はよく寝ていたが、「昏睡」とは異なっていた。 だとしたら、1時間程の間に何が?どうして?異変が起きたのか?い幾つもの疑問を抱きつつ、 急いで連絡しなくてもいい状況 = 今日明日どうの、という事ではない 生死に関わりはしないと自分を無理やり納得させつつ、仕事を午前中に片付け、お昼に病院に駆けつける。連絡を頂いた時、「直ぐに駆けつけます」と言ったが、「検査結果を待ってからでないとしょうがないので、昼から来て下さい」との事だったからだ。お昼に駆けつけると、階段で丁度、主治医=医院長と会い、すぐカンファレンス室で説明を受ける。 ※後に冷静に振り返ると大いに疑問を感じる..一般の相部屋から、詰め所付けへ・・・酸素を口に・・・病院で泊まり、1~2時間おきに看に行く。(未完成も、書き直す余力は?)
2006.07.11
もっともっと沢山 思い出が欲しかったもっともっと沢山 想い出が欲しい
【びわ湖放送】(滋賀県ローカル放送局)の日曜朝8時半~9時の番組【ライフライン】で、去る6月18日、25日と2週に渡り、 「いのちを語る-あなたに逢いに-」と言うタイトルで、日野原重明氏と星野富弘氏の対談が放送られた。内容については、イズレblogで記載する予定です。多分...初日は、たまたまテレビのチャンネルを回していたら、星野富弘氏の顔が映ったので、これは、と思い途中から録画し出したが、二日目は予約録画しました。これをtomoにも、聴いて欲しい 否 観て欲しい と思い、病院に置いてあるtomoのパソコンを持ち帰り、そのパソコンのハードディスクへダビングした。何故、観て欲しい のかと言うと、tomoと同じく、けいそんで首から下が麻痺しているニモカカワラズ、絵筆を口に咥え、花々等を描かれた『詩画集』 を何冊も出版されており、そのうち何冊かは、観させて頂きましたが、その“動く姿” を観た事はなかったからです。 「21世紀まで、還暦まで生きられないだろう。」と想った命が、 今も光り輝いておられる姿を一目観て欲しいと。いたずらに“励まし”の材料とするのではなく、輝いている人の、見えない心の中、想い、命について、出逢いについて語っておられるからこそ。今は未だ、観られないかも知れない。けれど、きっと将来。きっと近い将来のために――
2006.07.08
今日も朝から38度台の熱が。夜半には落ち着くもののその繰り返し。相変わらず、意味不明のことを言ったり言わなかったり。下がらない熱・熱・熱…リハビリも自分からは、決して休んだ事がなく、「休みにしましょう」と医師やPT、OTの先生がおっしゃっても今までなら「いや、やりたい。やって。」と言ってたのに、「休みにしましょう。」の言葉に直ぐに同意してしまっているようで。上がらない熱意(モチベーション)…toshiが「今日は何の日や?」と訊いても、答えが返って来ない。古い時事ネタを「今日」の事として話す。toshi「今日は、おかやんの誕生日ちゃうん?」tomo 「もう過ぎた。」toshi「今日は、おかやんの誕生日やろ?」tomo 「aki(tomoの次男、夕方見舞い&祝いに来ていた)もそんな事云うとった。」toshi「今日は何日や?」tomo 「9日や。」toshi「おかやん、熱出して寝てばっかりやから、日を勘違いしてるなぁ。そらしゃぁないわ。 今日は、7月6日や、おかやんの誕生日や。おめでとう。」」tomo 「そうやったなぁ、おおきにな。」toshi「お誕生日おめでとう。」tomo 「ありがとお。」toshi「幾つになったんや?」tomo 「さぁ、忘れた。思い出せん。」toshi「そやな、〇〇歳になったんちゃうんか?」tomo 「そやったかいな。そやったな。」toshi「歳とったら、数えたぁないわな。」 (以下続く)【学習ポイント】一時的に(と信じてる)おかしくなっている(=【認知症】の初期症状のような状況)場合、ともすれば、周囲(家族、身内)は、従来の姿とのギャップに驚き、落胆し、受け入れられず、ついつい、否定したり、非難したり、励ましたりしてしまいがちですが、これはタブーでしょう。可能な限り、耳を傾けて 本人の話を根気強く粘り強く聴き、間違いを指摘したり、訂正するのではなく、上手に、気付いてもらう、思い出してもらうようにするのが良いのではないかと想っています。晩御飯の記録を見ると、“0”と記されていた。好ましくない状況ですが、これ幸い、 『苺(イチゴ)のロールケーキ』の苺(イチゴ)を2切れ、ケーキを一口半、何とか口にしてくれました。(追伸)リーダー格の看護師さんに、気になる問題をお話しし、少しは気分が和らぎました。
