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顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし

顕正会員は日蓮正宗に帰伏するべし

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2022年09月19日
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カテゴリ:御遺命の戒壇
※この記事は、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―8』で掲載した私の返事に対する旭川ひろしさんのブログ記事への破折です。


旭川さんへ

返事を書きましたが、今回の旭川さんのお返事は子供じみた屁理屈や妄想ばかりですね。

それから、旭川さんのブログは時々接続できなくなります。
ブラウザに「この接続ではプライバシーが保護されません」という警告が出て閲覧できない時があります。

この警告と同時に、「asahikawa1990.com では、悪意のあるユーザーによって、パスワード、メッセージ、クレジットカードなどの情報が盗まれる可能性があります。」という警告文も表示されます。
旭川さんのブログはセキュリティに問題があるようです。

よって、私は今後は旭川さんのブログを見ないようにしますので、旭川さんがお返事を公開する場合はアメブロのほうに掲載してください。

旭川さんがお返事をアメブロで公開することを討論継続の条件とさせていただきます。
ただし、今回をもって討論終了でも私は構いません。

お返事をアメブロで公開して討論を継続するか、今回で討論を終了するか、どちらかを選んでいただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。


(1)現在の憲法下では「国立戒壇」は実現可能だから、実現可能なことを目的にするのは間違っていないについて

(1)については、『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―6』で既に結論が出ていますが、結論となった日顕上人の御指南を再度掲載させていただきます。

「御本仏大聖人様が最後に御遺誡、また御命題として我々にお残しくださった『三大秘法抄』『一期弘法抄』の「戒壇」の文については、軽々に論ずるべきではないと思います。
もちろん今、ある時点を予測して考えれば色々なことを言えるけれども、将来どう変わるかということは本当に判りません。
だいいち、日本の現在の民主主義の形だって、憲法だって、将来どう変わるか判らない。
だから、そんなことに関して今、具体的な形で言う必要はないのです。
根本において、戒壇というのは事相だということを、大聖人もおっしゃっておりますように、事相なのだから、実際の相というものはその時でなければ明確には顕れません。
よって『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇ということは、まさにその時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』98~99頁)


旭川さん
「先ずは私は、宗門が広布達成前に御遺命の戒壇を建ててよいと書いてしまった事への不正を糾弾しているんですよ」
「御遺命の戒壇を前もって建てて良いとしたことによって
御遺命の戒壇のゴール地点が無くなってしまったとの結果を日顕上人は書かれているのではないですか?」
「そしてなぜ日顕上人が
その時が来た時に、本門戒壇の大御本尊様を根本と拝しつつ、その時の御法主がその時の実状に即した形で最終の戒壇を建立するのだと、私どもは信ずべきであると思うのであります。

との記載をされているのかは
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」を読めば
大体分かるではないですか

(中略)

本当の御遺命の戒壇は広布完成した後に建てるものなのに
広布完成前に建ててOKと決めてしまったから

具体的な形で言えなくなったんですよ
広布完成前に建ててOKと決めてしまったら
御遺命の戒壇のゴール地点を撤去するということと同じなんですよ

だから、その時が分からなくなったのですよ

だからその時が来た時にと言葉を濁すしかできないんです」
「広宣流布のゴールを撤去することによって生じる矛盾は、まだまだありますよ」

御遺命の戒壇を広宣流布以前に建ててOKと決めてしまったから、御遺命の戒壇のゴール地点が撤去されてしまったと旭川さんは言っていますが、これはただの妄想です(笑)

このことについては、日顕上人が次のように述べられており、創価学会が破門され正本堂が無くなった現在から見れば、「言い過ぎやはみ出し」があったなどと訂正遊ばされているのです。

「昭和四十七年の『国立戒壇論の誤りについて』と五十一年の『本門事の戒壇の本義』は、先程から言っているように私が書いたけれども、そこにはたしかに、戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような、今から見れば言い過ぎやはみ出しがあるけれども、これはあくまで正本堂の意義を『三大秘法抄』の戒壇に作り上げようとした創価学会の背景によらざるをえなかったのです。
(中略)
そういうことですから、正本堂がなくなった現在、その意義について論ずることは、はっきり言って、全くの空論であると言ってよいと思います。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』97~98頁)

このように現在の宗門には、「戒壇の建物は広布完成前に建ててよいとか、正本堂が広布時の戒壇の建物と想定するような」考えはありません。

この話は前回の『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―8』の(3)でもしていますよね?
旭川さんは読解力がないのですか?


