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NHKの朝ドラでは、戦前を舞台にして、当時の女性差別や家父長意識と戦うヒロインの姿が共感をよんでいるという。いまなお日本には女性差別があり、家父長的意識が根強く残っているという人もいる。そういう人に言わせると、憲法にはその第14条で平等をうたっているのにまだまだ日本には女性差別が…はて? 戦前の日本には師範学校など女子に開かれていた教育の場はあったし、高等師範のような高等教育の場もあった。そして世界でも珍しい女子医大も戦前からの歴史を誇る。弁護士や医師の試験は難関ではあったが、試験自体は平等公平であった。そういえば子供の頃にも女医さんというのはたまにいた。たしかに戦前には女性に門を閉ざしている世界は多かったし、志ある女性にとっては不本意な面もあったであろう。しかし、同時に兵役は男性だけであり、人口ピラミッドでみると、しばらく前までは、戦争に行った男性のところだけが大きくへこんでいた。戦場で死んだり、傷害を負った男性は多かったわけである。 さらに、現代では、女子に門を閉ざしている世界というものはほとんどない。女子に最初から門を閉ざしている世界はないし、ある私立医大で女子を不利に扱ったと言えば大変な社会問題になったのは記憶に新しい。そしてその一方では、国立の理系の入試で女子を優遇する動きもあり、こんな男子差別のやり方はさしたる議論もなく広がりつつある。どこかの県で公立高校が男女別になっているのは問題視されているが、女子限定の国立大学の存在は議論にもなっていないのも奇異だ。 能力を活かせないといういみでの女性差別というものはいまではほとんどなくなっているのではないか。ただ、だからといって別の問題がないわけではない。犯罪被害者に対する人権侵害のような報道が野放しになっているところや、望まぬ妊娠をした女性に対する支援機関や相談機関が不十分な点である。しかしこうした女性差別の被害者たちの声は、世の中であまり大きくならないようである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
>能力を活かせないといういみでの女性差別というものはいまではほとんどなくなっているのではないか。
現代社会は男女の力、処遇関係は総合的にみて、ほぼ均衡していると思われるが、近未来においては男女の力、処遇関係は過去と逆転し女性優位社会が訪れることでしょう。 何故ならば、有史以来現在まで、体育的能力が、女性に優る男性が優位にあったが、現在及び未来社会において、体育的能力が優るなどとという事は、社会生活を営む上で,機械化、AI化が進めば進むほど、殆んど人間生存力において優位性に意味がなくなるからです。 男女どちらが人間として賢明で社会力があり、状況変化対応力があるか。 其れは真面に考えれば男性より女性でしょう。 男性はよい大人がいつ迄たっても、如何に年を重ねても幼児性、未熟性を引きづって一個の自立した大人になり難い。 例えばブログ一つとっても、男性の場合,大抵が、他人から見ればどうでもよい、過去の自慢話か、身辺上の、おれはこんなによい暮らしているのだという下らない自慢話ばかりである。 その点七詩さんブログは、いわゆる過去を引きづる自慢話や身辺の暮らし自慢はないので、男性ブログとして稀有でしょう。 よって七詩さんは、未来の女性優位社会において、それなりの居場所、処遇を確保するかもしれない。 自慢話に終始している、幼児性、未熟性を引きづったままの、一個の自立した大人と為れない、例えば当ブログから退散して姿を消した諸氏(mなんちゃら、まなんちゃら、Rなんちゃら他)は、未来の女性優位社会で真っ先に淘汰されていく淋しき男たちと云えるでしょう。 (2024年05月15日 11時13分26秒)
・曙光さんへ
まあ、個人差だと思います。身辺雑記を書いている方は多いのですが、自慢というよりも、ああ、そうなのかなあと思って読めばよいと思いますよ。 リンクさせていただいている方の中にも、なんというか非常に知的水準の高そうな方もいるのですけど、それもこうした媒体の楽しみだと思います。 (turboさんの御健康は心配ですけど) 戦前は男女差別の厳しい時代で様々な場で女性に機会もなかったということがあったのですが、同時に男子には兵役の義務があって、大勢の人々が戦場で死んだり障害を負ったことも忘れてはならない歴史です。 戦後も女性差別はありましたが、今ではそうしたものは皆無といってもいいくらいになくなっています。むしろ様々な場で女性だから抜擢されたという例も目立っていますし。 (2024年05月15日 12時44分13秒) |