2011年6月
災害ボランティア【亘理5ごっこ】ねっむーーーーー!!!!こっち戻ってきたらどっと疲れがそして、こっちに戻ってくると、やっぱり変な感じになります…駅を歩いてて、電車に乗ってて、みんなが普通なので、不思議…もうボランティア症候群です。作業服を着た人、メットをかぶった人を見ると、ボランティアさんかと敏感に反応してしまう!いるわけないし(笑)それでは、今週の亘理での様子です。月曜日は台風の影響で、ボラセンも休み、作業も全面中止となりましたそれなので月曜発で夜中に着きました…東北道もだいぶ慣れたな~ボラ友がメールをいっぱいくれて、やっぱり待っててくれる人がいると道中のテンションも変わりますね到着後、放置テントの様子を見に行くと、やはり水溜まりが(涙)最初の住宅案件はハラグチさん宅のテントの水出し(涙)朝のマッチングが始まる前にタオルで水出ししました作業は、主にお宅清掃をしていました作業を選ばずに、なるべく色んなお手伝いがしたいです…遺留品の方にも、少し離れるかも…っというようなお話は5月にしました。避難所のお手伝いもほんとはしたいのですが、時間が…んーーーー自分のやれる範囲で、なんでもお手伝いしたいと思っています。週末熊谷、平日亘理の生活にだいぶ慣れました。あっちでの生活は一番自分らしくいれると思いました。大事なことが何か見つかったからかもしれません。どんな苦しい時も笑顔でいること。それが私ができることです。夜中2時に着いて、まずこのネタを(笑)寝袋をふくらませヘルメットを置いてわたしが横で話しかける振りすればまるで人がいるみたい~~~~!くだらないことが大好きです(笑)そーゆうのが大好きな人たちが集まっているので、わたしも毎日ネタ出し甲斐があります(笑)そんなんがいつも夜中3時頃まで続きます…でも、みんな7時に起きて、朝のマッチングもバッチリング!わたしは朝からもちろんハイテンションだし生徒のお母さんからいただいたバームクーヘンをボラ友さんにおすそわけしました私が持ってきたたくさんの可愛いプレートでみなさんにおもてなし↑100円ショップで買ったプレートは色違いで何枚かありますあ、茶柱ボラセンで、カレーのルーや、ツナ缶を大量にいただいて、ツナカレーにしましたいちごプレートも100円ショップのが大・中・小あります全部、キャンプ用でした(役だった笑)5月31日(火)は遺留品へ行きました。保管テントの中はこんな感じです!ずっらーーーーー自分が清掃したのが見つかるとなんかうれしいでも、それは、持ち主が現れないってことでもあるのですが……遺留品テントの隣の仮設の入居もだいぶ進んでいます重機が入り、側溝作りも始まりました遺留品テント作業も2週間いて、たくさんのことを学びました。わたしは、すべての案件を最低2週間はしようと思っています。今、住宅作業に行かせてただいているので、来週いっぱいお手伝いできたらして、次は避難所でもお手伝いができたらと思っています。わたしのボランティア活動の順番は、被災された人から遠いところから。被災された人の知らないことを覚えて、最後に情報をお届けできたらと思っています。遺留品で学んだことを、家主さんに伝えることができました遺留品テントのことを知らない人もまだいるんですそして、住宅清掃のことも学んで、避難所にいる方でもまだ住宅清掃されていない方に、頑張れば自宅がキレイになること、リフォームの提案。遺留品テントでキレイになった思い出の品があることをお伝えできたらと思っています。5月31日はすとう君の誕生日でしたおめでとう22才だったかな?