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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2007年11月10日
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カテゴリ:神秘体験空間
 あるHPから転載

 三千年紀初頭(AD2000年)のアーリマンの受肉

 オリフィエルの時代の暗さ、悲惨さ、残酷さが「どれほど深刻なものになるか」は、三干年紀初頭に受肉してくるアーリマンに対して、人智学運動がどこまで意識的に対決しながら、前進し、人類がアーリマンに屈伏・拝跪していくのを防ぐことができたかによって、変わってくる。

 「ミカエルは、アーリマンの龍を足下に踏みつけている」。

 オリフィエルの時代には深刻さが増強するとはいえ、オリフィエルの時代に戦い抜かれるべき戦いは、すでに今、このミカエルの時代にはじまっている、ということをはっきりと意識化しておく必要がある。

 アーリマンは受肉してくる(西洋のある大物;私はロックフェラー家だと睨んでいる)。アーリマンの受肉は、必然的で不可避なことである。大切なのは、「受肉してくるアーリマンは、何をしようとしているのか」を見抜くこと(認識すること)である。

 「受肉してくるアーリマンが何をしようとしているのか」は、受肉したアーリマンが勝利する為の準備として行っていることを見ていくと、かなりのことがわかってくる。具体的な詳細は、シュタイナーの『悪の秘儀』(イザラ書房)を参照。

 ここでは、身近な具体例として、その一端をなしている超テクノロジーの問題をとりあげる。

 NHKスペシャル「世紀を越えて」や「サイエンス・アイ・スペシャル」などをご覧になっている人は、90年代に様々なテクノロジーが凄まじい勢いで開発され、社会的に実用化されつつあることを知って、驚異と同時に脅威を感じているのではないだろうか。

 日本政府が遅れを取り戻そうと躍起になっているインフォメーション・テクノロジーやバイオ・テクノロジー、ナノ・テクノロジー、オプト・テクノロジー、ロボット工学等の開発と研究者たちによって夢みられている未来予想像には、驚きの目を見張らされる。

 「臓器移植が更に簡単に行えるようになり、人工臓器の開発が更に進めば、悪くなった臓器を次々に新品の臓器に取り換えていけるようになる。そうすれば、人間は、長年の夢であった不老長寿を実現できる。肉体を不死にして生き続けられるようになるかもしれない」と嬉しそうに語る研究者。

 「すでに外科治療は、内視鏡手術の実用化まできた。ナノ・テクノロジーの開発が進んで医療器具が作られるようになれば、細胞1つ、1つを治療対象にしていくことができる。そうすれば、癌などの治療は、飛躍的に進歩する」と期待を満面に浮かべる研究者。

 「オプト・テクノロジーの研究の急速な進歩によって、太陽光発電の効率は飛躍的に高くなってきている。石油を燃やす電力供給は、もうすぐ終わるだろう」と予測を語る(「これで、環境問題は解決される」と胸を張る)研究者。

 「バーチャル・リアリティーの精度と解像度がもっと高くなれば、ヨガの修行者や臨死体験者が見たと語る死後の世界をバーチャル・リアリティで鮮やかに体験することもできるようになるだろう。その為には、バイオ・コンピュータが必要だと思いますけど」と語る研究者。その他、その他。

 これらの中でも極めつけは、K・エリック・ドレックスラーをリーダーとして開発されているナノ・テクノロジーの1つ、「細胞マシン」である。これは、人間の細胞のなかで蛋白質が行っていることを人工的に再現して、「物体を一度原子に戻し、原子を組み立ててあらゆるモノを作り出す」機械の開発である。

 「網胞マシンというのは、石ころでもゴミでも何でもいい。それらを一度原子に戻し、その原子を設計図どおりに組み立てていって、クルマでも、テレビでも、家具でも、何でもお望みどおりのモノを作りだせるナノ・マシンです。だから、細胞マシンが完成すれば、人間はこれまでの労働からまったく開放されることになります。早ければ2015年までに、遅くとも2050年までには、完成できると確信しています」と語られている(『ナノの楽園』工作舎、参照)。

 このミクロを超えたナノのレベルで進行している様々な超テクノロジーの開発が目指しているのは、何なのか。簡潔に言えば、生(労働)の苦・病の苦・老の苦・死の苦からの開放である。

 「生・病・老・死は苦である」とは、地上に生きて仏陀が発見した地上の真理でした。「夢幻[マーヤー]であるこの地上の世界において、唯1つ真の現実であるものがある。それが死なのです」(シュタイナー「霊的観点から見た宇宙の進化」)から。

 だけど今、アーリマンは、人間を「生・病・老・死の苦」から開放し、地上を「生・病・老・死の苦のない楽園」にしようとしている、ということができる。そして、この「楽園」が、まさに今、この地上に実現される時が近づきつつある。

 けれど、その「楽園」は、抽象的な概念と感覚的イメージによって再現された人工的現実[バーチャル・リアリティー]の日常世界化であり、「精神的魂的生命が死体化された死の世界」であり、精神的、魂的には虚無の空間に過ぎない。

 「アーリマンは、人間を地上の世界に閉じ込めようとしている」という言葉が、このような形で地上の現実になろうとしている。仮に、研究者が語っていたように「不老長寿が実現される」なら、人間は死の時を引き延ばし、そのため死後の世界で、地上で成し遂げた成長に見合った神々の叡智を受け取る機会がなくなってしまう(最後の審判を受けないので、宇宙進化から除外される)。

 「ほとんどの病気が、ほとんど苦痛のない細胞1つ、1つの治療によって治せるようになる」としたなら、過去生における罪・過ちによって不完全になった魂を、カルマの力によってもたらされる苦しみ・痛みによって完全なものに浄化していく機会がなくなってしまう。

