人類史 日本人の成り立ち
順不同で,思いついたことを書いて行く私が間違っている場合は,その旨、コメントください◆ 東アフリカの密林が草原になってしまった話の続き密林に住んでいたサルは、密林の樹上で生活していたのだが草原に降りる事になると,困ることになる樹上では果実や葉っぱを食べていたのだが草原では,食べるものが無い取り合えず、肉食の野獣が食べ残した肉などを食べたその事によって,大量のタンパク質を摂取結果として,脳の容量が大きくなり、頭もよくなったというしかし、突然変異の結果、脳の容積が大きくなったとも言うどっちが先か?どちらが可能性が強いか?これは、よくわからない進化論の問題なのだが草原で肉食獣を避けて移動するには直立歩行が有利直立歩行が可能な骨格、特に、骨盤の形状が変化したサルが生存的に有利で,数が増え進化したというしかし、これも、突然変異の結果、適者生存で増えた種が増えて進化したという考えもあるこれも、どちらが可能性が強いのか?よくわからない樹上生活に於いても、だんだん樹木が少なくなると樹から樹へ飛び移る必要が出て来たそのためには、遠近感のある視覚が必要そのためには、顔面が平面的になって眼が並んでいる方が有利そういう種が生存に有利だったようだ肉食獣の余り物で生き延びていたサルも種類が分岐して、木の根や根菜を主食にする種も出て来て肉食系と菜食系に分かれた菜食系は,固い木の根や根菜をかみ砕くために丈夫なあごと歯が必要で、大きな顔の種になったがこの種は、食物を摂取する効率が悪く?やがて絶滅する◆ サルは,既に直立歩行して、猿人に昇格する人類の歴史はサル → 猿人 → 原人 → 旧人 → 新人 → 現生人類こういう形で進化するこれらをすべて人類とすれば、人類は,約20種類あまりいたらしいしかしわれわれ現生人類をのぞいて,すべて過去に絶滅した最後に絶滅したのはネアンデルタール人数万年前、欧州で繁殖した(笑)人類だが現生人類とかなりの期間、共存したらしい彼らは数万年前に欧州入りしたがその時代は,寒冷期だったので肌は白かったらしい体格は,背はやや低いが,非常にたくましく指輪物語に出て来るドワーフのような感じだったらしいネアンデルタール人という名称は,彼ら自身がそうな乗ったわけではなく(笑)ドイツのネアンデル渓谷で最初に骨が発見されたので,そう命名されたタールとはドイツ語で渓谷ケルト語でデールが渓谷だが,同根の単語らしいネアンデルタール人は,現生人類とある期間共存していたので混血したのでは無いかという疑問がある以前は,混血しなかったというのが定説だったがこのごろは、DNA研究が進んで混合した可能性があるという意見が多くなっているネアンデルタール人が絶滅した理由はハッキリとはわからないがたぶん、現生人類との生存競争に敗れたのではないかという説が強いその理由の一つに、ネアンデルタール人は,現生人類に比較してコミュニケーション能力が劣っていたのではないかという説があるネアンデルタール人の口腔の形状から、母音をハッキリ発音しにくかったのでは無いか?と言う説がある当時のコミュニケーション手段は無線とかPCとかではないから(笑)言葉であるマンモスなどの獲物を狩猟する場合、人間は集団で狩りをするそのためには、コミュニケーションが必須である食糧を確保できなければ生存に不利である総じて、ネアンデルタール人は知能の面でも現生人類に劣っていたのではないかというのが定説だったがこのごろは、異論が出ているネアンデルタール人の墓というものが発見されその墓には,ネアンデルタール人がていねいに埋葬されている遺体の周辺には,貝殻で作った数珠状のネックレスなどの芸術的なものが置かれていて彼ら同士の家族意識やお互いの愛情が現生人類に劣らず、あったのではないかというのであるさらに、アルタミラの洞窟の素晴らしい壁画などは現生人類が描いたもので初めて呪術的な思考や、抽象的な思考や,芸術的な美的感覚が現生人類に限ったものでそれは、人類史史上、初めてで,カツ、ごく最近の出来事とされていたが近年、ネアンデルタール人も,同様の洞窟壁画を描いたという説が出て来ているつまり、ネアンデルタール人も,なかなかのものだったらしいと言う事であるネアンデルタール人が,一般的な原始的なイメージと反対に色白だったらしいのに対して聡明で現代的なイメージがある現生人類の方がアフリカを出て欧州に到着したばかりの頃は新参者で,寒冷な欧州の気候にまだ順応していないのでアフリカ人のプロトタイプとして,色黒だったらしいと言うのも意外であるもちろん彼らも、その後、欧州の気候に順応して特に北欧人は,色白金髪に変貌したのだが◆ ミトコンドリア・イヴ◆ 人類のエクソダス 出アフリカと拡散 ―――― 続く ――――