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2023.11.05
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  『二百十日・野分』夏目漱石(岩波文庫)

 この文庫の解説の冒頭に、これらの作品がいつ書かれたかが述べられてあります。解説を書いているのは、小宮豊隆です。
 それによりますと、明治39年の9月に4日間で「二百十日」が書かれ、12月に約二週間で「野分」が書かれたとあります。

 うーん、唖然とするような、漱石の天才のほとばしりですよねー。
 さらに、このころは漱石はまだ大学の先生をしている時でありました。唖然の上の唖然であります。

 唖然と言えば、やはり唖然とするのが、本作前後の漱石の作品群です。ちょっとタイトルを並べてみますね。

   『草枕』→「二百十日」→「野分」→『虞美人草』→『坑夫』

 どうですか。あれこれ唖然とする材料はあるでしょうが、私が唖然とするのは、漱石の文体についての怖ろしいような引き出しの多さであります。文体がカメレオンのようにころころと変化していってます。そして、それがほとんど完成形に近い、と。

 漱石は38歳から小説を書き始めるという晩成型であったせいか、発表作にいわゆる「若書き」といったものがありません。
 しかしこうして並べてみると、やはり改めて唖然というか、圧倒される感が大いにありますね。

 あと少しこれに付け加えると、「野分」の後に漱石は朝日新聞社に入社、つまりプロの小説家になります。もうひとつは、『坑夫』の次の作品が、漱石全作品の中でも大変完成度が高いといわれる『三四郎』であります。

 さて、そのくらいの唖然を前振りとして、まず「二百十日」を読みました。
 実はわたくし、漱石の主だった作品は3回以上は読んでいます。一番たくさん読んでいるのは『こころ』で、5.6回は読んでいると思います。
 それと同じくらいにたくさん読んだのがこの「二百十日」で、その理由は、昔わが家に少年少女版の漱石作品集があって、その中に収録されていたからだと思いますが、短くて読みやすくて、なによりこの落語のようなセリフのやり取りがとても面白かった記憶があります。
 冒頭近くの竹刀と小手の話などは、わたくし涙を流して笑いながら読んでいたような覚えがあります。

 そんな思い出のある「二百十日」ですが、今回読んでみて、ちょっと、あれっと思いました。そんなに面白くなかったんですね。でも、まー、涙を流したのは半世紀近く昔のことでありますし、やむなし、かなと思ったわけです。


 そのかわり続いて「野分」にとりかかって、私は、あ、「二百十日」というのは「野分」の序章のような話なんだなと分かりました。
 面白くも観念的であった「二百十日」の圭さんと碌さんの会話に、少し具体性を加え小説的に展開させると「野分」になることがわかりました。

 そして同時に、私は「野分」について、これもかなり昔に読んだきりでしたので、とにかく主人公が嵐の日に演説をする話だとしか覚えていなかったのが、思いのほかに小説的な展開(高柳や中野といった青年たちの話が絡んでくる)があることに、少し驚きました。(しかしよく考えたら当たり前の話で、主人公の演説しかないような小説を漱石が書くはずはありませんよね。)

 で、わたくしけっこう楽しく「野分」を読み終えました。そして、少しボーとしながら「教えられる喜び」ということを思い出しました。

 これは以前にも拙ブログで書いたことがあると思いますが、小説を読む喜びの中に、作中人物に教えられて心地よい、というのがある(少なくとも私にはある)と思っています。
 漱石作品でいえば典型的なのは『三四郎』の「広田先生」です。この「偉大なる暗闇」と別称される登場人物には漱石の身近にモデルがいたらしいですが、とにかく彼の言動から、文学や人生や学問などのことについてあれこれ啓蒙されるのが、読んでいて存外に楽しいと、私なんかは思っています。

 この喜びは、例えば司馬遼太郎の小説にも、しばしば展開から横道にそれて語り手が顔を出して語り始めますが、同様の読書の楽しみだと思います。
 白樺派の作家たちなんかは、そんな啓蒙話芸を小説のテーマにまでした一群の方たちという気もします。(武者小路実篤『真理先生』、長与善郎『竹沢先生という人』など。)

 と、そんなことを考えたのですが、さらに私はふと「白井道也先生」と『三四郎』の「広田先生」はどこが違うかと思いました。
 ちょっと考えましたが、やはり両者は違うだろう、と。そして、漱石は、道也型から広田型にキャラクターを変化させていき、とうとう晩年の作品には、同じ「先生」と作中で呼ばれながらも、完全に形を変えてしまった『こころ』の「先生」に行きついてしまったのではないか、と。

 「道也先生」の演説が代表する本小説のテーマもさることながら、この変わりゆく姿に、漱石の生涯の小説テーマの「主戦場」変貌のプロセスを重ねることも、あながち強引ではあるまいと、私は思ったのでありました。


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Last updated  2023.11.05 11:40:36
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