2006.07.06
只今準備中・・・決算提出期限が迫っている。伝票類が見つからない。取り敢えず、通帳だけでもと税理士事務所へ。他の書類がないと×ということで、、、、過日に入ったレストラン。「ドリンクバー」のサービス券をもらっていたが、その【利用期限】が、6/30。についての話。
2006.06.29
toshiが朝、とある目的で、屈(かが)んだ姿勢から立ち上がる姿勢に移行した際、不吉な音が、、、ピシッ こういうケースでは、動かずじっと安静を保つのが好ましい。けれど、そういう訳にもいかず、屈んで立ってを繰り返さざるを得ず、、、横になった時点では、時すでに遅し。 思いっきし、痛い。tomoは日常、食後のクスリを飲んだ後、暫くしてクスリが効き始めてからの時間を除き、いつもかなりの痛みを感じながら、時間を、一日を過ごしていることを思うと、たいした事ない筈ですが、 痛い、思いっきし。可能な限り、屈むことなく、、、可能な限り、横になり、、、1週間は痛みが続くだろうと想われ、、、木、金、月、火は「外回り」で、よくなるどころか悪化するような、、、【介護】に携わるものの陥りやすい病の筆頭である【腰痛】 にやられてしまいました。日頃より気をつけてはいるものの、腰になるべく負担がかからないようにしているつもりですが、、、病院行きもちょっと間、お休みさせて頂きます(大泣)。ブログの更新も益々休みがちになります(大泣)。
2006.06.27
tomoは平成15年10月19日、自転車 で県道を走行中、歩道と側溝の間に柵・蓋等がなく、側溝に転落し重傷(頸髄損傷:C1・2の損傷)を負いました。この事については、イズレ詳しく書きます。【闘病記】 の出発点であり、tomoの、そして周囲の人生を大きく変えてしまった出来事だからです。交通事故による重傷――。損害保険に加入していると、“加害者”が居られると、少なくとも「金銭面」では随分救われます。しかしながら、tomoの場合、自転車 による事故で無保険(※現在は、自転車の損害保険も充実しつつあります。)であり、“加害者”と言う名の相手(クルマ等)がありません。事故現場の近所の方に聴いたところ、 ・tomo自身は、事故に遭遇するまでとても元気だった。 ・この場所は、過去にも転落された人が複数おられる ・議員さんを通じて、改善願いを出された事もある ・事故後、この場所一帯に“柵”が設けられた事等により、県に管理者としての責任が何がしかはあるだろうと想っています。通常、こういったケースでは、被害者自身の過失割合を勘案し、『過失相殺』される事もあります。即ち、8:2とか5:5とかで、損害総額×(1-過失割合)=補償額のように算出されます。tomoやtoshiが想うに、tomoに全く責任がなかったとは言えないかも知れないけれど、100%って事はないだろうと想っています。むしろ県の側に100%ではないにしろ重大な過失があったと想っています。(豆知識:通常の交通事故の場合、どちらかに100%過失があると言う事は殆んどないそうな。)しかし、この『国家賠償法』については、明らかに目に見える瑕疵(例:天変地異、アクシデント等により通から逸脱した状態になったものをそのまま放置していた。)でない場合、非常に難しい。手間暇かかる。その割りに、請求額とは比べものにならない位小額(ないしは責任なしで0円)で決着されることもある。『パンドラの箱』を空ける様なものかも知れない。そんなこんなで、平成16年に一度、事故現場近くに在住の方に、弁護士を紹介頂いた。その弁護士が、丁度事故現場近くに用事で来られた際に、現場を観て訴訟の際に勝つ“可能性”についてを教えて頂いた。「可能性はなくはない。