2011年11月
ボラシーズン2【山元・陸前】はッ!岩手から帰ってきてすでに一カ月が経過毎日バタバ~タとしていると時間が経つのが早いねー(@_@)災害ボランティアセカンドシーズン岩手県10月1日~7日まで行ってきました9月末はステラの準備~オイル交換して~洗車して~よしよしして~(笑)市役所に一関までの災車(災害派遣車両無料申請)をとりにいってきたけど…いつも申請は亘理役場でしてたから、今回熊谷でするのは初時間かかるわ~他の役所は、ちゃちゃっと作るけど、それだけ利用者が少ないってことですね…高速代無料になるんだから、みんなやればいいのに観光のついでにボラすればいいんだよ(^。^)わたしは今回、世界遺産平泉に行くのが目的だったしいつもぎつぎつのボラプランだったけど、それじゃダメだって気付いた。ちゃんと、見なきゃっ、知らなきゃって。9月30日の深夜冬支度をステラに無理やり積め込み(笑)出発久しぶりの東北道興奮したそれも今回はボラ仲間のりょうくんとのカーチェイスだったから道中楽しかった~那須高原でレモン牛乳アイス~服装は思いっきりボラ気合スタイル(笑)ボラ1日目【山元町】今回は経由プランなので、白石でおりて、亘理に行きましたひっさしぶり~~亘理はもう作業はないので、となりの山元町で寝不足新規案件やっぱり、頭に手ぬぐい、つなぎは私に合ってるなー。山元では線路(常磐線)の海側の作業が入れるようになりました。ずっとずっと待ってた依頼主さん。作業をさせていただいた佐藤さん宅。まず、作業の順序は大まかに、壁はがし→床はがし→床下泥出しなんです。バールを使い、壁を思いっきり叩き、はがしていきます。この時、木を傷つけないように、家の設計を考えながら、バールで叩く。例えば、床に近い部分には筋交いはないわけだから、ここにバールを打ちこむ。そして、空いた穴から腕を突っ込み、筋交いを探し、バールで壁に目印をつけて、壊していく。のが私のやり方。そして、壁をはがしながら、築何年かも予想できるようになってた…壁が堅過ぎて…築8年くらいかな~っと思ってたら、築9年だそうで。まだキレイで新しい大切な家。わたしは、似たような経験をしてる分。今回の悲しみもいつか癒える日が必ず来るよ。と心の中でいつも思ってる。今、悲しんでる相手には言えないけど。今回の作業でガッカリだったのが、騒ぎながらやっている若者集団。私より少し下くらいの子たちだったかな。柱を傷つけ過ぎ。そりゃ、新しく壁を張ればわからないかもしれないけど、作業を見た依頼主さんがどう思うか。素人だって丁寧にやれるはずなのに。リーダーさんが落ち込んでたけど、近くにいたわたしの監督不足。ほんと申し訳なかった…。この日は壁はがしで終了し、継続。私は亘理のボラセンにまだ残されてた「沸幸の湯」でシャワーを浴びて、別荘で仮眠深夜12時に出発津波の時に、水が一気に引いたと言われる阿武隈川で手を合わせて。涙を拭いて亘理を発つ。ナビなんてないけど、地図を見るのが大好き!標識見るのが大好き!ドライブ大好きしか~~~しほんと冒険でした(>_<)一関を降りて、陸前に向かう343号がすごい山道で~恐ろしかったです明かりもまったくなく、自分の車のライトのみ2時間程走り、ようやく町が見えて来たっと思ったら・・・様子がおかしい。ぐちゃぐちゃのガードレールと車が転がってました。。。背中がゾッとしました…被災地でずっと暮らしてたけど、よく考えたら夜の被災地を走るのは初。それも真っ暗…。無我夢中で走っていたら、ライトに写ったこの看板まっくら・・・・・近くに見えた明かりが、自動販売機がある「川の駅」ビビりながら車中泊をしてたら、近づく人影が…ギャーーーっと悲鳴をあげたら、地元警察の方でした~~!事情を説明して、近くのコンビニまで誘導してもらいました~~救われた~~(笑)パトカーが≪ここだよ≫のハザード☆わたしが≪ありがとう≫のクラクション☆これもステキな経験だ。夜が明けて、ボラ2日目【陸前高田市】陸前高田市では9月の時点で死亡・行方不明者1900人。津波被害としては最大。リアス式海岸の恐怖の津波が襲った。波が増幅して、海面から30メートル以上の波が町を襲いました。たくさん、たくさん海に奪われたよ。マッチングの時に言われたこと。「ボランティアの作業中に、遺体が毎日見つかっています。