基本、作業をしてるメンバー、寝泊まりしてるメンバーは20代、30代、40代、年齢関係なくみんなで和気あいあいとしています夜はおふざけが過ぎるけど、昼間の作業をしているみんなはガラリっと変わってほんと勇ましいです6月1日(水)泥だしから戻って来たら炊き出しがうれしす報告書を書いているリーダーの前で食う(笑)激寒の中の作業でした(T_T)みんなで震えながら頑張りました床下にネコが3匹いました窓ガラスを洗ってたらホースが暴れてびしょぬれでも、炊き出しの蕎麦をみんなでニコニコ食べて温まってます作業後のごはんはうまい依頼者の人に「キレイになった」って言っていただいてうれしかったです(^-^)6月2日(水)泥出しに行ってきましたほんと泥は隙間という隙間に、どんなところにもいます…床下のパイプ下のヘドロとのバトルでした…バールや小さいスコップを使ってなんとーかハプニングがありました…釘が刺さってしまいましたーそれもお尻に(泣笑)破傷風の予防接種をしてるので良かったです消毒だけしておきました依頼者がめっちゃ明るくて、作業したチームのメンバーも面白くて、現場はとても雰囲気よく作業が進みました6月3日(金)午前中作業をしました。継続のお宅でちょっとトラブルがあって…凹み一緒に作業をした愛媛の大学生とはお別れです(;_;)/~~~そして急いで新幹線で帰りました牛タン弁当食べましたボランティアさん向けの切符で、仙台~東京間はなんと5000円半額くらいで熊谷につきます夜はレッスンでーすボラ友からもらった、シール↓今日の亘理駅にて↓寝床も、作業も24時間一緒にいるかさいさん(38歳)ですボランティアの人たちはみんなほんと若い(笑)日曜に、はやぶさに乗って、青森に行きまーす一万円で一日乗り放題プラン使います夜に別荘に戻り、月曜に亘理で作業しますそうそうそうそう~~~~ある生徒のお母さんから、ボランティア志望のメールがきましたすご~~い~~ぜひぜひ一緒に作業しましょ~~~~(^O^)/ボランティアガイドをしてほしいという方はどうぞわたしに聞いてください~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6月5日 東北線ぶらり旅♪東日本パス(新幹線や普通電車が1日乗り放題)が購入できるのは来週からでしたしまったーでも、でも、旅好きにはこーゆうアクシデントはたまらんもの(笑)大宮駅窓口で「それでは、鈍行だとどれくらいですか?」と聞いたら、二人の駅員さんが口を揃えて「えっっ」って(笑)「在来線では7時間くらいかかりますので新幹線がオススメですが…」「7時間ですね仙台までの乗り換え案内出してください」印刷した紙を心配そうに二人が渡すので「大丈夫ですよ東海道線の旅とかしてたので長いのは好きなんです」と説明をしたら駅員さんうれしそうに「そうですかいってらっしゃいませ」っと言われました(笑)ただ長旅用の格好ではなかったので、駅構内ではまず最初に大事な靴探し…でも良いのが見付からずはやぶさのペットボトルを発見し購入(笑)鈍行乗りながらはやぶさボトルを持つイタイ子を演じます(笑)宇都宮行き↓黒磯行き↓郡山行き↓福島行き↓仙台行き乗り換えすべてが終点は燃えるんです鈍行の旅は南を攻めて、北も攻めたかったのでちょうどよかった2月の東海道線ひとり旅に続き東北線ひとり旅のはじまりはじまり~黒磯駅で乗り遅れました…列車の旅では乗り遅れも途中下車チャンス山菜そばを食べましたそばを食べながら東日本パスの広告を見て、、涙ってこんな自然に流れ出るもんなんだって驚いた。“あなたが旅を楽しむこともきっと誰かの力になる。”東日本パスは東日本エリアの観光地を元気にすること、復興支援、お見舞い、帰省などの目的に応えるきっぷなんです。実はわたし、最低な話、義援金は一円も入れたことがありません。セブンイレブンの募金箱の前に立って、数秒固まっちゃったの。私のお財布の中には千円も五千円も一万円もあるよ。でも百円を手にしてる自分が苦しかった。いっぱいいれられるのに…。今回のボランティアはその葛藤から始まりました。自分が持ってるものを全力で出す。お金、時間、体力、気力、笑顔どれも大したことないのかもしれないけど、出しきりたい。先日うれしかったことがありました。被災地の人に「目を見ればわかる」「あなたはとてもやさしい人」って言われた瞬間、涙が込み上げた。