カテゴリ:🔴 J 【日本】【考古・人類学】
「日本が誇れるもの」
というテーマを書きましたが 私個人の経験であり、 日本人の国際的評価とも言えるものをご紹介したい ---- 私が現役だった頃、海外出張をした 場所はアルジェリア ホテルに滞在していたある日、 フロントを通り過ぎようとすると、ざわついている 事情をホテルの人間に聞くと 「ホテル内で盗難事件があり、警察が入って、現在捜査中 宿泊客にも、個々に事情を聞くことになる」 という 「え~ それでは、私も、事情を聞かれることになるの? ここで待っていた方がいいのか?」 と聞くと 「いや、あなたは日本人だから、警察から事情を聞かれるという事は無い」 というのです つまり、日本人が盗難事件を起こすとは考えていないんですね、現地の人達は 「それほど、日本人は信用があるんだ!」 この時は、あらためて、日本人であることの誇りを感じましたね 余計な事ですが もし私の国籍が、日本の近隣の某国や某国の国籍だったら、どうだったでしょうか? 日本人のように 「完全免除」 になったでしょうか? その後、不幸な東日本大震災が発生したが そんなときでも、日本人のマナー、落ち着きは世界を驚かせラ 我々は、日頃、日本人であることについて マイナス思考をしがちですが 世界的には、日本人は、最も信用がある国民です ―――― 産経抄より ―――― 【産経抄】 夏目漱石「幸にして日本人に生れた」 2013.1.9 03:06 [産経抄] 明治41(1908)年に書かれた夏目漱石の『三四郎』の小川三四郎は上京する列車で「広田先生」と出会う。駅で西洋人夫婦を見かけた広田は「御互は憐(あわ)れだなあ」と、つぶやく。「こんな顔をして…日露戦争に勝って、一等国になっても駄目ですね」とも言う。 ▼三四郎は「これからは日本も段々発展するでしょう」と反論するが「亡(ほろ)びるね」と切って捨てる。「漱石は後の大戦の結果を読んでいた」として、自虐的史観の持ち主がしばしば引用する場面だ。「日露戦争に反対した平和主義者」だという「極論」もある。 ▼しかしその1年後の明治42年に漱石が広田と逆の考えを書いた随筆が見つかった。昨日も少し触れた「満洲日日新聞」に掲載の「韓満所感」である。漱石はこの年の9月から約1カ月半満州や朝鮮を旅行する。その印象を記したものだ。 ▼それによると、日本の内地で跼蹐(きょくせき)(肩身狭く暮らす)している間は「日本人程憐れな国民は世界中にたんとあるまい」と考えていた。だが満州や朝鮮で「文明事業の各方面に活躍」しているのを見て「日本人も甚(はなは)だ頼母(たのも)しい人種だ」との印象を刻みつけられた。そんなふうに書く。 ▼日露戦争から4年ほど後のことだ。多くの日本人が新天地で、日本のためだけでなく当地の発展のためにも必死で働いていた。その姿に漱石は素直に自虐的日本人観を捨てたと見ていい。「幸にして日本人に生れたと云う自覚を得た」と胸を張ってもいる。 ▼そんな在外の日本人たちも戦後「植民地主義の先兵」とされてしまった。いまだにそのフィルターを通してしか歴史を見られない人たちも多い。それに比べ、時代が違うとはいえ文豪の視線は確かなものに思えるのだ。 ---- 私も、上記の三四郎の中での漱石の「滅びるね」というコメントを、このブログの記事ににしたことがある 私は、日本人に対して、自分が日本人であるにもかかわらず、海外経験がへたに多く長いものだから、つい、不満を持ってしまう傾向がある それは自覚している しかし・・・ after all やはり、私は、日本人は、人間として、最も大切なものを持った国民だと思うし、 その事について、幸せであると感じている お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[🔴 J 【日本】【考古・人類学】] カテゴリの最新記事
|
|