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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2015年05月26日
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カテゴリ:神秘体験空間
 最近仏教と医療を融合しようという運動があるという噂を聞いた。不思議に思うのはこの国では医療は西洋からきたもので、仏教は東洋からきたものだからで、現状のままだと水と油なのではないか? ということである。

 似非宗教で有名な創価が、医学部を持たないのは、お題目を唱えればなんでも叶うという理念に矛盾してしまうからだそうで、思わず笑ってしまった。所詮ニセモノなんである。

 この国には既に神道と融合した薬師如来がいるではないか? 薬師如来のイメージは東方のキリスト教のイメージによく似ているようにみえる。

 つまり、先に西洋と東洋の哲学が融合しないと絵に描いた餅になる。東西に通じる知性、つまり哲学がないと駄目なんである。

 そういう知性は実は既にある。人智学である。

 人智学までいかなくとも、霊魂を想定することでわかるはずである。霊魂というといかにもオカルトなんで、意識、あるいは心と呼ぶことにする。

 先日、TVでドイツ人留学生が四国の御遍路をするのをみたが、御遍路では、88の寺を巡る先々で「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えてお参りするらしい。

 このお遍路は、想像力を逞しくすれば、四国を宇宙や地球と模して、88という語呂から無限(∞)に巡るという意味をもつのではないかと思う。8が2つ合わさっているのは、陰と陽の意味で、隅々という意味だろう。寺は、オカルトでは卍を表し、チャクラ(蓮華)を意味する。つまり、正負のエネルギーの出入口である。

 このことから、人体にもおそらく88の正負のエネルギーの出入口があるはずである。東洋医学のツボ(経穴)とも関係があるのだろう。

 さて、8といえば御釈迦さんが説いた八正道が思い浮かぶ。御釈迦さんは天上天下唯我独尊で有名だが、自己流の解釈では、天も地も私という一人の尊き存在からなる、つまり「I am that I am」の「私は私からなる」といったのではないかと思う。

 その「私」とは、空海さん風にいうなら大日如来のことで、簡単にいえば、一となる(全てと結びつく)心だろう。

 つまり、空海さんは世界を平和にするには、大日如来の一となる心を人類皆が共有すればいいと思ったわけで、まず、そのような心をつくりあげなければ、何をしても無駄であることを悟ったわけなのだろう。

 ではそのような心をどうしたらつくりあげられるのか、といえば、この世で起こる神羅万象全てを実際に体験しないといけないわけで、その初歩の段階をお遍路という実際にホームレスになるシステムとして四国につくったのだろう。

 お遍路をみて空海さんは流石だなと思った。

 あのお遍路のなかには医療も含まれている。というのは病は気からというが、心のバランスの乱れから生じるからである。特に慢心である。自分が他より優れているなんて思ったら忽ちバランスを失い病気に罹る。心臓が肺より優れているからといって肺を馬鹿にしたら肺は怒って呼吸しなくなり血液に酸素が流れなくなるわけである。

 そのことはシュタイナーの呼吸の講義でも紹介したが、人間の感情の動きは、呼吸を通じて血流に反映されるからである。つまり呼吸を意識的に制御することで、血流を変えることができ、感情も制御できるわけである。

 そういうバランスが崩れたとき、病気となってあらわれる。だから病気は心を強くするものだと思えばいい。

 シュタイナーの呼吸の講義でもわかるが、恥ずかしさは血流を皮膚表面に流し、怖れや恐怖は血流を心臓に戻すように流れる。そういう感情から血流を流すのではなく、呼吸を意識して制御することで、血流を変え、感情を制御できるようになれば、病気もかえって、強化につながるわけである。

 だから、仏教はそのまま既に医療なんである。正確にいうなら、現世の身体をつくるだけでなく、未来の身体、更には永遠に不滅な心をつくるものである。未来の身体はいま生きている人生での心構えからつくられる。

 いまどう生きるかで未来の身体がつくられるのである。我思う故に我在りである。

 個人として自立し、自由な平和を保つ意識こそが、次の木星意識をつくりあげる。つまり神殿をつくるのである。

 空海さんはわかっていたから、平和で揺らがない、不動心といわれる心をつくるためにお遍路をつくったのだろう。

 特に米国のアホバカ1%の偽ユダヤの連中はお遍路をして自分たちの誤った考えに早く気づいてほしい。

 空海さんの教えは、私には「南無大師遍照金剛」に集約されているようにみえる。

 そこで、「南無大師遍照金剛」の意味を読み解いてみたい。以下の解説が参考になる。

 ★          ★           ★

 法話のページ
 http://www2.ocn.ne.jp/~daishiji/r1houwa7.html

 南無大師遍照金剛   中谷昌善

 四国八十八ヶ所を巡礼する人をお遍路さんといいます。昔は歩いて一ヶ月も二ヶ月もかかってお参りをしたそうです。現在はバスや自動車などを使う方が多いようですが、十日から十二日は必要だそうです。それでも、昔のように歩いて巡礼される方もいらっしゃるようです、とても大変ですが、その苦労の分すばらしい信仰体験をつまれるのです。

 お遍路さんの白衣の後ろには「南無大師遍照金剛」と書いて有りますね。また道中、心の中で南無大師遍照金剛と御宝号を唱えながら修行されるのです。

 南無大師遍照金剛にはどんな意味が含まれているのでしょうか。一緒に考えていきましょう。
 
 「南無」はインド語のナモ、ナマス、ナマッハを音写つまり発音の音に近い文字で作った当て字です。意味は帰命、帰依する、永遠に、心から信じお従い申しますという信仰の誓いを表します。