サイコーにうれしい。26年間の色んな気持ちが浄化された瞬間でした。私の口癖「何が正しいのかなんてわからないけど、やるしかない」ボランティア活動をしてても毎日がその葛藤ですが、いつか東北の人たちが心の底から笑える瞬間は絶対にわたしも一緒に笑える瞬間だって思ってる。もっと早くがんばらなくちゃ今度は2両の電車で(笑)郡山に向かってますよ~ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー床下もぐら隊出動!6月6日(月)山元町で作業をしました全員わたしのボラ友で、それもわたしは出会いに恵まれているのか、ボランティアさんの中でも最強メンバーさんと仲良しなんですいつもそれぞれでチームリーダーをやっている人が四人も集まっています日差しがカンカン照りの中、スコップ持って庭の泥!泥!泥!泥だし!一輪車に積みーの、土のう袋に積めーの、激オモを何往復したか…ヘルニアの腰が悲鳴をあげています。。でも、メンバーが全員知り合いってこともあり、作業の雰囲気もとても良かったですパワーもみなぎりました休憩の時に家主のお父さんがめっちゃたくさん差し入れしてくれて…ほんと…ありがたかったです。泥掘りをしてたら、ネギが何本か出て来て、それは津波で亡くなった奥さんが植えてたネギで。わたしはヘドロを取り除き、また植えました。最後にお父さんが萩の月の手土産までくれて。みんなで「お父さん悪いですよ!!!」って言ったら、お父さんが涙を流しながら「いいんだ、持っていってください。こんなにキレイになって、本当にありがとう。ほんとは一人で頑張ろうと思ったんだが、できなくて…」って言われた瞬間、みんな一斉に「お父さんはもう一人で十分頑張りましたよ!!私たちに頼ってください!」って。お父さんは家の中の泥だし、片付けを全部一人でやったんですよ。わたしは堪えきれず堪えきれず涙だらけ。最後にみんなでお父さんにギュッて握手して「いつでも呼んでください!また手伝いに来ます!」って言いました。山元町は1万6千人の人口で800人が亡くなりました。県外からのボランティアの受け入れが遅れたため、町の片付けはまだまだです。全国のみなさん。わたしみたいなマッチ棒女だって、頭に手拭い巻いて、必死こいて重い、重い、ヘドロと戦っています。全国に私よりも力のある人間、頑丈な人間は何人いますか私は、ここで出会ってる人間たちは一生の財産だと思っています。みんなで知らない人のために、一緒に汗だくになり、泥んこになり、泣いて泣いて泣いて全国に素敵な友達がたくさんできました。出会ってくれてほんとありがとうです。明日もあさっても、果てしなくみんなでがんばろうね6月10日(金)昨日、今日は継続の家の床下にもぐり、ヘドロ除去をしていました床下が低すぎヘッドライト、防塵めがね、マスク(N95)、カッパつなぎの全身装備をし、スコップ&土のうを持って高さ40センチの床下をほふく前進します男性は挟まってしまいます(笑)私は寝返りできるけど。一番の難所が、玄関の床下→台所の床下!!!抜けれるコンクリの隙間が幅60センチほどありますが、なんとど真ん中に柱が立っているという!!!(;O;)なので、うつぶせから体を縦にし、片腕を通してから、足で地面を蹴り、その隙間を通過!!!でも、出入りが大変なので、休憩時間も顔すれすれの床下でゴロゴロ(笑)ひんやりしてて実は気持ちいい。そのままなぜかもぐら隊仲間と恋愛トークに(笑)休憩後、ヘドロをかきかきしながら、もし冷蔵庫の中身がこれだったら何が作れるかゲームをしたりヘドロ完全除去し、めっちゃキレイになりました床下から出るときは通気口を通りましたが、おしりが挟まるもなんとか脱出もぐらさんはただいま新幹線で今夜のレッスンに向かっていますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6月12日 亘理6ごっこ「もうじしんは来ません。」