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カテゴリ:洋画(09~)
見終わった直後は、「いい映画だった。合格点である。しかし、いくつかは不満なところもある」という程度の作品であった。それだけでもマアすごいのであるが、クリント・イーストウッド監督だから自然とハードルは高くなるのではある。
だから見たあと一日たって感想メモには延々と不満点から書き出していたのである。それが2月6日のことだ。どうしていままで記事にできなかったかというと、一つは忙しかったということ。ひとつは、そんな瑕などどうでもよくなってきたのだ。じわじわと「グラン・トリノ」や「ミリオンダラベイビー」でも起きた「後で効いてくる症候群」が症状を現し始めたためである。 とはいっても、もう記憶が薄れているので詳しくは書けないのだが、一番の効いてきた点というのはこういうことだ。「あまりにも淡々と描いているので、つい見落としがちなのであるが、マンデラの言う、そしてそれを受け入れたマンデラの同志たちの"赦し"とは半端なものではない」ということなのである。 監督・製作 : クリント・イーストウッド 原作 : ジョン・カーリン 出演 : モーガン・フリーマン 、 マット・デイモン 、 トニー・キゴロギ 、 パトリック・モフォケン 、 マット・スターン マンデラ自身がつい一年前までは単なる選挙陣営の敵ではなく、時には命まで狙われたはずの相手を赦し、スタッフの中に組み込み、自分の部下や同志たちにそれを強制するということの意味はそれはそれで非常に大きな葛藤があったはずなのだ。また、白人の側にも、マンデラたちは「許せないテロの仲間」であり、「既得権を奪う理不尽なやからたち」なのである。その二つの感情がどのように近づいていくのか、行かないのか、それを見届けるのは、ひとえに私たちの「想像力」如何にかかっている。映画では表面はとてもあっさりと描いているのである。 スポーツは確かに愛国心を鼓舞するのに利用しやすいツールではある。しかし、ツールが悪いのではない。目的さえ全うなものならば、こういう使い方を私は支持する。国として、人種を超えてまとまる、その目的のためにまるで「出来すぎ」のようにマンデラはスポーツを利用した。 ともかくこれは全て事実なのだ、そのことを何度も何度も自分に言い聞かす。飛行機が軌道を外れてワールドカップ競技場の上を、「すわテロか」とビクつく警備の上を、すれすれに応援の意を示して飛んだのもまったく事実なのである。日本に対してまさに歴史的な大差で破った最強のチームオールブラックスに、このワールドカップで南アフリカチームが勝利をもぎ取ったのも、歴史的事実なのである。まるで嘘のような奇跡、改めて知るそのことの意義を私は反芻する。 そして思うのだ。 今また、南アフリカは最低の犯罪率に戻っているという。そうか、こんなに早く映画が公開されたのも、意味があることだったのだ。 イーストウッドは今年の南アフリカサッカーワールドカップに合わせてこの映画を作ったのはだ。南アフリカはもう一度、スポーツの力を借りなければならない時がきている。そのとき、すでにマンデラはいない。この映画がその代わりなるように、作られたのである。映画のセリフは何も語らない。しかし映像は雄弁に語っている。 私のイーストウッドベスト映画はまだ「グラン・トリノ」ではあるが、この作品もなかなかでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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