遺体を見つけた場合は・・・」っと説明が入って、衝撃でした。今まで、宮城でボランティアをしていて、そんな説明を受けたことなかったから。ボランティアボケしてた。見つけてあげたいけど、こわいよ。わたしが初日に作業した場所。この草むらの中の瓦礫撤去。関西のおじさんたちと仲良くなって、作業も疲れずにできました。お昼ごはんを食べた場所はこんなとこ。中学生が、空いてるスペースでネットを張って部活をしていた。その姿を被災していないこどもたちに見せたい。同じように失うことなんてできないんだから、せめて、自分以外の同じ歳くらいの子の存在も考えること。それは大人もそうだよね。こうゆう姿を見ると。ほんと自分のことしか考えてない人って、見てて虚しいなーっと思った。もっと必死になることがあるはずなのに、自分のことだけに必死になっていたり。それで人に迷惑かけたりしたらさらに最悪。でも、そうゆう人に迷惑かけられても「それの何がそんなに大事なの??」結構、わかってる人ってわかってる。割り切りながら、生きてる人ってオーラでわかる。そうゆう人間になりたい。だから、26年間、おしゃれや、踊りや、仕事に夢中になりすぎたり、自分のことしか考えてない人生だったから、今、ばん回ができたら…そしたら、埋め合わせできるかな。もし、この草むらの中で、誰かの大切な人を見つけてしまったら、悲鳴あげるかもしれない。大泣きするかもしれない。今のどうしようもないわたしには、どうしようもない反応しかできないかもしれないけど。ちょっとたったら、きっと手を合わせられる。誠意を持って作業をする。--------------------------作業が終わって、一緒に作業をした人たちに無料温泉に連れていってもらいました温泉に入って、地元の人たちとお話しました。おばあちゃんに「あら、ボランティアさんかい?」「はい、そうです!」「ほんとありがとうね。うちも家が亡くなっちゃって。でも、ボランティアさんが来てくれてうれしかったよ。もし、あんたたちの方で何かあったら、飛んで行くからね。こんなよぼよぼだし、全部なくなっちゃったから、何もあげれないかもだけど…」って言われて、涙が止まりませんでした。「おばあちゃん。ありがとう。」人に感謝をする時って、どんな時でもできるのかな。わたしは、わからない。自分がつらい思いをしていたら、人に感謝をする余裕なんてないかもしれない。そんな時なのに、見ず知らずのわたしにありがとうって言ってくれるなんて。大切。ありがとう。---------------------------陸前で泊まった場所は『住田基地』という、基地なのか?元学校で、震災後はボランティアの宿泊施設になっています無料です設備も整っています洗濯機、乾燥機、お風呂、キッチン、支援物資豊富、寝袋貸出最高の施設です~~~宿泊している皆さんで、ご飯食べて、お酒飲んでつづく・・・・・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー11月9日 陸前・大船渡ボラ3日目【陸前高田市】亘理で一緒に作業をしていて、関東でも週一くらいで遊んでる大好きなまみこさんと合流ですいやーほんとつなぎがさまになってきてる(笑)私服化しようかな(笑)陸前2日目は家案件に入りました。陸前でも、一番復興が遅れている区域です。そこにつながっていた橋が津波でなくなり、自衛隊さんたちも入れずに、地元の人たちだけで行方不明者を捜索してたそうです。たくさんの悲しみを抱えた方がいる区域です。お世話になったのは伊藤さん宅。笑顔がすてきな、とてもやさしいお父さんのおうち。津波はこの塀を越えて、家の中まで入ってきました。伊藤さんは、娘さんを津波で亡くされました。青森まで探しにいったそうです。でも、陸前から電話があり、娘さんが見つかりました。一緒にいた、伊藤さんのお姉さんも、お子さんを津波で失っていました。わたしたちにできることは、伊藤さんたちが、わたしたちにしてほしいと思うことを精いっぱいにやること。あやかリーダーで片付けました。伊藤さんが最後、「キレイになった!キレイになった!」って喜んでくれました。よかったです。------------------------------陸前はこの日で最後。