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シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年04月09日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 八切式姓の法則は、非常に興味深いので以下に続けて紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 あなたはどの「姓」となら合うか―固く結びつく結婚、もろく壊れる結婚

 「愛しているから」なんてナンセンス

 戦前の女性は結婚生活に我慢して、よく子供を育てあげたのに、最近の若い女性は辛抱しきれず挙式一年以内に三割くらいは別れてしまうようです。

 ところが、現在、初婚に失敗した女性の再婚率は、二十五才位では12パーセントでも、それが三十才をこすと僅かに0.07パーセントにすぎなくなるのでは、すっかり考えさせられてしまいます。

 と、なるとまるで昔の女性は良かったが、今の娘は我侭で横着でどうしようもないから、そのせいだという説もでてくるのであります。が、本質的には、母の子宮から出てきた娘が、その生母とそんなに違うものではないはずです。

 これは、母の頃は、まあまあ辛抱できる状態のもとへ嫁げたのに、娘の方は、まるっきり無理な境遇へ誤って入り込んでしまいなんとも自制できなくなったのではないでしょうか・・・・。

 これは如何なる理由かというと、昔は、最初に相手方の家系、血脈を調べて縁づいてゆけたのに、現在ではもう調べようもなくなったからに他ならないでしょう。

 つまり場当たり式に「当人次第」とか「愛していれば」といったような結びつき方をするせいで、ぜんぜん前もっての安定さを欠いているからといえます。

 異民族との通婚は長続きしない

 京都の八瀬大原(大原女の里)という地帯は、日本原住系の風習そのままで、女性が、「カカさま」と呼ばれて、各家の主人なのであります。また、大原だけでなく、桂女の里もそうですし、長野、群馬県においても各地に女性尊重といいうる、今も女上位の土地が、連綿として各集団ごとに受けつがれていて、絶対に非女上位のような部落からは婿取りもしなければ、嫁にもやらぬという掟が千五百年も続いてきているのです。

 つまり、自分らと同じような風俗習慣の土地の者とだけ交際、通婚し、今もその伝統を伝えていて、「上州名物、からっ風にかかあ天下」などといわれるのでしょう。

 このように日本では結婚の場合、昔から相互の血の純粋というものをとても大切に考え、自分らの種族以外とは通婚してはならない、という頑固なまで厳しい掟を持ち続けてきていました。

 また例えば、有名な「佐渡情話」の中で、「惚れちゃいけない他国の人に、末はカラスの泣き別れ」と、親が娘のお光を戒めるといった話しさえあります。

 他国の人というのは、つまり他所者のことで異民族であることを原則において考えると、同じ土地で、先祖を同じくしている人間同士が結合するのなら、まあ、円満にいくけれども、異民族同士が結びついたのでは、いくら努力に努力を重ね、辛抱してもとてもうまくいかないということの教えなのです。

 もちろん現代にあっても、先にも述べましてように、群馬県方面のような日本原住系のメッカのごとき土地の女の人が、九州の高千穂山のそびえる熊本県とか、鹿児島県の男性と結婚した場合を考えてみれば、それはよく判り得るのです。昔は、だいたい居住地が限定されて、それが分布していましたからして、「何処そこのもの」ときけば、その出身地で民族別も判りました。

 なにしろ、「お見合い」ともなれば「同族」に決まっていましたから、問題にもならなかったのですが、今日では戦後の集団就職や、都市集中化に伴って、もはや昔のように、「誰々さんは、どこどこの出身ゆえ何々系だ」といった見分けができなくなりました。その結果見かけだけで判断したり、知人の紹介だとか友人の友人などといった範囲の中で、もっと極端な場合は喫茶店で声をかけられたくらいで結婚がなされています。

 これでは熱しやすきは冷めやすいの例をもち出すまでもありません。そうそうに終局がくるのも当たり前といえましょう。

 また、昔は、ぜんぜん会ったことも見たこともない男女がいわゆる仲人だけの取りきめで、婚礼の式を挙げ、そして翌日になるまで双方とも互いの顔を知らなかった・・・・といったようなナンセンスな結びつきであってもそれでけっこううまくいってきました。

 そして、「おまえ百まで、わしゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」などといわれたものですが、今日では双方ができるだけデートをし、ときには婚前旅行までして、肉体的にも確かめ合った結果、それで結婚するのに、極端な場合は、三ヶ月か半年位で離婚してしまう例が少なくないのは、いったいどうしてでしょうか。

 昔は知らずに一緒になったのが長続きして、今はよく知り合って、双方、納得づくでした婚姻が、どうしてもうまくゆかないというのは何故だろうか、という謎なのです。

 つまり幸せな結婚をするのにはどうしたらよいか?ということになるのです。
 なにせかつては当人同士のことよりも、その体内に流れている血の流れ、といったものに重点が置かれ、大きな意味での同族同一民族に限って結婚はされてきたものです。

 あなたは女尊系か男尊系か

 先にも述べましたように、この日本では全く正反対の二つの民族(女尊男卑型と男尊女卑型)が今もちゃんと同居しているのです。

 それなのに戦前までは掟として守られてきた同族間の結婚が、今日ではウヤムヤになってしまい、まったくの相いれない二つの血をまるで無視して、勝手に一緒になったりしていますから、それで離婚のラッシュが起きているのではないでしょうか。
 
 つまり、「女なしでは夜も明けぬ国」だった古代日本の原住民系は、いわゆる女尊民族。

 それに対して大陸から侵攻してきた進駐民族は、これは一夫多妻制の男尊民族。

 判りやすくいえば、日本人の血は大別しますと、「女性上位」というのかきわめて女性のほうが権力をもちたがる女尊男卑の原住系と、継体王朝の大陸的な女人軽視部族に別れているのです。

