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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2008年03月20日
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カテゴリ:よもや話
 ■機(気)は感ずべきもの

 質問;「機(気)というものは、言葉にできないものでしょうが、悟る秘訣などあるのでしょうか?」

 海舟先生曰く;「機(気)は感ずべきもので、言葉にできず、教えることのできないものです。かつて、(横井)小楠の事を、村田(氏寿)から聞いていたから、(小楠に)長崎ではじめて会って感服したから、しばしば、小楠の意見を聞いたが、いつでも、次のように伝言してきた。

 『よく勝さんに言ってください、『今日はこのように思うが、(明日になったら、また違う意見が生まれますから、)明日のことはわかりませんよ』』と。

 それで、益々感服したよ。

 小楠は、太鼓もち(男芸者)の親方のような人で、言う事が奇想天外だった。維新の時に、大久保(利通)でさえ、次のように言っていた。

 『小楠を呼んでみたが、(こちらの)見込み違いだった』と。

 大抵の人には、理解できなかった。しかし、非常に優れた理解力のある人で、途方もなく聡明だった。

 (海舟が)アメリカから帰った時、色々と、アメリカの事を話すと、一を聞いて十を悟るという感じだった。

 (小楠は)『ははぁ、尭舜(古代中国の皇帝で、孔子が理想とした政治家)の政治ですな』と言ったよ。

 西郷(南洲)は無口だし、小楠はよく話したよ。それで、小楠の説を西郷が行ったらと思って、幕府に薦めたところが、その頃、西郷は島に流されるし、小楠は、無腰で、茶屋から逃げて、藩で、閉門(蟄居)をくってる時で、勝は途方もない事を言うということで、叱られたよ。」

 質問「小楠先生が、(松平)春嶽公に用いられた時、もっと業績を残せなかったのでしょうか?」

 海舟先生曰く;「とても、無理だった。」

 (注;海舟は、いかに小楠でも、機(気)が熟さないと仕事はできないといいたいようである。どんなに才能があっても、周囲の援助や支援、時期や機会が、一致しなければ、つまり条件が整わないと、大事は為せないということを言いたいのである。
 つまり、機(気)が肝心であると。だから、日頃から機(気)を感じなければいけないと言いたいのであろう。機(気)を感じる達人には、小楠のように日頃、遊んでいてもわかるのである。)

 質問;「西郷(南洲)先生は、小楠先生に会わなかったのですか?」

 海舟先生曰く;「会いません。又、説く必要もなかっただろう。なんせ、小楠は、毎日、芸者をあげて遊んで、太鼓持ち(男芸者)などと1日話している。人に会うのでも、1日に1人や2人に会うと、もう疲れたなどと言って会わない。しかし、植木屋だの、肴屋などと、1日話しても飽きさせなかったが、春嶽公の時でも、内閣に出仕しても、一々政治を議するなどは、煩わしいといって、しなかっただろう。だから、善い弟子もいない。所詮、人から理解されるような人じゃなかったよ。」

 質問;「小楠先生は、天性の素質が豊かにみえますが、随分と鍛錬なさったのでしょうか?」

 海舟先生曰く;「それは、それは、大変鍛錬したようで、地方を廻った時の事やら、色々話をしてくれたよ」

 質問;「胆力はあった方でしょうか?」

 海舟先生曰く;「あれだけ智慧があれば、胆力なんか必要なかろうよ。

 (島津)斉彬は、偉大な人だった。西郷(南洲)の事は、安政の頃に聞きました。一度、お庭を一緒に歩いている時に、二つの大事を教えてくれた。

 人を用いることは急いてはいけない。

 一事業というものは、十年たたぬと、とりとめのつかぬものである。

 ということだよ。どうだい、私の言葉でいえば、以上のことだね。」 





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Last updated  2008年03月20日 14時16分03秒
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