カテゴリ:🔴 C【中国】 尖閣 台湾有事
1882年 壬午事変。中朝(清鮮)商民水陸貿易章程zh:中朝商民水陸貿易章程を結ぶ。[1]。
1884年 甲申政変、清軍の介入により開化派のクーデターは失敗に終わる。 1885年 天津条約 (1885年4月)、日本と清は朝鮮に出兵する場合は相互通知。 1885年 興宣大院君が袁世凱に伴われて帰国。 1885年 清鮮電信協約。 1894年 甲午農民戦争(東学党の乱)。大院君派と閔妃派の対立が深まる。朝鮮は日清戦争で戦場となる。甲午改革(~1896年)。 1895年 日清戦争で清が敗れ、下関条約で朝鮮が独立国であることを確認。朝鮮から清への貢・献上・典礼等は廃止される。 1896年 朝鮮独自の年号建陽。 1897年 朝鮮は清の冊封体制から離脱し、朝鮮国から大韓帝国と国号を改め、皇帝を名乗る。10月12日圜丘壇で皇帝即位式。 1909年 間島協約、朝鮮と清の国境が定まる。 1910年 韓国併合、日本に併合。 1931年 万宝山事件、朝鮮排華事件。 第二次世界大戦後、朝鮮半島は米国とソ連が分割占領し、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができた。朝鮮戦争には中国も参戦し、大きな被害を出した。 1948年 大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国ができる。 1950年6月25日 北朝鮮の朝鮮人民軍が北緯38度線を南侵し朝鮮戦争が勃発。 1950年10月~ 中国共産党の義勇軍が朝鮮戦争に参加。 1952年 中国が以前の間島を延辺朝鮮族自治区とする。 1953年7月27日 板門店で停戦協定が調印され、現在の軍事境界線が敷かれる。 1955年 延辺朝鮮族自治区が延辺朝鮮族自治州となる。 1956年8月29日 朝鮮民主主義人民共和国で、ソ連派のパク・チャンオク、延安派のチェ・ジャンイクなどが粛清される。 1958年10月 北朝鮮在駐中国人民義勇軍が撤退[1]。 1961年7月11日 中朝友好協力相互援助条約。 1966年8月 北朝鮮が中国批判。 1970年4月 周恩来首相が12年ぶりに北朝鮮訪問。 1975年4月 金日成が中国訪問。 1987年11月29日 大韓航空機爆破事件発生。 1987年11月 中国はソウルオリンピック参加を正式決定。 大韓航空機爆破事件は北朝鮮が国家ぐるみで実施したテロ行為だった。これはソ連や中国といった旧“東側”の有力国家のコントロールを離れて行ったもので、ソ連共産党の下に団結を呼びかける東側の体制では受け入れられず、その上で朝鮮半島有事には中ソの支援を要求するという身勝手ぶりにソ連と中国は北朝鮮と距離をとるようになった。当初ボイコットをほのめかしていたソウルオリンピックに北朝鮮以外の東側国家が参加を表明したのも、この一連の流れが原因である。なお、ソ連は当時すでにゴルバチョフ政権となっており、ペレストロイカ・グラスノスチといった改革に着手しており、北朝鮮や東ドイツなどといった依然とした強権政治を行う国とは関係が悪化していた。ソ連は中国に先立って1990年に韓国と国交を樹立している。 1992年 韓国と中国が国交樹立、台湾とは断交。 国交樹立以後、韓国と中国の貿易が拡大しているが、一方で蘇岩礁(離於島)の領土問題がある お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.11.05 19:53:46
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