ボラセンの笹の葉に無記名で書いてあったその短冊を見て、ボラ友と一緒に大泣き…。あんなにたくさんの人が苦しむのはもう嫌だよ。被災された方の気持ちなんてわかってあげたくてもわからない。だって、自分は被災してないから。それがすごくつらい。だから頑張るしかないんだって思ってる。「あやかちゃん少し休んだ方がいい」ってボラ友から言われるけど止まらない。1秒あればスコップを持てるし、10秒あれば床下にもぐれるし、1分あればヘドロにたどりつく。1秒あれば土のう袋を広げ、1秒あれば角スコをにぎり、1分あれば土のう1袋分のヘドロが片付くの。だから手を休めてなんかいられない。1日だって休めない。AKを始めてから1月3日以外は休んだことなんてないから、疲れるのは苦じゃない。「1月3日に休めるから平気だよ」↑作業休憩中に撮られた(笑)題して「熟れる前のちゅうり」ただ、最近、作業後は1秒で失神してしまうことが多い眠ってるというより、気を失う感じ亘理で絶対美容院に行こうと思って、別荘の近くの美容院に行ってきましたやさしいご主人と奥さんとトークをしながらカットちょっと会話が途切れた瞬間、意識が飛び、頭ぐらんぐらんの状態で奥さんがカラーリングをしてくれました(笑)ハッ!て起きて「すみません!!」って言ったら「眠ってて平気よ。疲れてるでしょ?」って優しい奥さん。。。そのまま思いっきり爆睡(笑)昨夜も、気が付いたら自宅の床にいて。え!?気絶したの!?って目覚めた(笑)真っ暗だったから寝ぼけて、床下と勘違いしてたし(汗)でも、ほんとボラ病になってる…レッスンに向かう途中の水田を見て(あーまだこの辺は津波が引いてないな~)とか思ってしまった瞬間、ハッ!!!って思った!夜間レッスンで20:30くらいになった時(ヤバイ!自衛隊風呂に向かわないと閉まる!!)っと反射的に思った自分ってっっ……完璧ボラ生活病…6月5日(日)新幹線の予定が鈍行にルート変更した時…東北になったら節電がなくなって、電車の中で寒くてパジャマ羽織ったし(笑)旅の服装じゃないな~ガーラガラ!これがローカル線の良い所(笑)1時間に一本しかないのも愛敬に思えてくる…(苦笑)まんまと乗り遅れた私。。。。岩沼駅で駅員さんに起こしてもらい(笑)降りたらボラ友が迎えに来てくれました竹駒神社?岩沼にあるのですが、日本3大稲荷のひとつとかっていうけど、行きたいな~でも、それをみんなに話したら「3番目はいっぱいあるんだよ」って言われた(笑)いちごっこでみんなとご飯鹿児島からのお友達もできました~~~(^O^)/鹿児島では有名なお方らしいです夜はみんなで飲みながらトランプ大会亘理の夜は飲む以外なにもすることがない…(苦笑)七並べの別ルールバージョンこれがめっちゃ難しい。。。自分の持ち札の数字が四方八方から挟まれたらダメ。その挟まれてしまった枚数で勝ち負けが決まるというもう寝よっか~って感じでポツポツと寝袋に入り朝1日の流れがボラセンに模造紙で展示されています↓朝8:30~夕方5:00ほんとお勤めと同じなんです(笑)それも内容は力作業~私の眼の下にもクマを二匹飼うわけでしょ(苦笑)でも、いい感じの筋トレになるんだよね~デッキブラシは腹筋使うしー床下ヘドロは背筋使うしー土のう運びは腕力使うしー激オモの一輪車は足腰使うし~(;一_一)もちづきさんが飾り付けをしたハイエースに資材を積み現場へ出発一輪車5台は積めるし、ハイエース欲しいな~~~~↑マスクはN95を↑「す」毎日の生活が和やかそうに見えますが。現実は現実。止まない余震。津波から逃げるため、どこに停める時も絶対バック駐車。トイレの使えない現場。車の台数を調整しながらトイレ休憩に向かいます。作業の現場もとうとう海に近付いてきました。本震から3カ月後に最大の余震が来ると言われています。わたしは現場に立つ時は愛犬の骨が入ったネックレスをお守り変わりに身に付けます。床下にもぐる時は、今までにない恐怖を味わいます。