正本堂がなくなった現在、正本堂の意義について論じることは、もはや「全くの空論」なのです。
過去の遺物である正本堂の意義について論じることは、不毛な論であります。

私が顕正会に入会した時点で正本堂はすでに撤去されていましたし、実際に見たこともありません。
多くの顕正会員にとってもそれは同じではないかと思います。

しかし、この世に存在しない、見たことすらなかった正本堂のその意義付けについての話を、顕正会に入ると耳にタコができるぐらい聞かされるのです。

要するに、多くの顕正会員にとって正本堂の意義付けについての話は、赤の他人であり直接話したこともない浅井センセーから聞かされる話に過ぎません。
そんな彼の昔話に執着して何になるのでしょうか?

「宗門は過去を清算してどんどん前進しているのに、顕正会は過去にこだわっているだけで進歩がない」
この話は私が15年ぐらい前に見たネット上の投稿です。

20年以上も前に撤去された正本堂にこだわることは、不毛であり「全くの空論」なのです。


(2)日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えは無いについて

(2)については、前回の『旭川ひろし氏の国立戒壇論を破す―8』で既に結論が出ていますので、詳しくはそちらを参照して下さい。


旭川さん
「『「顕正会の主張する国立戒壇」を破す-3』
読みました
このブログの内容は

(御遺命の戒壇を建立する場所については、顕正会が主張する天生原(天母山)は間違いで、正解は富士大石寺です)
という場所についての内容ですよね

この段落の議題は御遺命の戒壇は国立か国立ではないかですよね」

私が言いたいのは、「顕正会の主張する国立戒壇」は戒壇を建立する場所からして明確な誤りであるということです。

そして、御遺命の戒壇は国家で建立するべきとしているのは、「顕正会の主張する国立戒壇」だけだと思います。
しかし、その「顕正会の主張する国立戒壇」は、戒壇を建立する場所からして明確な誤りであると宗門から破折されているのです。

つまり、戒壇を国家で建立するという考えの「顕正会の主張する国立戒壇」が日蓮正宗から破折されているということは、日蓮正宗には御遺命の戒壇を国家で建立する考えはないということです。

そもそも、この話は(2)のうちではなく、(4)として独立した話題でした。

それなのに、旭川さんは(4)をずっとスルーしているのです。
これは「顕正会の主張する国立戒壇」を信奉する方の態度として、どうかと思いますよ(笑)


・顕正会の国立戒壇論は田中智学の国立戒壇論と「うり二つ」
「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』89頁)

この日顕上人の御指南に対して、旭川さんは以下のように妄想による反論をしてきました(笑)
「ここで使用されている「道理」の意味は
平成16年現在の法律の下では、憲法を改正する為の法整備が整っていないから日顕上人は道理として考えて「顕正会の主張する国立戒壇」は出来ないと言っているんですよ」

しかし、日顕上人は「顕正会の主張する国立戒壇」が間違っている理由として、
「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁)
と述べられているのです。
つまり、「顕正会の主張する国立戒壇」が国柱会の田中智学の「国立戒壇論」に酷似しているからなのです。


旭川さん
「確かに(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』59頁)には
「田中智学とうり二つの浅井の考え方を破り」と書いてあります
しかし、これが100%日顕上人の本音だと断定することは出来ないのではないでしょうか?

本書では、正本堂の意義付け問題に関して創価学会からの強要があったとの趣旨の内容が書かれております
これは本書の内容から推測して
御遺命の戒壇の定義を変更するにあたって一番難しい問題は、教義に詳しい当時の法華講員をどう納得させるかだと思われます
そこで、田中智学の国立戒壇と妙信講の国立戒壇はうり二つで間違っているという
大義名分で使用した言葉だと思われます

つまり本音と建て前の、建て前の部分を話していると思われます

創価学会がプレゼントの建物を御遺命の戒壇にする為に一番邪魔な定義は
「国立」だったんではないでしょうか
「国立」」を身内で建てることができるようにしたのが
正本堂の意義付け問題ではないでしょうか」

しかし、創価学会が破門され正本堂が無くなった現在でも、日顕上人は次のように述べられているのです。
「結局、道理から言っても「国立戒壇」は誤りですから、『国立戒壇論の誤りについて』のなかにおいて「国立戒壇が間違いだ」と言ったことは正しかったと思っております。」


