|
カテゴリ:カテゴリ未分類
この間、朝のNHKニュースをみていたら米国中間選挙の話題を延々とやった後、どっかのお寺で精進料理の朝食を提供するという商売を始めたという「ニュース」とパンダの赤ちゃんの映像を放映していた。外国人単純労働の導入も水道民営化も国民生活に直結する問題なのに、なぜこうした国会で論戦になるようなことを報道しないのだろうか。これでは報道の役割を果たしているとはとてもいえない。
この間見た映画「華氏119度」をときどき思い返す。 民衆があきらめた時にファシズムが始まる…というのだが、あの選挙であきらめなければじゃあどうしろというのだろうか。選挙民にはとにかくトランプかヒラリーの選択しかなく、よりましなトランプを選んだだけである。二大政党に政治勢力が収れんする構造は結局のところ選挙民の選択を狭め、民主主義を機能不全にするだけではないか。ナチス躍進の前例があって評判が悪いのだが、比例代表制こそが民意をもっとも敏感に反映する選挙制度のように思うが、日本では比例区の縮小がさかんに論議され、世論(と言ってもマスコミの論調)もさかんに議員定数の削減を煽り立てる。議員の数を減らしたところで。別に「身を切る」ことにはならない。削られるのは参政権という国民すべてが18歳以上であれば老若男女かかわりなく、金持ちも貧乏人も平等にもてる権利なのですけど…。 米国の中間選挙では民主党から何人もの異色の候補が当選したという。 ネイティブアメリカン出身のLGBT女性とか。 でもなんか変だろう。そうした属性は政治的能力や信条とはなんのかかわりがない。 背の高い人が大統領になろうが議員になろうが、背の高い人の地位全般には関係ないのと同じことである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|