 (現在でも香港では「一夫九妻」と称して、一人前の男とは、つまり成功者というのは、九人の妻を侍らすのが理想とされているのをみてもよく判るものといえます)

 つまり、一夫多妻主義の浮気っぽい男尊女卑型と、その反対の日本原住系の逆な型との二つが、まことにおかしな話ですが、表面は同じような見せかけで混合しあって日本に住んでいるのが現実の今の社会です。

 そして各民族のもつ長い間受け継がれてきた、特有の気風によって、同族で組み合わされていけば、まあ円満にゆけるものが、もし違っていたら何ともならなくなるのが実状です。「木に竹をつぐ」という言葉もあります。

 しかし結婚というものは、まったく別個の人間が一緒に暮らしてゆかねばならないのですから、木と竹どころではないかもしれません。

 例えば原住系の姓と舶来系の姓とは、いかに初めは愛しあってもすぐに別れてしまうものかといったことは、八切式姓の法則から、身近な離婚した人たちの例をもとに分析してみたら一目瞭然に判るでしょう。

 つまり外見を気にして表面は仲良さそうにしていても、男尊人種の亭主関白系と女尊人種のカカア天下系が同居して平穏無事にいきっこありません。反面、男尊系の女性と、女尊系の男性が一緒になったところで、これまたうまく生活などできるものではないということは断言できます。

 ですから、なんといっても、本家と分家とか親類どうしといった間柄が、結婚するとうまくいっているのも、いわゆる似たもの夫婦といった組合わせの関係ともいえましょう。

 東京や大阪で結婚するより、地方の出身者は国許で相手を見つける方が、円満にゆくといわれるのもこのせいなのでしょう。つまり、もっとも良き結婚とは郷里を同じくするか、そうでなければ双方の姓の第一音が、同姓列であるか否かということに、これはかかってくるのです。

 結婚なるものがうまくゆくかどうかは、お互いの努力も必要でありましょうが、もっと宿命的なものがそこにはあるのです。

 つまり、姓というものはそれだけの意味合いがあるものなのですから、結婚する場合はただ見てくれのルックスの良し悪しとか、プロポーションが素敵で話が面白いからとか、収入が他に比して良いなどといったような鑑別方法にとらわれてはいけません。

 「愛だ、愛だ」と、「愛があるから」とか、「愛が生まれそうだから」といったような漠然としたものでもないのです自分の体内の血と相手の血の流れとが、うまく解け合っていけるかどうかを、どうしても初めから考えなければうまくゆくはずなどないのです。

 ☆  ☆  ☆

 また続けて面白い話を抜粋紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 ≫有名人になれる姓≪

 日本におけるタレント(有名人)の発祥は足利時代の差別思想から始まっています。

 「河原者」というのが、その元祖のようなものでありましたから、やはりそうした血の流れている人はタレントとして世に名が出ますが、そうでない部族の人はいくら努力してもダメなようです。

 つまり、自分には才能があるとか、他よりルックスやプロポーションがよいからといって、芸能界を志しても、その血の流れは先祖伝来でもって生まれた素質以前のものがあって、特別な姓をもつ人の他は誰もがタレントになれるわけではなのです。これは、現代のタレント中有名な千人の本姓を整理してみても、はっきりこの姓の法則に当てはまることが実証できます。
 
 もちろん「河原者」という言葉が出てくる以上、前進座の河原崎長一郎とか、本姓加藤の美空ひばり、作曲家の神津善行、漫画家の加藤芳郎などのようにアルファベットのKのつく人は、申し分のないタレント性の持ち主といえるところですが、それ以外にも、M、N、O、S、T、W、Y、の姓をもつ者のみタレント性は限定されています。

 と、書きますと「・・・・・まさか」と思われるかもしれませんが、Kの他でも、Mをそのイニシャルにもつ人には、例えば、歌手の森山良子、映画監督の増村保造、俳優の石坂浩二こと武藤兵吉、イラストレーターの真鍋博、女優の山岡久乃こと森塚久乃、それからOをイニシャルにもつ人たち、女優の岡田茉莉子こと岡田鞠子、俳優の中村錦之助こと小川錦一、歌舞伎の尾上松緑、歌手の坂本九こと大島久、映画監督の大島渚といった並べ方をすれば一目で判ります。 

 Sの代表に入るのは、映画監督の篠田正浩、評論家の坂本二郎、オペラの砂原美智子、女優の杉本春子、作曲家の佐藤允彦、売れっ子写真家の篠山紀信。

 Tとなりますと、歌舞伎の尾上菊之助こと寺島秀幸、俳優の高島忠夫、滝沢修、女優の高峰秀子、写真家の立木義浩、映画監督の谷口千吉といったぐあいです。

 そしてWは、随筆家の渡辺紳一郎、女優の鰐淵晴子、医者で作家の渡辺淳一。

 Yは、女優の山田五十鈴、作家の山口瞳、映画評論家の淀川長治、作曲家の山本直純、歌手の由紀さおりこと安田章子といったぐあいにもって生まれた姓が、「K、M、N、O、S、T、W、Y]ならば、これは確実にタレント性を発揮でき、それが「A、F、H、I]などの人になりますと、まあ素質がすぐれているならば、条件つきで、という処なのが現在活躍しているタレント・有名人についての比較研究の結果なのです。こうしてみると、これら以外の発音姓の方は才能はあっても余り見込みはありませんから、今の内に見合わせるべきでしょう。

 ☆  ☆  ☆

 字数制限を越えるので次回に譲る。





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Last updated  2013年04月09日 13時33分17秒
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