旭川さん
「(の中が)辞書でしらべた漢字の意味です

そして、そこには事壇(御遺命の戒壇のこと)の出来る条件として、まず大詔(天皇の言葉)が渙発(天皇から発する公式文書を日本国中に周知すること)されるというのです。
天皇の勅命(天皇の命令)が発せられると一国が同帰(天皇の考えと国民の考えは同じになる)になる。
つまり、ありとあらゆる宗旨(その人のもっている主義・主張)
がいっぱいあるけれども、この意見からするならば、一国がことごとく妙法(日蓮大聖人の仏法)に帰する(最後にはそうなる。結果としてそうなる)
しかも政教一致(国家が特定の宗教団体に加担する事)
であると標榜(主義・主張や立場などを,公然と表すこと)しておるのであります。
さらに国家の統一を中心(国民全体の意見を統一する)
として、その一大勢力を作って世界の思想・宗教を妙法化(つまり、大きな集団を作って世界中の人のいろんな考え方とか、宗教を日蓮大聖人の仏法に帰依させること)
せしめるということを言っておるのです。」

何度、ありの金吾様から説明されても同じですね
田中智学の国立戒壇論と、顕正会の国立戒壇論は全く違いますよね」

旭川さんは日顕上人が田中智学の国立戒壇論を説明されている箇所(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』26頁)を紹介した上で、田中智学の国立戒壇論と顕正会の国立戒壇論は全く違うと言っていますが、以下のように田中智学の国立戒壇論と顕正会の国立戒壇論は「うり二つ」です。

「そこには事壇(御遺命の戒壇のこと)の出来る条件として、まず大詔(天皇の言葉)が渙発(天皇から発する公式文書を日本国中に周知すること)されるというのです。」

これは戒壇建立の手続として天皇の詔勅を必要とする顕正会の国立戒壇論と同じです。

「天皇の勅命(天皇の命令)が発せられると一国が同帰(天皇の考えと国民の考えは同じになる)になる。
つまり、ありとあらゆる宗旨(その人のもっている主義・主張)
がいっぱいあるけれども、この意見からするならば、一国がことごとく妙法(日蓮大聖人の仏法)に帰する(最後にはそうなる。結果としてそうなる)」

天皇から全国民にいたるまで一同に日蓮大聖人の仏法に帰依するという顕正会の国立戒壇論と似ていますね。

「しかも政教一致(国家が特定の宗教団体に加担する事)
であると標榜(主義・主張や立場などを,公然と表すこと)しておるのであります。」

王法(国家権力)と仏法が冥合するべきと説く顕正会の国立戒壇論と同じです。

「さらに国家の統一を中心(国民全体の意見を統一する)
として、その一大勢力を作って世界の思想・宗教を妙法化(つまり、大きな集団を作って世界中の人のいろんな考え方とか、宗教を日蓮大聖人の仏法に帰依させること)
せしめるということを言っておるのです。」

日本に国立戒壇が建立されれば、次は日本が根本となって世界中が日蓮大聖人の仏法に帰依していくという顕正会の国立戒壇論と同じです。

さらに、旭川さんが紹介した箇所にはありませんでしたが、「御教書」を国会の議決と解釈した点も、田中智学の国立戒壇論と顕正会の国立戒壇論は共通しています。


旭川さん
「そして、何故ありの金吾様は上記の日顕上人の御指南を毎回、隠すのですか」

何を言っているのですか?
上記の日顕上人の御指南を最初に紹介したのは私です。
旭川さんはニセ本尊を拝んだ害毒なのか、息を吐くように嘘をつきますね(笑)


旭川さん
「〇2022年5月5日
私は文証をもって日蓮正宗に「国立」の考えがあると説明しました」
「国立戒壇肯定の趣旨の発言は本音」

旭川さんは、ご自身のブログの『2022年5月5日 ありの金吾様への御返事』の中で次のように書いていますね。

「尺が無いので要点を書きます

(61p)
国立戒壇を建てるには憲法を改正すればいいとのことだが
現実問題として今日の日本乃至、世界の実情を見るに
簡単に憲法を改正することはできない

(31p)
国教にすることは、今の憲法下では絶対にできない

(32p)
戦後の日本国憲法では「国立戒壇」はできない
ただ憲法が改正されれば話は別とのこと

(60p)
現在の日本国憲法では法律で定められた権限がないから
今の憲法下においては「国立戒壇」は絶対に無理とのこと

(107p)
「国立戒壇」にこだわるから
憲法改正が必要になってしまうとのこと

ここに道理としては憲法上、国立戒壇が間違っていることと
宗門としては教義として「国立」の考えがあることを
書かれておりますがどうでしょうか?」

旭川さんが紹介した日顕上人の御文をどう読んでも、「宗門としては教義として「国立」の考えがあること」が書かれているようには拝せません。

やはり何よりもまずは、日蓮正宗に御遺命の戒壇は「国立」との考えがあることを文証にて証明するべきですよね?