お金のためだけでなく、県に責任を問い掛けるのであれば……」それを聴いて、半ば諦めていた。仮に幾ばくかのお金を得たとしても、それによって、時間や心を奪われてしまい、そちらのマイナスの方が大きい、と想ったからです。しかし、今回、toshiの関与先の取締役から『国家賠償法』を得意とする弁護士の紹介を受ける事になった。これも何かの“縁” だ。結果はどうあれ先ずは直接会って話しをする事に。弁護士もそれぞれに得意分野があると想われますが、現在では公表されている情報は限られ、何らかの繋がりがないとそれが把握できないのが現状です。な訳で、幸いにも『国家賠償法』を数多く扱っておられるであろう弁護士を紹介してもらえるのは非常に有難いことです。結果が「更に前へ!」であった場合は勿論、例えそうでなくともキチンと諦めがつくだろう。ナニハトモアレ、再出発です。
2006.06.23
朝、少しの間、晴れていた。けれど、お昼を待たずして降り出した雨。午後からは止んだり降ったり 不協和音のリフレイン。夜が深まると共に激しく泣き出した雨。更にうめきだした雨。健康な人でも体調を壊しやすい時季。最悪のコンディションだけれど、今再び、復活を待つ。じめじめした気持ちを吹き払いたい。♪少しだけ泪を散らして ♪折からの風邪(風)に少し 心の代わりに髪揺らして ♪梅雨のアトサキのトパーズ色の風 ♪紫陽花 があざやかに色彩(いろ)を変えていく ♪幾つモノ 水溜りを残して ♪梅雨が駆け抜けてしまえば ♪君の好きなナツが来ます ♪蝉時雨 ♪小夜曲 ♪帰っておいで ♪愛(夢)は必ず叶えられると 信じてる ※タイトルや詞にピンと来たあなたは、間違いなく重度のまっさんファンです(笑)
2006.06.08
tomoの傍で、tomoの話を聴き、リクエストに応えていた。毎晩10時前迄――。それが災いしてしまったのか、toshiも咳が出始めた。 “最悪のシナリオ” に、また一歩近付いてしまった。マスクをする等、も少し「うつらない方法」を考えるべきだった。――― と言っても、後の祭り。今日は病院へは行かず、風邪を治すことに専念した。tomoの妹が「病院に行って来た」と家に寄ってくれた。状況を聞くと、「死にかけのようやった」と。殆んど改善されていない様子。来週から「梅雨入り」 の可能性もある。健康な人でも体調を壊しやすい時期。 益々気懸かり。ここは我慢のしどころだ。 心の、体の、快晴 を願うばかり。 ♪そこにはただ 風邪が 吹いているだけ ♪あの素晴らしい日々に、もう一度 ♪戻りたい戻れない あなたの元へ
2006.06.03
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誠に誠に勝手ながら・・・「日記」という場を活用して伝えたいけど、時間的・物理的な制約等により伝えられずになっている事柄が数多くあります。その大半が未入力のままになっています。走り書きのメモがあるのはまだましな方です。そのうち、どうしても伝えたい事は、何れゆっくりとお伝えして行こうと想います。「日記」のコメント、多くの方から頂戴し、とても歓んでいます。そのレス(コメントのコメント)が、まだ出来てないのも増えつつあります。これについては、(一部、日記のテーマとかけ離れているものを除き、)日を改めて、必ずお返しさせて頂きます。「掲示板」に書き込み頂いた、大勢の方、そのレスをする自信が全くありません。4/28~5/03の期間中に頂いた方、保存しておらず消えてしまったため、レスが出来ません m(__)m m(__)m該当期間に関わらず、恐らく100件以上、レスなし状態になってしまっています。誠に申し訳ございません。レスの期待はしないで頂けると幸いですm(__)m * * * * * *一つ前の「日記」でご紹介しました、『ウェルフェア2006』に明日、明後日、一般参加します。名古屋で宿泊するため、インターネットは日中ノーアクセスになります。ご了承下さいませ。それではまた、来週、お会いしましょう。
2006.05.19