「海から徒歩3分の家。今、津波が来たら逃げれない。」床下にもぐった瞬間、恐怖で前に進めなかった。恐怖で息ができなかった。リーダーに「無理するな。やめるか?」と言われる。ヘッドライトの明かりが照らす大量のヘドロ。「行きます」と私は言う。リーダーが言う「もし、地震が来たら、必ず引っ張り出すから。」リーダーが頼もしいから、わたしは付いて行ける。一件のお宅のヘドロを出すのに2日はかかる。がんばってがんばって、キレイになった家を見て、家主が笑ってくれる。おじちゃんが、「今までの人生で涙を流すことなんてないんだけど」って言って…涙を流しながら「ほんとにありがとう」って言ってくれる握った手がなかなか離せないの。みんなでわんわん大泣きする。わたしたちは専門家じゃありません。なんにもわからない。励ます言葉だってみつからない。でも、「また手伝いに来ますからね」っていうとおうちの人が喜んでくれる。遺留品清掃を2週間やりました。住宅清掃も2週間やりきりました。作業中に新人のボランティアさんにも色々と教えることができました。壁紙の清掃の仕方、バールの使い方、窓のサッシの砂の落とし方、清掃の手順。ヘドロとの戦い方(笑)手作りの作業マニュアルも厚くなってきました。そして私は今週から北上します。自分の知識で他の土地の作業が円滑に進むかもしれない。多賀城に行った時のように新しい知識を色んなとこで得て、それを広められるかもしれない。今日、七ヶ浜町に電話をしました。「ありがとうございます。待っています。」と言われました。いっきますよ~~~~(^O^)/亘理のみんなにはお別れの報告をしました。でも、みんなサイコーの人たちなので、また熊谷に戻る金曜にでも立ち寄ろうかとも思ってます。下宿先であんなサイコーな環境はないな(笑)北上して、何が待ってるかわからないけど。どんなに辛くても絶対に立ち止まらないから。わたしが東北のヘドロを一片残らず片付けます。今日は、お父さんとお母さんが大泣きしながら、私を止めました。「もう、あやちゃんは十分やったよ!一人の国民がやる量をとっくに越えてるから!!もう行かないで!あやちゃんに何かあったら、お父さんとお母さんはどうしたらいいの?」わたしも大泣きして振り払った。「津波で家族が死んで一人ぼっちで片付けてる人を放っておくことできない!」お父さん、お母さんごめんね。今夜25時大宮西口発の高速バスで、宮城に向かいます。復興支援で片道2500円。日本全体が応援してくれてる。ありがたいわ。もうやるっきゃないよね。ある生徒のお母さんも来週岩手へ向かいます。いつか一緒にもぐら隊になりましょうね(^_-)-☆それでは、また更新しますーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6月18日 七ヶ浜 1ビーチ目今週はかなりのハードスケジュールでなかなか日記を更新できませんでした大宮→大河原の高速バスはとても快適でした4時間寝てたら着くし~トイレタイムも1時間に1回はあります今回はちゃんと楽旅スタイルで(笑)大河原から電車に乗って岩沼で乗換→亘理まで計30分朝6:00ボラ友がわたしのステラちゃんでお迎えに来てくれましたー(^O^)/そう、ステラちゃんは亘理に置き去りなの(笑)月曜は亘理で作業をしましためっちゃ広い庭のヘドロ除去…角スコがしゃがしゃ、ねこ(一輪車)で運びーのの往復わたしは午前で作業を終え、午後は七ヶ浜へ向かう準備に入りましたまず向かったのは、病院……そう、手首を怪我してしまいました~(>_<)泥が入ったねこを運んでる人が、横に倒れかけてしまって、それを反射的にガッと押さえたら・・・・手首を変にしてしまった・・・・でもまぁ重労働しに来てるわけだから怪我は覚悟だったわけでボランティア保険を使いました^_^;待合室で、寝まくって何度も看護師さんに起こされた(笑)医者の後は、うがい薬渡しを久々にやり、亘理看板娘復活(笑)そして、ステラちゃんの中にたまった洗濯物の片付け荷造りをして、七ヶ浜に行く準備万端その夜は、みんなとお別れ会~(?)