ボラセンの中↓日が暮れると真っ暗になってしまうので、早めにお風呂に入って、ブラブラ~あの有名な陸前の一本松を見て来ましたこの松が、町の復興を助けてくれるはず。きっとたくさんの人たちが訪れるよ。長く、長く、生きて欲しいな。町には仮設のお店がいっぱいありますみんなががんばってる。わたしもがんばる。チーム住田の一番若い人、アマノさん(36)大阪からバイクでやってきた兄ちゃん~仲良くなって記念撮影ボラについて熱く語りました~~~---------------------------ボラ4日目【大船渡市】陸前の隣にあります今まで、たくさんの「人」と関わる作業をしてきましたが、ここでは初めての作業なんと河川の瓦礫撤去この川なんとーーー!!!!!鮭~~~~~~鮭の産卵シーズンで足元を鮭が何匹も泳いできて感動カメラマンダイバーさんが待ち伏せ現場はとても和やかに作業が進み、川もキレイになりました今回の作業チームのみなさんとパシャリ鮭が毎年戻ってきてくれるといいな~~~(@^^)/~~~ボランティアダイバーさんたちは、海の瓦礫撤去をしていたりと、壮大そうだよね…瓦礫は海にだってあるよね…世界が広がった大船渡はこの日で終わり。5日目は平泉観光の予定。陸前、大船渡を走っていて、よく目にしたのがこの標識。震災の前にできた標識。でも、今回の津波は予想をはるかに超え、たくさんの町を襲いました。つづくーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー11月13日 世界遺産平泉5日目【平泉】4月から始めたボランティア。関東と東北の往復でいっぱいいっぱいで。作業に夢中になり、まったく観光っぽいことしてませんでした東北でお金をまったく使ってきていないという…そこで、丸一日を観光に使おう!っということで、大船渡の役所での災車申請は『平泉前沢→白石→羽生』にしましたいや~一瞬で、それも手ぶらで申請書できて楽チンだったよ~そして、ボラも終わり、一人旅モード全開でわくわく(まみこさんとはまた関東で会いましょうってことでお別れしました!)車内物干しは、地図干しにも変わります(笑)真っ暗な中、時間を気にせず、何も気にせず、ただただ、知らない道を思うがままに走るのは大興奮しかし、あの343号は走りたくない…っといいますか、山道はつまらないのでルート変更目的は、気仙沼も見てこようと思い南下して、海沿いの45号をガ―――っと走って284号を通り、平泉まで行く作戦るんるんでドライブ右も左もてきと~てきと~♪そしたら・・・・・あちゃー!釜石???逆走!北上してました(笑)まー確かに、オリオン座の見える方向がおかしいな~っとは思ってたけど~(笑)でも、いちいち写メをとっちゃうくらいのご機嫌でしたこれが旅の醍醐味しばらく走ってるとこんなの発見…自分の心はだませない。そう。わたしは偽りの弱さを知っている。だから、あるがままの心で走る。45号線。陸前の下はすぐ気仙沼なのですが。信号待ちで驚きました。暗くて気付かなかったけど、隣の建物が被災していた。国道の真隣がだよ。宮城の場合、交通量の多い6号や4号は海からはすごく離れてるからそんなことはない。被災した道路を夜になんて誰も走らない。でも、ここは違う。たくさんの車が走ってた。住宅街の中に入り、車を停めた。海沿いを走ってるのはわかってた。でも、暗くて、、街があるな~くらいにしか思ってなかった。真っ暗の中で、建物をよく見ると、窓ガラスもない。家具もない。明かりがない。人が住んでいない。手を合わせようと思い、塩の香りがする川の橋に立ち手を合わせようと下を向いたビックリして、震えて動けなくなった。なんとわたしが立っていた橋に、船がささっていたのだ。≪崩れる!!!!≫っと思い、ゆっくりと橋を戻り、車に乗り込む。震えが止まらなかった。運転ができなかった。ただ、こわかった。ここが【被災地】わたしは今、ここに立っている。たくさんの人たちが震えている。忘れない。忘れることなんてできるわけないじゃん。一日だって、一秒だって忘れたことなんてない。--------------車に乗り、45号を南下。しばらく走って、車を停め、手を合わせる。気仙沼。(観光を中止して、作業しようかな…。)っと思ってしまった。でも、ダメ。自分を守らないと。今回のボランティアは自分の心を守ることを第一優先にした。