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【開催趣旨】 少子高齢化が進む中で、福祉用具など福祉・健康にかかわる製品・サービスなどを広く紹介し、 新しい産業分野である福祉・健康産業の振興を図るとともに市民生活の向上に資することを目的に開催します。【開催期間】平成18年(2006年)5月19日(金)~5月21日(日) 3日間【開場時間】 午前10:00~午後5:00 【会 場】 ポートメッセなごや(名古屋市国際展示場)第2・第3展示場 他 〒455-0848 名古屋市港区金城ふ頭2丁目2番地 TEL052-398-1771 FAX052-398-1785 【主 催】 名古屋国際見本市委員会【構 成】 愛知県、名古屋市、名古屋商工会議所、日本貿易振興機構(ジェトロ)名古屋貿易情報センター、(財)名古屋都市産業振興公社 (社福)名古屋市総合リハビリテーション事業団(なごや福祉用具プラザ) 【共 催】 日刊自動車新聞社、中日新聞社【出展内容】 福祉用具及び健康関連製品/福祉・医療施設用設備・機器/バリアフリー住宅設備・機器/ユニバーサルデザイン関連製品/福祉、健康関連サービス 【出展規模】 138社・団体 483小間 展示面積13,500m2 【併催催事】 講演会・シンポジウム・出展者ワークショップ・主催者企画展示等を予定 【入 場 料】 無料 【来場者数】 80,000人(予定)
気持ちに余裕がなく、病院には行けず。行けないと、余計に、病院での様子が気になり、、、時間が無駄に過ぎてしまう。この辺りが、大きな弱点で(小笑&大泣)。気持ちの切り替え、頭の切り替えがスムーズにできるようになりたい。スイッチが入るのが遅く、一旦入ると猛チャージ。決して好ましい事ではない。
2006.05.17
母(tomo)の長男(toshi)が右腕を、次男(aki)が左腕をひたすらマッサージする。曲げたり伸ばしたり。上げたり下げたり。至れり尽くせり。tomoはとても満足そうな穏やかなほっとした表情だ。akiは、サービス業のため日曜の今日、仕事を終えて病院に来てくれた。「もうお店のカーネーションは元気がなかった」からと、プリンと苺のショートケーキを持って。tomoは、プリンを美味しそうに食べ、toshiにショートケーキを食べるよう勧めた。tomoは、akiが帰った後、toshiに告げた。 「来てくれるとは思っていた。」 「akiは、親が喜ぶことがどんなことかよく知っている。」いつの頃からか、毎年、akiは『母の日』に合わせてプレゼント を持参するようになった。「親に心配かけるのが親孝行だ」と言って、akiは子供の頃から随分親に心配をかけた。そして、今も心配をかけている。tomoは「akiはどうしとぉる?」「akiはどうしとぉる?」と、toshiが見舞いに来る度に問い掛けた。とても親孝行な息子だ。「便りがないのがいい便りだ」と言って、akiは久し振りに病院に訪れた。「経営計画書を持っていかないのは、必要なくなったからや」と言った。toshiからakiに、宿題(=経営計画書の作成)を出していた。「会社を興したい」と言っていた。安易に経営できる時代じゃない。toshiはう~んと難しい「経営計画書」のサンプル(事例)とフォーマット(様式)を宿題にした。諦めるように(笑)。このことがtomoを一番安心させた。(蛇足)toshiとakiは子供の頃、仲がよい方ではなかった。 akiは幼い頃に難病にかかり、京都の総合病院でずっと入院していた。tomoはずっと付き添っていた。 そのことが、子供のtoshiに影響したのかも知れない。
2006.05.14
