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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年02月28日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 八切止夫作品集を読むと、日本の歴史の通説が誤魔化しや虚飾ばかりであることに気づかされる。まるで現代の粉飾決算のようである。

 前回は、桶狭間の戦いが実は裏切りだったことを、八切止夫作品集から紹介した。だから信長は義元を裏切って謀反したわけだが、信長も光秀の部下(斉藤内蔵介)に裏切られ、本能寺で爆殺されるから、自業自得といえる。家康も天麩羅があたって死んだというが、因果を考えれば、恐らく国松の母の江の手のもの(織田の残党)に暗殺されたのだろう。

 暗殺すれば、暗殺されることは、明治維新でも同じである。

 歴史を調べれば、自分がしたことが自分にかえってくることがよくわかる。だから、虚飾や粉飾をしようが、いずれ露見して、全ての責任を負うことになるわけだ。権威に阿って虚飾や粉飾をする歴史家というのは罰当たりである。

 さて、八切止夫作品集を読むと、通説がいかにいい加減なのかがよくわかる。 前回紹介した桶狭間の戦いを、明治の軍部が、大国ロシアと戦うための奇襲戦法としておおいに宣伝したというのがあったが、日露戦争をみても、奇襲といわれるような戦いはなく、しかも桶狭間の戦いすらも調べていた形跡はないから、愚の骨頂といわざるを得ない。

 大体地政学的に当時の義元と信長との位置関係からいっても首を傾げざるを得ないし、ロシア皇帝が最前線に出てこない限り、奇襲などできるわけがない。ただ奇襲戦法という言葉だけが一人歩きし、戦略、戦術も全くなかったことがわかる。

 逆に太平洋戦争後半に、ソ連が急に攻め込んできたから、全くアベコベでやられている始末である。このように歴史を調べてみると、日本人は馬鹿じゃないのかと思わされることばかりである。粉飾や虚飾ばかりやるから、それに洗脳されて真実がみえてこなくなり、敵に逆にやられてしまうわけだ。

 真珠湾攻撃を奇襲という輩もいるが、敵の大将の首か、領土がとれなきゃ奇襲でもなんでもなく、単なる暴発で農民一揆と同じだろう。

 このように、日本の歴史観には虚飾や粉飾の偽りの類が数多く紛れ込んでいるため、真相というのは藪のなかといわざるを得ない。以前、戦国時代の人々は、生まれ変わりの輪廻を信じていたことを紹介したが、迂闊に、「生まれ変わりのために切腹のやり方まで決まっていたようだ」と想像にまかせて書き込んでしまったが、八切止夫作品集を更に読んでいくと、切腹という自決の形が奨励されたのは、幕末以降の長州藩のみであったようだ。

 八切史観では、切腹は、藩士を戦場に駆り立てるための脅しだったようである。切腹するよりは、戦場で殺されたほうがマシと思わせるための虚飾だったというのである。その部分を以下に抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 方言を誤訳した「腹切り」

 「武士道とは、死ぬることと見つけたり」と葉隠論語になると、戦時中しきりに教えていた歴史家もいた。そして、それが「戦陣訓」というパンフレットに挿入されてからは、屠所の羊のように集められた私達は、かつての日、「死んでしまえ」と殴られ蹴られ戦地へもってゆかれた。私など今でのその時の想念が染み込んでしまっていて、手帳などに時には「死にたいを堪えて今日も生きていき」と書き込んだり、他処への葉書に書きもする。

 つまり、(死んでしまえば、この訓練の苦しさ、現実の疲労困憊からも脱出できる)というような根本理念、つまり進んで戦死する気構えというか諦観が徹底的に叩きこまれた。

 「死のすすめである切腹」に関しては、それが軍の敢死敢闘精神を兵に教育するのを護持する関係上、旧軍部は歴史家を尊重してこれが虚妄を書く者であったとしても、その都合上からして、利用度において、世間の信用を増すためにと、(歴史とは考えるものではない。国が保障する歴史家の書かれたものなら、そのまま鵜呑みにして棒暗記こそするものである)といった考えから、この国では、歴史は暗記ものとしての教育を強いられた。

 しかし、死をすすめるのに明治軍部は、opportunistの歴史家を活用したが、これは何も彼等の創案ではない。明治軍部というのは、長州人がその上層部を占め、監督指導をしていたのは周知の事実であるが、その長州たるや幕末に、「腹切りのすすめ」をしていた所なのである。

 かつて明和四年に藩で編した、「御家誠」というのを、幕末の安政二年になると、儒臣中村清旭に、そのわかりやすいものを作らせ、それを、「大訓衍義(だいくんえんぎ)」として木版刷りにして、藩の師弟の教育の基本とした。この中に、「毛利隆元さま御自筆、五月六日、児玉三郎右衛門あて下さるの書」の一項目がある。

