この間ネットサーフィンとしていたら「妻だけ貧困」と言う記事を見つけた。
http://news.livedoor.com/article/detail/15450224/
普通、家計や社会を考えるとき、「世帯」という単位で考える。
世帯所得が多い世帯であれば家族全員裕福で、少ない世帯は家族全員が貧困というように…。
これは夫婦親子が互いに生活保持義務を果たしているということを前提にしている。
ところが世の中…この「あたりまえ」が必ずしも「あたりまえ」ではないのかもしれない。
ふと自分が子供の頃のことを考えてみる。
当時は都市部で普通だった方働き世帯なのだが、母が自分のためのお金を使っているのを見たことがない。本も料理の本以外は買ったこともなかったし、食事も父だけが豚肉、母と子供は鯨肉というのが普通だった。当時はそれがあたりまえだったし、別に母がそれで不幸だったというわけでもないだろう。
それから時代はずいぶん変わった。
世の中も豊かになって、専業主婦も自由な生活を謳歌していると思っていた。
カルチャーセンターの電車広告には「よくぞ女に生まれたり」なんていうのもあったし、なんの広告か忘れたが「週一度の外食と年一度の海外旅行は結婚時の約束よ」と女性が微笑んでいる写真を掲載しているものもあった。専業主婦を持つ男はなんて気前がよく優しいのだろうとひそかに感嘆したものだった。
でも考えてみれば女の意識も変われば男の意識も変わる。
女が平等を求めれば男もまた「平等」を求める。
冒頭の例ほど極端ではないにしても、同じ世帯の中で夫と妻とで生活水準が異なる家庭というのは意外にあるのかもしれない。婚活は別に生活保障のためにするものではないし、結婚は人生のゴールでもない。それは男も女も「平等」であろう。