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よく右とか左とかいうように意見を分類することがあるが、メルクマールは何なのだろうか。
これが昔ならわかりやすかった。マルクス主義を信奉しているかどうか、毛沢東ならどうかというように。 けれども、マルクスが共産党宣言を書いたのは、日本でいえば江戸時代だ。 生産手段の国有化だの計画経済だので、人類の経験したことのない理想社会が来るなどということを、今時、信奉している人はいないのではないか。 最近はその左の代わりにリベラルという言葉を使うことが増えている。 これはもっとわかりにくい。なにしろ自民党の英訳はリベラルデモクラティックパーティーだが、自民党はもちろん「リベラル」ではない。マイノリティ擁護、環境…こうしたものを声高に叫ぶ政治勢力をリベラルと言うのであれば、今の自民党だって女性が輝くなんていっているので、ますますわからない。 これを右とか左ではなく、伝統的に、ウヨクは内と外を分け、内からの視点を前面にだしている、サヨクは上と下に分け、下からの視点を前面にだしているというのがわかりやすいのではないか。 民族的価値や伝統に主軸を置くのが右翼、下からの主張を前面にだして平等を志向するのが左翼というわけである。 このように軸を二つ置くと、空白のところがでる。 伝統や民族に価値を置きながら平等を志向する象限と、そうしたものに価値を置かずに弱肉強食を志向する象限である。 しかしこうしてみると、実は今、主導的な勢力をもっているのは、案外と内外でいえば外、上下でいえば上というあたりかもしれない。処世術では日本の伝統文化を否定するようなことはいわないが、「稼ぐが勝ち」の競争礼賛者である。貧困だって?アフリカに比べりゃましじゃないか。悔しかったら稼いでみろ…。儲けるためにはなんでもやってやる。餓死凍死過労死なんかしったこっちゃないね。安く使いたいので外国人もバンバン入れるね。今だけ俺だけ自分だけ。こういうのを本当は右翼とはいわない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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