 「只今の世上には誠に、腹せを切り候えと人に申しかけ候共、否と申し候ものは有るまじく」という一章で、安政版には、はっきりと冒頭に、「切腹のこと」と冠詞されている。

 つまり幕末の毛利家の青少年は一人残らずこれによって「隆元(元就の子)様の頃の長州人は『腹せを切れ』といわれたら一人も否応なしに切腹したものである。つまり死を鴻毛の軽きにおいて御家に尽くしたからこそ、毛利家四百年の基礎を固める事ができたのだ。なのに、近頃の若い者はなんだ。まず切腹作法の訓練から致せ。いつでも長州人は、ちゃんと腹を切れるようにしておけ」とeducateされた。

 (三つ子の魂百まで)というが、これで育成された乃木将軍が、やがて割腹といった形式で殉死するのも、ここにその起因がある。つまり乃木個人の性癖によって、その行為を判断するごときは、群盲が象を撫ぜるようなものでしかない。そして幕末長州人の上層部は、(いいか、自分で己れの腹に刃をあてるというのは大変な事だ。

 それで死ぬ事の苦労を思えば、まあそれよりは敵にとびこみ、死中に活路を求める方が、まだしも容易である。切腹は始めだしたら死なねばならぬが、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれで、勇ましく戦えば命拾いもするぞ)と下層の子弟を教育し、やがて彼等を率い蛤御門で戦い、長州征伐の軍を追い払い、ついには「とことん取れな」と江戸幕府を倒し、やがて薩閥を倒し、長州人の天下を作った。

 しかし、こういう事を書くと、古い歴史家や長州出身者には叱られるだろうが、私は昭和四十三年読売新聞に<毛利は四矢>を連載するにあたって、毛利元就の生れ育った広島県吉田の多治比(たんび)へ、古史料を蒐集するため赴いて滞在していたところ、「維新の大業を遂行させた」といわれる、「腹せを切り候えと人に云わば否と申す者なく」という金科玉条の「腹せ切り」を、幕末の長州では「腹切り」と単純に解釈してしまっているが、これは元就発祥地の多治比では、「腹背切り」つまり「身を粉にして」とか、「腹背一体二心なく仕える」といった意味で、つまりは安芸の方言なのである。

 ところが、慶長五年の関ヶ原合戦後、毛利家は周防長門二ヶ国に押し込められた。つまり元就や隆元の生れ育った安芸地方は、徳川家に取り上げられて浅野侯の領地となってしまった。

 だから三百年後の幕末になると、毛利家の儒臣は、もはやこの方言が判らず、これを切腹のすすめに用いてしまい、真面目な乃木将軍をして「腹背をきって」御奉公させたあげく、肉体的にも腹から背まで切らせてしまったものらしい。

 しかし、明治三年に長州人の新政府は「新律綱領」を立案したとき、士族や官吏には「閨刑」として切腹をすすめた。そして、「名例律上」の中の罰則に、「自分から屠腹を致すこと」というのを設けた。

 しかし長州人は幼児から切腹の仕方を教わり、図式でも習っているが、他国人は守りそうではないから、せっかく奨励しても、「結構です」と他殺である斬首の方の希望者が多かったので、これは今でいえばザル法となってしまった。そこで明治六年の改定律令では、切腹刑はもはや廃止されている。

 ☆  ☆  ☆

 長州といえば毛利で、戦国時代、清水宗治を自害させることで、秀吉と和睦し、豊臣に従ったが、関ヶ原で、西軍についたため、家康に領土縮小され、それがもとで徳川に怨念を抱き、幕末に討幕の中心となり、長州幕府というべき明治政府をつくった。

 つまり、清水宗治の自害を美化し、切腹とすることで、戦国時代の輪廻転生の思想を、国家のための自害に美化し、長州明治政府は盛んに切腹を奨励し、権威として君臨した。

 明治維新は長州革命であり、その実、メーソン革命で、またそれはサンヘドリンの悪魔儀式でもある。それは切腹(自害)奨励のために莫大な血が流されたからで、長州はサンヘドリンが呼び出した、この世の吸血鬼でもある。

 サンヘドリンの指示通りに、日清日露と長州政府は大陸に血を求め、悪の錬金術として、血の犠牲を金銭に変えていき、ついには乃木の自害を明治帝への殉死として軍神に祀り上げたが、最後には太平洋戦争で、広島に原爆を落とされる事態を招いてしまう。なんと因果なことだろう。

 2発目は山口の萩ではなく、長崎だったが、長崎は、長州が武器を調達した場所でもある。武器を求める者は武器により滅ぼされる。





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Last updated  2013年02月28日 15時42分23秒
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