|
カテゴリ:カテゴリ未分類
来年は明治150年だという。そのため国体に明治150年を冠することを政府が要請したことに関係者の中には反発している人もいる。明治150年。今の政権は戦前から戦後の歴史を連続したものととらえ、戦前に「間違えた時期」もあったが、おおむね肯定的に近代史を見るという姿勢のように見える。政権交代などで大幅な姿勢変更がない限り、明治150年にむけて雰囲気をもりあげていくのかもしれない。
侵略の歴史については意見は様々であるが、近代化そのものの成功は世界史的な偉業であることには間違いない。子供の頃は日本だけが非欧米世界で唯一の先進国であり、明治維新は世界史の奇跡という言葉をよくきいた。 ところで近代化の本質はなんだろうか。 役人の服装が洋服になったとか、暦を太陽暦にしたとか、そういうものは枝葉末節のことだろう。 法制度が整備され、鉄道や道路や電信が整備されたというのもあるが、それだけではない。 近代文明を取り入れ、自らの力でその近代文明を動かせるようになったことが近代化の本質だろう。 鉄道にしても、建築にしても、最初はお雇い外国人を破格の待遇で迎えた。 そしてその下で、大勢の人が技術を学び、自国民の力で鉄道を動かし、鉄道を作るようになった。 政府直属だった外国人はやがて帝国大学の教授になり、そしてそうした教授も次第に日本人に代わっていった。 明治維新とか近代化というと、政治家や役人、あるいは軍人に焦点があたるのだが、いちはやく科学技術を学び、そしてときには研究者として世界の先頭にたっていた明治人にも脚光があたってもよいように思う。そして、こうしたものは明治期に急にはじまったのではなく、江戸時代からの学芸的な伝統があった。 韓流大河ドラマチャンヨンシルを見ながら、日本でもこうした科学史上の人物を扱った大河ドラマができないかと思ったりする。あちこちの自治体で大河ドラマの誘致をやっており、関東近辺だけでも本田忠勝、里見義実、伊能忠敬、北条四代など…。こうしてみるとやはり武将が多いのだが、案外伊能忠敬などを、当時の測量技術た地理学などの科学史もからめ、当時の文化人もわき役にすえながらつくると面白いのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|