亘理から七ヶ浜までは車で1時間半とみたが…8:30の受付に間に合うように6:30に出たが…やられた4号のアホみたいな渋滞!!!!!ぎゃ~~~~ん1m進むのに何分もかかるの(苦笑)そして、地図を片手に、標識を見ながら4号からぐにゃぐにゃと走り・・・ようやく七ヶ浜のボラセンに到着した時は9時走ってボラセンに飛び込んだけど・・・?あれ?なんか変な朝の会が始まってる(笑)「本日一番遠くから来た人は誰でしょうか~?」みたいな和やかなセンター(笑)亘理なら8:30のマッチングで案件の取り合いだけど…そして、大分県からの人が一番遠いとわかったら、次は体操が始まったんー。とりあえず、郷に入って郷に従えなので、わたしもみんなに混じって体操。そして、またまた違うトークが始まったので、トイレへ(笑)七ヶ浜のユニフォーム?はこんな感じです山元は赤亘理はリーダーさんだけ着る。緑。つなぎを脱いだり着たりするのに邪魔でなかなか付けませんが…そして、トイレから戻るとようやくマッチングスタート気合入れました(笑)七ヶ浜のやり方は、その日の案件をまず最初に発表することそれすごくいいわたしは基本なんでもやるけど、やっぱり適材適所もあるからね~そして、鈴木さん宅の床板はがし&床下泥出しの案件の募集が始まって、ソッコー挙手(笑)チームはほとんど男性そして、資材を積むのですが、自分は初めてでどこに何があるかわからないし、誰がリーダーかもわからず、とりあえず挙手してた人たちになんとか付いて行くだけ;アウェー――イまぁ逆にそーゆう方が観察好きの私は燃えるんですが(笑)なんとか置いていかれずにハイエースに飛び込み!ハイエースの中で軍足、長靴、つなぎにはき替え!バタバタ;チームの人が、わたしが初心者かと思ってマスクは絶対必要だよ~!とか色々アドバイスをしてくるんだけどこの装備を見たら、みんな、えーーー!ってまい工具箱まいバケツセットまいヘッドライト&ゴーグル↑これがN95のマスクです。七ヶ浜にもあってよかった「お仕事は何をされてるんですか?」っと聞かれ(笑)「白あり退治です」「やっぱり!」「うそです。ダンスインストラクターです(笑)」どっかーーーんの笑いをありがと(笑)そして、作業に取り掛かります。七ヶ浜すっげ~~~~なんと、工具が全部電動チェーンソーや、電動ドライバーやら…みるみると床下、壁をはがしていきます。。。おうちは丸裸…それも、不思議な資材を発見これ!!!!なんとセンターの手作りだそうです!!!!脚立脚立に立てるわけですねすばらしい!!!!わたしは床下もぐら隊なので、床下担当をしました今回の床下はかなり楽新築なので、床下が全部コンクリでも。せっかく建てたばかりのおうちが…家族の気持ちを考えるとかなりブルー。。。。海がま隣の家の床下にもぐるのはかなりの気合が入ります。まーもぐるけどね~~床下作業の様子を初公開みなさん参考にどうぞ。今回の床下は高さが50センチほどあったのですいすいもぐれました!3カ月も経ってると、ヘドロもいい感じに固まり!チリトリですくいやすいもうベロってしてますね!すくったら土のう袋に入れの繰り返し~↑もぐらの歩んだ道↓床下をはがしたところは普通に立ちながらヘドロ除去できます。2日間継続をして、ここまでキレイになりました~~~やっぱり休憩は床下で(笑)爆睡した~~作業チームから『もぐら子ちゃん』というあだ名が付きました(笑)そして、このセンターの特徴が、昼休みはセンターに一度全員戻るんですそして、無料でカップ麺、牛乳などが自由にいただけます!↓センター前のうさぎちゃんと2日間の七ヶ浜、たくさんの人と交流をしました。