 「大師」は偉大なる師、という意味で日本では大師号として朝廷から徳の高いお坊さまに贈られました。お大師さまは空海と言う僧名ですが弘法大師という大師号を九二一年朝廷から給わりました。日本では二十数名の高僧に贈られていますが、「大師は弘法にとられ太閤は秀吉に取られ」と言われるよう大師と言えば弘法大師、お大師さまのこと表すのです。

 (南無大師で、永遠の法という意味だろう。)

 「遍照金剛」はお大師さまの灌頂名です。大日如来と言う仏さまの別名なのです。奈良の大仏さまは正式にはルシャナ仏ですが、その別名は大日如来さまなのです。お大師さまが中国に渡り真言密教の教えを授かったとき、最後の仕上げとして灌頂と言う儀式を受けられました。

 目隠しをして合掌した手にはお花(チャクラ)を持ち、仏さま、如来さま、菩薩さまの書かれた曼荼羅の上にその花を投げるのです。仏さまとの縁結びとでも言いましょうか、お大師様の花は大日如来の上に投げられたそうです。二回して二回とも同じ場所に投げられたそうです。この不思議に驚かれた恵果和尚はお大師さまに大日如来の別名遍照金剛を灌頂名として授けらたのです。

 「遍照」とは仏さまの慈悲の光明で照らされていると言うことです。夜に街を歩いても街灯が有れば明るくて安全です、営業時間の終わったお店でも店内には電灯が灯されて防犯灯の役目をしています。暗闇では犯罪が起こりやすく悪がはびこりますが、明るいと安心出来ますし、悪ははびこることが出来ません、善の世界になるのです。太陽でも、電灯でも物に当たれば影が出来ますが、仏さまの私達を救おうとする慈悲の優しい光は影を作ることなく世界の隅々まで照らされているのです。

 (遍照は隅々まで照らす心の太陽のことだろう。)

 「金剛」ダイヤモンドです。ダイヤモンドは最も強くて堅い物質です。またその原石を磨けばその輝きは素晴らしいものになります。私達凡夫をこの苦しみから救ってあげるんだ(?)と言う仏さまの堅い決心と不滅永遠の徳を表しています。

 (人体は炭素からできている。ダイヤモンドも炭素からなる。つまり遍照金剛は人体を太陽の心により照らし出すという意味である。「救ってあげるんだ」ではなく「自分で自分を救い出せ」という意味。悪だってもともとは善の神から出たものである。)

 遍照金剛、大日如来さまは全ての神仏の根本の仏さまであり、その大日如来の一徳一徳を表すと各々の仏になるのです。寿命を表すと阿弥陀さま、優しさを表すと観音さま

 と言う具合です。

 (太陽霊のことである。仏像のほとんどは太陽霊を表現したものである。キリストは太陽霊の一つの形態、仏陀は水星霊らしい。つまり各惑星には霊体がいる。地球は物的形態なので、肉体をもっているにすぎない。)

 南無大師遍照金剛とお唱えになるのは弘法大師お大師さまを拝み、その後ろには大日如来さまが控えられ、また全ての神仏へとつながっているのです。御宝号の深い意味を噛み締めながら「南無」と信じるこころを開いて、「大師」お大師さまに守られて、「遍照」他人に対しても優しさ思いやりを持って「金剛」自分自身に厳しく、そういう修行の日暮らし信仰を持ち、お大師さまと同行二人の人生の道を、幸せに向かって一歩一歩精進して参りましょう。   

 ★          ★           ★

 以上を参考に、「南無大師遍照金剛」を要約すると、「永遠の法を世界の隅々まで行き渡らせるように身をもって光輝くように照らし出します。」という宣言であろう。

 永遠の法とは、カルマの法である。現在の自分の行いが将来の自分をつくるということである。要するに、自分の心や意識が、健康や病気をつくり出すということなんである。

 だから有体にいえば、ネガティヴな想いをポジティヴに変えることである。病気に罹って意気消沈するのではなく、病気に打ち克って新しい身体を手に入れると思えばいい。

 霊魂は永遠で死ぬことはない。トカゲの尻尾のように、切り取られてもやがて新しく生まれ変わるのである。人間の場合、それが次の再生であり、輪廻転生である。この世のあらゆる立場を経験してみて、はじめてこの世から解脱できる。

 そういうことを仏教は説いている。キリストの復活は、仏教と矛盾しない。だから、仏教のなかに既に医療は含まれている。それに早く気づくべきである。仏教徒の修行が怠慢な証拠でもある。霊魂をみれないのは霊魂をみれる心眼をつくっていないからである。

 医療と仏教が別々にみえるのは同じようにみる知性がないからである。お遍路で出会い、お遍路を勇気づける四国の住人たちのおもてなしの親切心が医療である。快適で贅沢な生活のなかでは慢心して感じる心を失ったのである。

 いま日米の指導者たちは慢心の代表であるから、このままいけばいずれ日米全体がホームレスになるだろう。既に地方からホームレスの波が広がっている。

 実際に経験しないとわからないアホバカに効く薬はないね。人生は思ったことと逆に進むから学びになるのだよ!





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Last updated  2015年05月27日 12時08分24秒
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