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“不幸”は突然やってくる。そして、時に一度に、或いは同時期に続いてやってくる。平成9年がまさにそんな年回りだった。tomoが胃癌に、shige(tomoの夫)が慢性腎不全に。その後も様々な不幸が‘我が家’を襲った。昨年、平成17年も身近な死が相次いだ。よく年始めに不幸があるとその年は多くなる、と言われる。4月にshige、5月、6月に身内がなくなり、7月ようやく途切れてやれやれと思ったら、8月にも。お盆も葬式に。そんな訳で悲しみも募り募って、お財布の中身もどんどん寂しくなっていった。こんなだから、“不幸は続く”ことを身をもってtomo&toshiは体験している。tomoとは一回り若い妹がいる。tomoにとっては、toshi同様、身近な“見舞い&介護者”として斬って離せない関係にある。その妹の家族が今年“大当たり”を迎えているようだ。妹のご主人が「脳出血」で倒れた。次男が内臓疾患で入院・手術を行った。いずれも、“幸い”なことに、大事には至っていない。日頃から、tomoもtoshiも「気をつけてや」を繰り返している。しかし、自動車対自動車の事故に遭遇。自動車はお釈迦になったが“幸い”相手にも自分にも怪我はなかった。“幸いにも大事に至っていない”これだけが救いだけれど、“不幸”はいつでもスタンバイ状態にあるようだ。気をつけよう 気をつけよう 意識し過ぎも良くないけれど気をつけよう 気をつけよう これ以上大きな“事件”が起きぬよう。心から願っています。
2006.05.09
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tomoは現在、PT(理学療法)、OT(作業療法)のリハビリを1日おきに受けています。+火曜にはマッサージもしてもらっています。リハビリは土曜・日曜もある替わりに、木曜、祭日は休みです。GW、即ち祭日が続くとリハビリも続けて休みになります。 tomoはとてもリハビリ好きです。毎日でも受けたい位です。 最もリハビリを受けていたのは、「前の前の前の病院」に入院していた時で、この頃は、 月曜から金曜まで毎日PT(理学療法)、OT(作業療法)の両方、それぞれ30分~1時間。 それに加え、火曜・金曜は朝から夕方まで【特別授業】を受けていました。 ……これらについては、改めて記します。リハビリが休みの日は、可能な限りtoshi(子)による“リハビリモドキ”が実施されます。とは言うもののなかなか時間がとれず、 ◆手足のマッサージ、曲げ伸ばし程度に終わってしまう事も多いのですが。久し振りに、本格的に“リハビリモドキ”を実施しました。“リハビリモドキ”と言っても、先に紹介した「前の前の前の病院」でtoshiはみっちりと、 ◆PT(理学療法)、OT(作業療法)、【特別授業】を見させて頂き、家族が実施するやり方まである程度教えて頂きました。「前の前の前の病院」は退院後、家族がどのように支えるのか・協力するのかを勉強させて頂ける病院でした。もちろん、tomoの状態・状況に応じて内容等は変えていかなければならないのですが。本格的な“リハビリモドキ”…夕食・歯磨き後、車椅子からベッドへ移乗する際、通常はそのまま横になってしまうのですが、一旦ベッドに座りました。残念ながら支えなしで座ることはできませんが、だから座る練習は不要なのではなく、だからこそ座る練習が必要なのです。toshiが横に並んで座り、肩を持ちます。今日のところはシッカリと。その後、tomoの足と足にtoshiの片足を挟み、スタンド・アップです。もちろん、両脇を支えてですが。最初は不安だったので、看護師さんに側についててもらいました。2回目は1対1でOKでした。「1・2・3・・・20」今日のところは20迄数えて「ハイ終了」。意外や意外。座ることも立つこともできました。驚きです。今の病院でこの“リハビリモドキ”は初めてではないでしょうか。ずっとやってなかったので、立てるとは想いませんでした。立っても膝がガクガクで、すぐにtomoがネをあげるのでは・・・今回の狙いは、立つことではなく、現状レベルを確かめることであって、それを踏まえたうえで、これからどうしていくか“リハビリモドキ”のプランニング(計画づくり)の参考にしようと想っただけだったのです。自分で「食事」するための補装具の調整がなかなか進まず、ちょっと、否かなり弱気になっていたtomoに、ちょっと目先を変えてみよう、ということで。考えてみれば、「座位・立位」が全くダメだったら余計に落ち込ませたかも知れないのに・・・結果オーライ。これでGWの『リハビリ計画』はより前向きなものになりそうだ。
2006.04.20