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偐万葉田舎家持歌集

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2012.02.17
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カテゴリ:銀輪万葉

 本日(2月17日)は久し振りに友人の蝶麻呂氏と再会。二人で京都西山の小塩山(標高642m)に登って来ました。
 阪急京都線洛西口駅で午前10時の待ち合わせであったが、梅田発9時9分の特急に二人とも乗車していて9時49分に洛西口駅に到着。徒歩で小塩山へと向かう。
 小塩山に淳和天皇陵があることは予てより知っていて、一度行ってみたいと思っていたので、蝶麻呂氏から声が掛った時は、迷うことなく「小塩山」を提案したのでありましたが、蝶麻呂氏もこの山は初めてとのことでありました。
 途中、小畑川沿いの竹林公園を縫うようにしてある竹の径を通って行く。

竹の径
(竹の径)

竹の径(2)
(同上)

竹林公園入口
(竹林公園入口)

 今回は竹林公園はパス。先を急ぐ。公園の中には竹の資料館などもあるそうだが・・。

大蛇ヶ池
(大蛇ヶ池)

 竹林の中の道を行くと大きな池に出る。大蛇ヶ池、洛西地域の農業用水の溜め池である。周辺が整備され公園になっている。
 
木谷恭介「吉田山殺人事件」という推理小説があるらしいが、その小説にこの池が登場するらしい。競馬で大穴を当てた蔵書票作家の男が何者かに殺され、大蛇ヶ池に死体が浮かぶという設定で始まり、蔵書票博物館の美人館長の死体もこの池で発見されるという設定になっている。
 勿論、そのようなおぞましい事件と無関係の二人でありますから、出会ったのは、池の畔で絵を描いて居られる男性と散歩のご年配のご夫婦だけでありました(笑)。機会があればこの小説読んでみますかな。木谷恭介という作家の本は読んだことがなく、その名も今回初めて知りました。
 池を後にして西へ西へ。やがて田園地帯に出て、小塩山が一望できるようになる。しかし、まだ、登山口まではかなりの距離だ。

小塩山全景
(小塩山)

 中央の鉄塔の立っている山が小塩山。両サイドに3本ずつ鉄塔がある、真ん中に離れて1本ある太い塔のある処が山頂で、その傍に淳和天皇陵がある。

小塩山
(同上)

 南春日町バス停を過ぎ、樫本神社の前を通り、大原野神社の、一の鳥居を過ぎ、登山道へと向かう。大原野神社から勝持寺経由で、そこから登山道に入るというのが小生の考えであったが、蝶麻呂氏は道を直進すると行ける筈・・ということで、そのまま行く。確かに「左、淳和天皇御陵道」という碑もあったので、それを行く。

小塩山登山道
(登山道に入ったかと思ったのだが・・。前を行くのは蝶麻呂氏)

 いい感じの道であったが、これは林道。やがて、道は消えて、急斜面を登ることに。楚や放置された間伐材などの障害物と闘いながら、必死で斜面を登るうちに、何とか舗装された道に出る。

純和天皇御陵道碑 小塩山登山道
(淳和天皇御陵道碑)   (小塩山登山道)

 この先で地道の登山道があり、それを登る。舗装道路をショートカットしている急登である。再び、舗装道路に出た処で12時半位になっていたので、道端の手頃な大石にコンロを据えお湯を沸かし、昼食とする。
 眺めもよし。京都の市街、東山、比叡山の山並が遠望できる。そうこうしているうちに、雪が降って来た。

小塩山登山道から京都市街を望む
(小塩山登山道から京都市街を望む。)

小塩山登山道・雪が降って来た。
(雪が降って来た。)

 雪の舞う中で食事を済ませ、珈琲を呑んで、体も温まった処で出発。いつの間にやら雪で真白になっている道も。

小塩山登山道
(忽ち道は真っ白に)

小
(こちらは鉄塔への道・山頂)

 ようやく山頂に到着。途中、蝶麻呂氏との会話に気を取られていたのか、ショートカットの山道への入口を見落とし、舗装道路で山頂まで来てしまった。かなりの遠回りで、淳和天皇陵到着は午後2時24分。

淳和天皇陵参道
(淳和天皇陵へはこちらの道を行く。)

淳和天皇陵
(淳和天皇陵)

 淳和天皇<延暦5年(786年)~承和7年5月8日(840年6月11日)>は第53代天皇。桓武天皇の第7皇子の大伴親王。母は藤原百川の娘、旅子。薬子の変(810年)で廃太子となった高丘親王(平城天皇の子)に代って皇太子となり、異母兄の第51代平城天皇(安殿親王)、同第52代嵯峨天皇(神野親王)の後を継いで弘仁14年(823年)に天皇に即位し、天長10年(833年)に嵯峨天皇の息子・正良親王(仁明天皇)に譲位している。

 淳和天皇の「大伴」という諱と同じというのは畏れ多いと、大伴氏は淳和即位後に伴氏に改姓しているから、ヤカモチも無関心ではいられない(笑)。これなども藤原氏による大伴氏への嫌がらせであったのではないだろうか。

 この時期の天皇の地位承継は複雑。桓武天皇の遺志によるものらしいが兄弟間及びその系統が交互にたすき掛けで皇位を承継する変則的なもの。仁明天皇即位の際にも皇太子は淳和天皇の子、恒貞親王がなっている。このような不自然・複雑な皇位継承の在り方は、淳和上皇、嵯峨上皇が相次いで崩御したことによって、権力中枢に動揺を生じさせることとなる。藤原氏による他氏排斥の最初の事件とされる承和の変(842年)へと繋がって行くことになるのである。
 <承和の変で、恒貞親王は廃太子、仁明天皇の子の道康親王が立太子(後の文徳天皇)され、橘氏、伴(大伴)氏はダメージを受けることとなり、藤原良房への権力集中が進むこととなる。>

 話が脱線したが、淳和上皇は、その遺詔により、火葬に付され、遺骨は小塩山の山頂付近に散骨されたとのこと。今ある淳和天皇大原野西嶺上陵は、幕末に築造されたものである。

淳和天皇陵
(同上)

 さて、下山である。「南春日町バス停へ」とある細い山道を下る。雪ですっかり白っぽくなっている。

小塩山登山道(下山の道)
(下山は山道を下る。)

小塩山登山道・雪景色
(雪はいよいよしげくなって行く。)

 どんどん雪が降って来て、無帽の小生は髪がすっかり濡れてしまっている。急坂の悪路にて滑りやすいので、どんどん走るようには降りられない。

小塩山登山道・雪景色
(同上)

小塩山から下山して来た場所
(竹林を通り抜けて、ようやく舗装された道路に出、下山完了。)

 ようやく下山。上の写真の左側の道から下山して来たが、往路、林道に迷い込んでしまわず大回りすれば、右側の道に出たのだと思われる。この後、大原野神社に立ち寄るなどしますが、それは明日のこととします。(「大原野神社から桓武天皇皇后陵へ」に続く)

 

 






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最終更新日  2014.08.16 18:44:46
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