 「生・病・老・死の苦がない」とは、カルマの働きが妨害・阻止されることであり、魂は頽廃・腐敗を深めて不完全になっていくばかりになる、ということである。

 「アーリマンは、地上を生・病・老・死の苦のない楽園にしようとしている」と聞いても、50年代~80年代にかけて様々に語られてきたサイエンス・ジャーナリストの未来予想に幻滅と失望を味わされてきた人は、信用しないかもしれないが、ここまで紹介してきたのは、地下(霊界でいう地獄界)にあるアーリマンの学院で教育されて地上に受肉してきた人間が、受肉してくるアーリマンの勝利の準備の為に行っていることにすぎない。

 アーリマンそのものは、これらの超テクノロジーの開発を踏まえながら、もっと凄いことをやろうとしている。それを知れば、「アーリマンは、地上の楽園をつくろうとしている」という言葉が、現実味を帯びてくるだろう。

 地上の人間に受肉したアーリマンが、善意から人間に教えたがっているのは「ゴンディシャプールの三つの知恵」である。

 ゴンディシャプール(アラビアの科学として有名)の三つの知恵の第一は、誕生と死の秘密の開示である。第二は、真の精神医学、予防医学である。第三は、エーテル体の振動を機械に移して機械を動かす力にしていく律動学である。

 ここで注意すべきなのは、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授と実用化には、多くの人間がエーテル的霊視をおこなえるようになり、エーテル体の力を恣意的に操れるようになる、ということが前提になっていることである。

 アーリマンは、アーリマンが地上に設立する学院で壮大な魔術を行い、自我・魂が、それに相応しい成長・成熟を遂げていない人間に、エーテル的霊視力を与え、エーテル体の超感覚的な力を、地上的・肉体的・感覚的な欲望の実現・享受のために使うように唆そうとしている。

 これについて、シュタイナーは以下のように語っている。

 「正しい時期にアーリマンが西欧世界に受肉するならば、アーリマンは巨大な秘儀の学校を設立するだろう。この秘儀の学校では極めて壮大な魔術が行われ、それ以前では、苦労により獲得できた、あらゆる技術が、人類の上に注ぎこまれることになる。

 ここで、『地上に降りてくるアーリマンが一種の悪魔のような姿をして、人間に可能な限りの悪を働く』等という俗物的な考え方をしてはならない。それは間違いである。「精神科学について何も知りたくない」と言う不精な人たちは皆、アーリマンの魔力に負けてしまうだろう。

 というのも、アーリマンは壮大な方法で、魔術によって非常に多くの人間を霊視者にすることができるからである。アーリマンは個々の人間を恐ろしいほど霊視的にする。しかし、どのように霊視的になるかは、個々の人間で全く異なっている。

(「アーリマンが受肉すると何が起こるか」松浦賢訳『悪の秘儀』イザラ書房p201~202)

 アーリマンの壮大な魔術の力によって人間が霊視者になり、エーテル体の超感覚的な力を恣意的に操れるようになり、ゴンディシャプールの三つの知恵を教授され、超感覚的な力を地上的・肉体的・感覚的な欲望の実現と享受のために使うように唆されるとしたならば、「生・病・老・死の苦のない楽園」は本当に地上に実現されると考えられる。

 オリフィエルの時代のあの深刻な暗さ、悲惨さ、残酷さは、人智学(精神科学)を学ぶことを拒否した人たちが、アーリマンに負けて、「生・病・老・死の苦のない楽園」の実現を歓迎し、気持ちよく、楽しく、享楽的に生きてしまったことの結果である。だからこそ、「オリフィエルは怒りの大天使となって、人間を強引に浄化する」のである。

 アーリマンの受肉、そして、ゴンディシャプールの三つの知恵の教授に対して、人智学運動はいかに対決し、何を為すべきか。

 ゴンディシャプールの三つの知恵の第一の誕生と死の秘密の開示に対しては、人間は、実際にアーリマンやルシファーと意識的に対決できるようにならなければならない、ということである(キリストのように受難死を受け入れること)。

 第二の真の精神的医学の開示に対しては、人間は、目に見えないものに対する絶対的な道徳意識を育成していかなくてはならない(霊性の獲得)。

 そして、第三の律動学の開示に対しては、人間は、完全にエゴイズムを克服した社会秩序を人類の極めて広い範囲に生じさせていかなくてはならない(他者の不幸の基に自らの幸福を追求しないことで、他者の幸福の基に、自らの幸福を追求すること)。

 これらは、ミカエルの時代のミカエルと人智学運動の課題と使命そのものである(白い龍に乗ること。龍の使い手になること)。

 アーリマンの受肉が人類に突きつけているのは、人智学運動を「いわゆるマイ・ペースで、自分の趣向に合った形で」やっていくのではなく、人智学運動の世界史的な使命を自覚して引き受け、受肉してくるアーリマンとの意識的な対決を自分の内なる戦いとして戦い抜きながら、残された時間・限られた時間の切迫性を目的意識性の強化に転化しつつ前進していかなくてはならない、ということである。

 ここまできて、やっと、「ミカエルの考え」とは何かという問いに、1つの答えを出すことができる。簡潔に、一言で語れば、

 「ミカエルの考え」とは、「自由になった人間よ、私に従い、キリストとの深い結びつきをもって、アーリマン領界から脱け出る道を見出せ!」ということである。その道を、ミカエルは指し示している。





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Last updated  2007年11月10日 11時39分29秒
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