常に携帯しているお守りとご縁の寺社
私は常に、自分にご縁のある神仏のお守りを携帯していて、いつどんな時もいつも携帯しているんですよ。家でも家着のポケットに入れているし、外出する時にももちろん携帯。で、寝る時には枕元に・・・そのお守りは、まず産土、神田明神と湯島天神。鎮守の神社。そこは湯島天神と同じ天満宮です。道真公が守護しています。天然理心流の奉納額がある深大寺。かつてそれが有った大国魂神社。どっちも私が子供の頃から、自分の意思ではなく、うちの家族がそろって初詣に行く寺社で、いつも参拝していたのでなじみが深いんですよ。去年の暮れ参拝できた京都八坂神社。晴明神社のお守りです。たくさん持っていれば良いとは思いませんね。ですが、自分に真にご縁が有ると感じる神仏のお守りはいくつか持っていても大丈夫なんです。それは自分の感覚で感じたものです。自分に前世からのご縁があり、私を守護してくれると言っていると感じる神仏のお守りなんです!!京都でも壬生寺とか、伏見稲荷のお守りも買ったんですけど、何だか合わなくて、携帯はできませんでしたしね。持とうと思ったんですが、その後やめたんですよ。そういう事もあるんですよ。(壬生寺とその守護地域ではたくさん人殺ししたんですから、お地蔵さんだってもちろん怒っているんだし、絶対に守護なんてされないんでしょうね。転生しても・・・その拒絶を肌身で感じてしまった。お守り合わない;というか、あの塚とか墓とか、いや、八木邸も苦手ですよ。もう行きたくないかもって思うくらいにです。もちろん一度は行かねばならなかった。当然のように、ですが今となると・・・そういやー、西本願寺でもお寺の人に冷たくされちゃったんですよー。私が「ご朱印はどこでいただけるんですか?」と社務所で聞いたら「うちはご朱印はやっていませんよ。そこに書いてあるでしょうー?」とか言われちゃったりして。何だかやけに広くてうろうろしましたけど一つも良いこと無かったですよ。ここでは・・・全然面白くも無かったし。伏見稲荷も新選組が嫌いなのかもね。なんだか地域上げて嫌われているような気がしましたよー。鳥羽伏見でも負けたんだし・・・これに関しては京都紀行にもまだ書いていませんよね。最終日の一番最後の部分に関してはまだ書いていないんですよ。何だかあの辺、とても合いませんでした。神社の人も周辺の人も。私が京都の最後にあそこに行ったのも、新選組とシンクロなんです。私は、自転車でここから壬生へ戻りましたけどねー。最後の日、どれだけあの辺を走り回った事か。自転車を返す時間まで・・・金戒光明寺に行こうと思ったのが、時間的にもう無理だという事で、まだ時間がある、って私はまた伏見稲荷に戻ったんですよ。ですが、山を歩く時間はさすがにないと、また京都駅に戻り、不動堂辺りからまた西本願寺を通り、壬生に走り、暗ーくなっても最後までその辺りを走っていました。一人で。すごーく寒くてろくに食事も採らずに・・・辛かったです;京都にいる間、一日一回、コンビニ弁当食べたか食べないかって感じの食生活だった。何だか常に急いでいて食事に時間かけなかった。ひもじかったです。常にひからびていましたよ。自分は、旅行に関しては食事なんて本質的には2の次なんだなって。ですがあまりに疲れたので、次回は何とか意識的に栄養摂らないとって肝に銘じていますが;もっと辛かったのは自転車を19時に返してから帰りの深夜バスの時間まで、ですね。やっぱり書かなければね。早く・・・)反対に祗園さん、八坂神社は新選組を応援しまくっているんです。今もです。私に関しては将門公とスサノオと牛頭天王の関連で、ご縁が有るんですけど、新選組に関しては、日野の八坂神社からのつながりで、私と同じく、スサノオと牛頭天王関連で、京の祗園さんも守護してくれていたんです!!だから池田屋で成功できたのです!!)で、私はそれを信じていて、常に肌身離さずに携帯しているんです。それにはしっぽのように、土方さんの歳三竹の根付がついていますよ。(笑)私はやっぱり新選組は因縁深き関係なんで、あんまり良いことがないんですよ・・・それに関して。それは自分でも何となく感じてます・・・というか当時からそうでしたから、その延長みたいな感じです。それでも関わりたいのです。自分の魂を知るためにです。ただ一つ違っているのは、自分が嫌だったらそれらに関わる人達と離れるって言う事。それだけは肝に銘じているんですよ。^^;もう巻き込まれるのはごめんなので。新選組を知れば知るほど、自分にご縁の寺社と繋がっているから、それによって自分の魂を知ることができます。で、京都で惹かれる寺社もことごとくそうでしたし、東京の自分のご縁の寺社と繋がっているのでした。また、鞍馬山から貴船へと絶対に歩かねばならないと感じていたんですが、それも一本歯の高下駄で。持って行ったのですよ?私はそれを荷物に入れて。京都に。結構重いのに、ですよ。ですが去年の暮れの京都ではその願いはかないませんでした。ホントに、旅行って計画通りに進みませんね。私は義経をとても身近に感じるんですよ。彼を初めて知ってからずっと。大河ドラマを観るまで、何も知らなかったんですよ。で、彼が土方さんの転生だと言う人がたくさんいて、そうなのかもって思います。義経も土方さんの前世話よりもずっと前に、私が鞍馬山に惹かれるようになったのは初めて鞍馬山の名前を知った時からだから、大河よりも前で、それは精神世界に入り浸っていた時だから、歴史も何も知らない頃からですよ。彼らの影響で行きたいと思ったわけではないんです。しいて言えば天狗なんです。これも自分にご縁の高尾山つながりで、自分が惹かれるのは天狗の導きなんだと私は感じたんですよ。私は子供の頃から鎌倉の八幡宮に何故かご縁があった。祖父母が鎌倉が大好きで、八幡宮のすぐそば、雪ノ下にマンションを買ったし。で、夏休みの毎に訪れていたし、本当に懐かしい八幡宮と鎌倉なんです。今もです。で、もちろん当時は、というか新選組を知るまで、歴史になんて何の興味も無かったんですよ。ですが今となると、本当に自分の魂は全てが繋がっていたのだなと。自分が導かれる寺社は、全て彼らにご縁の場所だったし。それら全てがわかってよかったですよ。土方さんが義経だった時にも、きっと自分は彼のそばにいたんですが、それが誰なのかはわかりませんけどね。何かどっかの寺に居たような気がしてしょうがないんですよ。鞍馬山で彼と一緒に修行した鞍馬寺の小坊主だったのかも。で、きっとその頃も彼の事が好きだったのかもって。