1日目には国際村のお祭りに連れていってもらいましたバーベキュー、もつ煮、海鮮丼、生姜焼きの無料炊き出しを全部制覇しました食い過ぎって言われた(笑)七ヶ浜パート2へとつづきます・・・・・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー七ヶ浜2ビーチ目は~レッスンから帰ってきました~。これからイベントのミーティング手首がパンパンに固まってしまってる痛みがあると、どこを使ってるかってわかるロールは大丈夫だけど、フローリッシュは手首を360℃使うんだとわかった(@_@;)サムフリップはひねる時の手首への負担が半端ないんだってわかった(@_@;)車のエンジンをかけるだけでも手首って使うんだ=(苦笑)ほほ~って言ってないでアイシングーーー・・・・学生の時からテーピングとはまさに切っても切り離せない関係なので、スポーツテーピングの勉強を趣味でしていました手首の保護の仕方、痛みがある時の巻き方、膝や、指、外反母趾などなどの巻き方は得意ですテーピングって怪我の防止や、応急処置などの目的で使われますが、実はメンタル的な意味で巻くんですよまた怪我をするっていう恐怖心をケアする役割も同じく手首を怪我したボランティアさんにもテーピングを巻いてあげたりしてるので、無駄になる知識はないなーっと思いました(^O^)/前回のつづき2日目の夜は作業チームから野外での飲み会に誘ってもらいアメリカからボランティアに来た、レイの通訳をまかされました~そして寝床はというと、ボラセンの隣にあるきずな館というボランティア専用の宿泊所に泊まりました500円で、朝・昼・晩の食事が付きます。↓長期でいる方が担当分けしてご飯を作ってくれますが、私も焼きおにぎりのお手伝いをしましたシャワーは隣のサッカー競技場で使えますそして畳の部屋で毛布の貸し出しもありぐっすりです↓色んなものがセルフで使えます↓作業で使うカッパや長靴もきずな館で貸出他のセンターも貸出ありますが、宿泊所が貸し出してるのは初めて見た(笑)そして、このきずな館のすごいところは…なんとーーー無線LANが使えるパソコンがあったらよかったな~あやか先生色々調べて行ってる~と思うかもしれませんが、常に行きあたりバッタリですよなぜなら、県外からボランティアを募集してるということは、ボラセンもそれなりの準備をしてるわけですからボラセンの掲示板を見ればなんでも情報はありますなので、全国の皆さん、もっと気軽にボランティアにむかってくださいセンターには無料貸出自転車もこの自転車はボランティアの自転車屋さんが直したんですよ~(貸すって字が違うのも…これもまたご愛敬ってことで(笑))センターは高台にあり被害を受けず、こんな素敵な緑に囲まれているんです七ヶ浜はとてもキレイな町です。高台の町はジブリに出てきそうです。夜は長期の人が集まってるミーティングに参加させてもらいその日の作業の情報交換をしました作業をもう一度見直し、みんな意見を出し合う。とても良い機会だなって思いました。私も2ヶ月間のキャリアを活かし、作業についての注意点や、スタンスなどをお伝えしました。みんなが悩んでいることは一緒。今回、ボランティアの情報収集のため一人北上しました。ほんとに勉強になりました。ボラセンには規律がなく、その町の人たち、ボランティアさんで作り上げているものだから、環境はまったく違います。だから、良いところは吸収し、それを他のセンターに広げたり、気になる点が見つかった場合は、私の情報を渡したりと、お互いで支え合い、それが作業の効率化となり、被災された方への手助けになればと思いました。亘理のみんながわたしのことを心配していてくれて(;_;)ほんとにありがたいです。何度も「心配だから戻ってきなさい!」って連絡をもらいました(>_<;)実際、北上する時は、車の中で恐くて涙が出ました。信頼できるチームから一人離れて、どーなってるのかわからない被災地、ボラセンに飛び込むことはまるで戦地へ向かうような…。でも、キレイになっていく亘理、ボランティアとしては恵まれてる環境にいて、震災が風化していく自分や、世間を見過ごすことはできませんでした。