(3)日蓮正宗は創価学会の圧力によって御遺命の戒壇の定義を変更せざるを得なかったのではないか?について

・本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇
旭川さん
「「本門戒壇建立の勝地は当国富士山なること疑いなし。また、その本堂に安置し奉る大御本尊は今、眼前にましますことなれば、この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、もしこの霊場に詣でん輩は無始の罪障、速やかに消滅し」

この所すなわちこれ本門事の戒壇との御文は
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(102p~105p)
の要点をまとめると

〇昔の「御戒壇説法」にはない
〇私と観妙院日慈上人が宗務院の役員として日達上人に伺った時にはあった
〇奥法道師の写本(日開上人の御戒壇説法)のなかにはある
〇日開上人当職の当時の扇子に御文はない
〇日應上人の「御戒壇説法」にもない
〇いつ、どこで、どなたが、どう始められたのかは判らないが日開上人の写本としてはある

これでは、この所すなわちこれ本門事の戒壇との御文があるとは断言できませんよね?」

この御文については、日顕上人が次のように仰っています。

「もう一つは、日達上人が我々にお示しくださった御先師の御説法本のなかに、それがあるということです。
よって、先程の意味から言っても、また日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』104頁)

このように日顕上人は、
「本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおり」
と結論付けられているのです。
旭川さんは読解力がないですね(笑)

さらに第五十二世日霑上人の『三大秘法談』にも、
「未だ広布の時至らず事相の戒壇御建立なしといへども此の道場即是れ事の戒壇真の霊山事の寂光」
(『研究教学書 二三』418頁)
と示されているのです。


旭川さん
「我々は、事の戒壇というと、やはり『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇であると思い込んでいたところがありました。そこで、日達上人から戒壇の大御本尊のまします所が事の戒壇だという御指南があったので
「近現代における戒壇問題の経緯と真義」(71p)

日顕上人が本音で事の戒壇が『一期弘法抄』『三大秘法抄』以外にあると思っているのなら、普通ならこんな表現を使わないと思います
日顕上人は日達上人の御指南を疑っているように書かれていると思います」

これもただの妄想です(笑)
旭川さんの引用した日顕上人の御文にはまだ続きがありますので、下記に引用させていただきます。

「そのことについて、私と観妙院日慈上人が日達上人のところへお伺いに行ったことがあるのです。
するとその時に、「これは御相伝である」ということの上から、特に「御戒壇説法」をお示しになったのであります。
すなわち「御戒壇説法」において、
「本門戒壇建立の勝地は当国富士山なること疑いなし。また、その本堂に安置し奉る大御本尊は今、眼前にましますことなれば、この所すなわちこれ本門事の戒壇、真の霊山、事の寂光土にして、もしこの霊場に詣でん輩は無始の罪障、速やかに消滅し」
云々
ということがあるのです。
そして、もう一つには日寛上人の『法華取要抄文段』の、
「広宣流布の時至れば一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。其の処は皆是れ義理の戒壇なり。然りと雖も仍是れ枝流にして、是れ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ち是れ根源なり」
(日寛上人御書文段 五四三ページ)
という御文を引かれておりました。
そこでは「根源」ということは言われなかったけれども、そういう意味から事の戒壇ということを示されたのであります。

これらは無論、日達上人がお書きになった文ではなく、別の御先師がお書きになったもので、それを当時、総監であった観妙院日慈上人と私に見せられて、日達上人は「こういうような文からいって、事の戒壇と言ってもよいのだ」と仰せになったのです。
だから、御戒壇様のまします所が事の戒壇という意味になるのであります。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』71~72頁)

要するに日顕上人は、
「事の戒壇というと、やはり『一期弘法抄』『三大秘法抄』の戒壇であると思い込んでいた」ので、
日達上人に質問されたところ、日達上人は「御戒壇説法」や日寛上人の『法華取要抄文段』を引かれて、戒壇の大御本尊のまします所が事の戒壇であると日顕上人に御指南されたということです。

そして、日顕上人は、
「日達上人のあらゆる点からの御指南から言っても、本門戒壇の大御本尊のおわします所が事の戒壇という御指南は、たしかにそのとおりだと思います。」
(『近現代における戒壇問題の経緯と真義』104頁)
と仰っているのです。


・正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことを認めていた妙信講
旭川さん
「この確認書は正本堂が最終の戒壇ではないことの確認書であって
それまでの書類だと思います」

妙信講が創価学会に作らせ署名した昭和45年9月11日の確認書には、
「正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄にいうところの最終の戒壇であるとは、現時において断定はしない。」
(『日蓮大聖人の仏法 改訂版』221頁)
と書いてあります。

しかし、「現時において断定はしない」ということは、現時点において断定はしないというだけであり、裏を返せば将来において断定する可能性を認めることになっているのです。
つまり、妙信講はこの時点で正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めているのです。


旭川さん
「顕正会が御遺命の戒壇の建物は、広宣流布の達成前に建ててよいと認めているという意味になるまで3ステップ必要な時点で
その人の発想の問題だと思いますが・・・」

分かりやすいように詳しく書いただけで、別に3つのステップは必要ないです。

妙信講は正本堂が将来的に御遺命の戒壇となり得ることを認めていたということは、御遺命の戒壇の建物は広宣流布の達成前に建ててよいと認めていたということになります。

そして、これはただの揚げ足取りです。
旭川さんは私に質問と討論をお願いしてきた立場なのに、態度が悪すぎませんか?