陸前で、伊藤さん宅で作業をした晩、苦しくて、お腹が痛くなって眠れなくなっちゃった。このままじゃまた元に戻っちゃう。震災から目を背ける自分に。-----------------------45号を走りすぎ、南三陸まで行きそうになりUターーーーン284号にやっと入り…内陸を走る。ここで心の調整をしなくちゃいけない。どの建物を見ても、被災していると思ってしまう。でも、被災しているわけがない。284号は私にとって、調整の時間だった。--------------------心も慣れて来たところで、大きな道の駅で車中泊しかーーーし・・・・あまりの極寒にほとんど眠れなかった10月、岩手の気温は最低3℃でした3時間くらい寝て、出発(笑;)1時間ほど走り、平泉に突入夜明け。キレイすぎる。平泉中尊寺の駐車場で仮眠をし…いざ!中尊寺その前に…中尊寺のお勉強をしようと思い、歴史館へ弁慶真似してみた(笑)わたし、美術館とか博物館、歴史館などは大大大好き館内は古めかし~~感じで、私だけしかいなかった…。歴史館で藤原家のお勉強して、昼食ジャジャ麺!モチドッグ!おいしかった~~ヽ(^。^)ノそして、いよいよ本堂に向けて800メートルを上りますお年寄りは大変そうでした(><;)パンプスで登ってる人がいたけど、足痛くないのかな…っとなぞでした。そして~~~でで~~~ん中尊寺本堂世界いえ~~~い撮ってもらった(笑)そして、本堂からもう少し登ると金色堂きんぴかきんでした…。圧倒されましたが、わたしはあまり好きではないかも…ですでも、あの金は一生に一度は見ておきたいものだと思いました。金色堂の中には藤原四代遺体が眠っているんですよミイラの資料も見ました。これは…やっぱり、一度は見に行ってください。不思議な力を感じます。歴史に名を残した人物が目の前で眠っているとなるとね。何も感じずにはいられん・・・・お土産を大量に買って、お金を使ってきました~~東北復興~~~そして、平泉前沢インターから乗り、白石でおりて、いちご別荘へ一泊して関東へ帰る予定でしたが…雨がすごかったこともあり、、、、6日目予定外の山元作業(^O^)/つづくーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー11月14日 山元(完)ボラ6日目【山元町】いちご別荘に一緒に泊まってるリーダーさんが「人手が足りなくて…」っということで、現場に入りました1日目に作業に入った佐藤さん宅の継続です作業は壁はがしがキレイに終わっていて、床板はがし、床下泥出しに入りますヘドロを出したキレイな床下↓↓床下からお客さん!!!!雷魚が!!!!キバがすごい!!!!↑↑男性陣がこのバスタブも撤去しました!これが津波の痕跡です。↑以前、若者集団が中途半端に残していった石膏ボードをはがしました。佐藤さんは、ボランティアさんに対して「何を出したらいいのかわからなくて」「こんなものでいいですか??」って毎回心配していました。。。だから「お気になさらないでください」って伝えました。そう、わたしたちは別に特別な存在じゃない。ちょっと離れたところから来ただけで、その辺の人間なんです。止まったままの常磐線。線路は草で覆われています。作業を終えて、ボラセンに帰ったらなんとーー!!はらこ飯と豚汁の炊き出しが~~しあわせ~~~\(^o^)/-------------------深夜1時に亘理発ボランティアさんの仮眠ポイント国見SAで仮眠~~そして、ボランティアさんでよく話題になる佐野SAでの佐野ラーメンうまい~~~そして、ラーメンを食べてたら、自衛隊さんがいっぱい入ってきて。。。涙が溢れ出てきた。。。自衛隊さんありがとう。わたしたちボランティアにできることは少なすぎる。。。自衛隊さんがたくさんたくさん助けてくれた。たくさんの人たちが救われた。自衛隊さんを見て涙が出る。こんな日が来るなんて思いもしなかった。これからわたしには何ができるだろう。考えます。これにて、ボランティアシーズン2は終わり。そしてわたし、亘理ボラセンのチャリティーTシャツのイメージガールになっています☆亘理Tシャツ☆みなさ~~ん!是非GETよろしくです~そして、引き続きこちらもアップ~~わたしがずっと活動してきた亘理町の動画。亘理ボラセンが作成しましたわたしが出てくるよ☆*亘理 動画*