地元で出会った酔っ払いのおじさんが「亘理を見てちゃいけね」と言われて、他の土地にも行こうと決めて実際行ってよかったです。七ヶ浜 3ビーチ目へつづくーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー6月19日 七ヶ浜3ビーチ目あら、結局先週末はバタバタしてたら、保存してあった3ビーチ目をアップする時間がありませんでした今週末もまさにドロドロウィークでしたが、先に七ヶ浜を七ヶ浜つづきあれから、七ヶ浜の地元の子と友達になって、その子が「海に行く?」って言ってきてわたしは「海は憎くて見たくない」と言ったら「そう?」って言われた瞬間ハッとしました。この人たちは海にすべてを奪われたけど、それでも海と一緒に生きて行くんだって。被災地に来て、初めて海に行きました。この穏やかな海が、信じられない。何もかもを奪って、たくさんの人が苦しんで。曲がったフェンスがその威力を物語っています。海の方に折れ曲がっているということは、一波が引いた時のものかな…すべてのものを海に引っ張って行った。亘理の人が北海道の海で発見されたんだって。津波に負けじと立つ松の木。綺麗な花が咲いていて。自然だけが時間を刻んでるんだと感じました。私は週末熊谷に戻ってきた時は、テレビは一切つけません。つけたくない。だって、なんもおもしろくない。全部が嘘っぱち。わたしは毎日、この環境の中で暮らしています。これが日本なんです。全国のみなさん忘れてませんか?芸人が言ってるギャグと同じような感覚でいませんか?見飽きたら興味が薄れる。あの3月11日、関東でだって、地震で恐い思い、不便な思いをした人だっていっぱいいるはず。私たちは平和ボケをしています。ただ、それでも、わたしたちは自分の祖父母から戦時中のことを聞きながら育ったと思います。今の子たちは生きる術を、誰から学べばいいのでしょうか。今の人たちは、あれがいい、これがいい、あれがヤダ、これがヤダ、しかわからない時代のような気がする…。20代、30代、40代の人が行かないと!!!!!1日だけでもいいです。景色がおかしいだけで、実際その地に立つとなんも恐くありませんから。私みたいな、フッツーのへなちょこ女が行けるわけですよ作業が終わったら普通にスーパーで寿司とか買って食べてます。まるまつとか行ってそば食べてます。ゲオでなんか借りようかな~とか考えてるわけです。100円ショップで文房具を買ってるわけです。近くのスタンドに行ってガソリン入れてるわけです。コインランドリーで友と語ってるわけです。ウォッシュレット付きのトイレにいつも入ってるわけですよ。こっちの生活となーーーーんも変わりません。いや、私的には熊谷にいるよりも恵まれてるという(笑)ボランティア始めて2カ月で5キロも太ったわけですよ!!!!どれだけ、環境が普通か。普通じゃないのは現場だけです。生活は全く問題ありません。作業をしなくても、見に行くだけでも行ってください。観光化してるとか非難あるけど、それでもいいと思う。あっちでお金を使って来てくれるなら。ボラセンに家主さんから手紙が届きました。「まだまだ先は長いですが、日本人に生まれてよかったと思う毎日。」この手紙を読んでなんとも言い表せない感情でただ、涙ばっか出ました。あんな目にあったのに、日本人に生まれてよかったって。そう思ってくれるんだって。ボランティア仲間のみんなみんなのおかげだよ24時間一緒にいて、ふざけ合う仲間で忘れてたけど、あの人たちはわたしの誇りです。ボランティアさんは一度地元に帰っても、2日後、1週間後、1ヶ月後に必ず戻ってくる。それはやっぱり、人が幸せなのが 人は好き なんだってこと。どんなに大変なこともがんばれるんだってわかった。こどもの時から父親に、わがままを言うと、世界のこどもたちと自分の立場を比較されていた意味がようやく理解できた。先週の父の日はお父さんにありがとうって伝えました。