カテゴリ:銀輪万葉
暫くブログを更新していなかったら友人から心配されてしまいましたが、偐家持はいたって元気であります。ちょっとブログをサボっていただけです。 今日は雨なので家に籠っていますが、ここ最近の銀輪散歩で見かけたものをご紹介することで、ブログの更新といたします。 まずは、秋の風です。 人皆は 萩を秋と云ふ よし我は 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ(巻10-2110) 「人は皆、萩のよさが秋だと云うけれど、私は尾花の穂先のよさをこそ秋だと言いましょう。」という、この歌の作者に賛同する訳でもないけれど、確かに秋風に靡きつつ、日差しを受けて銀色に光っている尾花こそが、秋風を表現する第一のものである、という気がしますな。 バッタの一人旅。「気ぃ付けて行きなはれ。」 イトトンボの夫婦。「仲のええことどすなぁ。」 もとも、イトトンボのオスは、産卵期の近づいたメスをこのようにして捕まえて置くらしいです。他のオスに盗られないための、つまり自分の遺伝子を遺すための涙ぐましい努力という訳です。 結婚式や結婚指輪もないトンボの世界にあっては、これが夫婦であることの唯一の公示方法であるのですな。でもこの方法は、いったん結婚してしまうとメスの方からの離婚はできないという制度のように思われます。 いずれ、イトトンボの目覚めたメス達が、このやり方に異議を申し立て、その生態も変わるのかも?(笑) グミも赤く熟し始めました。 グミの実の 葉陰に赤き 色のして 小鳥待つとや 大空青し ツユクサ(万葉ではつき草)は、夏の花という部立てになっているが、秋の花とした方が似合うような気もしますな。 とは云え夏の花なれば、偐家持もそれに従い詠むことといたしましょう。 空の色 映し咲くなれ つき草に 夏の名残りを 見むや秋道 鶏頭は万葉では韓藍(からあゐ)と云うが、葉鶏頭もこう呼んでいいのだろうか? 赤々と 空も染めむと 葉鶏頭 燃えて咲きたり 秋の道の辺 チカラシバは万葉では「芝草」という。もっとも「芝草」は固有名詞ではなく、雑草のことであるという説もあるのではあるが・・・。昔はよく道端にこの草を見かけましたが、最近は余り目にしない。 この草の穂を下方からつまんで上方にしごくと、穂が毬栗のようになって指の間に残る。「ほらっ、クリだよ。」などと言って子供は遊びました。 立ちかはり 古き都と なりぬれば 道の芝草 長く生ひにけり(巻6-1048) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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