旭川さん
「私が赤文字で記載した日顕上人の御指南を読めば
妙信講は正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して抗議をしているように思えるのですがどうでしょうか?」

旭川さんが赤文字で書いた日顕上人の御文についてですが、これらは創価学会が正本堂を御遺命の戒壇そのものにしようとしたことに浅井昭衛が抗議したことの根拠にはなっても、正本堂が御遺命の戒壇の意義を含むことに対して妙信講が抗議をしている根拠にはならないです。

そもそも、
「正本堂の意義付けに関する日顕上人の言葉に信憑性はない思います」
と旭川さんは書いているのに、なぜ日顕上人の御文を用いるのですか?
矛盾していませんか?


旭川さん
「「近現代における戒壇問題の経緯と真義」には
宗門が正本堂の意義付けに関して創価学会に圧力をかけられたと匂わす発言が随所に掲載されております」

旭川さんは創価学会の圧力により、宗門が正本堂に一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含ませたと主張しています。
しかし、宗門には池田大作を辞任に追い込むだけの力があったので、宗門が創価学会の圧力に屈して正本堂に御遺命の戒壇の意義を含ませたという考え方は誤りだと思います。

池田大作は「五十二年路線」で宗門に背いたため、「釈明」や「お詫び」をするはめになり、学会会長まで辞任しなくてはならないところまで追い込まれたのです。

ではなぜ、宗門は正本堂に一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含ませたのでしょうか?

それは創価学会に対する慰撫教導であると思います。

池田大作は正本堂建立即御遺命の達成とする我見を述べていました。
しかし、当時の創価学会の広布前進の勢いは尋常なものではなく、日達上人は学会を正しく導くため対応に苦慮されたのです。
つまり、日達上人は池田大作の我見を矯正されるに際し、日蓮正宗の信徒であった学会員の御遺命達成に向けての折伏の情熱に水を差さないように配慮されたのです。

正本堂の意義について日達上人は、昭和47年4月の訓諭において、
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり。
但し、現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の本門戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって荘厳し奉るなり。」
(『大日蓮 昭和47年6月号』2頁)
と御指南されて、正本堂は「一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む」とはいえ、当時はいまだ御遺命の戒壇そのものではないことを明らかにされたのです。


旭川さん
「創価学会からのプレゼントの建物に御遺命の戒壇の意義を付けたこと自体間違っていると思います」
「そもそも宗門に正本堂の意義付けに関して不正があったから」

私が思うに、宗門が正本堂に一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含ませたのは、正本堂が創価学会からの寄進だったからだと思います。

建物を寄進するという行為自体は褒められるべきことであり、尊い行為ではないでしょうか?

それゆえ、池田大作が正本堂は御遺命の戒壇で、御遺命の達成であると言っても、日達上人は完全には否定されず、正本堂は御遺命の戒壇そのものではないけれども、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含んでいると御指南されたのだと思います。

日達上人は当時のめざましい広布進展の状況や、正本堂を御遺命の戒壇とせんと熱望し、御遺命達成のために折伏弘通に邁進しようと燃え立つ創価学会の志を、非常に大切に思われたのでしょう。

そもそも、御遺命の戒壇を論じるにあたって最も大事なことは、大聖人の血脈を相承されている時の御法主上人がその時の状況などを考慮されて、どのように御指南されるかということであり、その御指南に従うことが日蓮正宗の本来の信仰のあり方なのです。

ゆえに、大聖人は『百六箇抄』において、
「但し直授結要付嘱は唯一人なり。白蓮阿闍梨日興を以て総貫首と為し、日蓮が正義悉く以て毛頭程も之を残さず、悉く付嘱せしめ畢んぬ。上首已下並びに末弟等異論無く尽未来際に至るまで、予が存日の如く、日興が嫡々付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり。」
(『平成新編御書』1702ページ)
と仰せられているのです。


それでは、以上をもってお返事といたします。





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最終更新日  2022年09月19日 18時01分29秒
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