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「歩きつなぎの旅」の記録

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2023.01.13
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2023年01月13日(金)快晴


快晴。歩きめぐり日和。今回歩くのは、慶応元年(1865年)版「御曲輪内(おくるわうち) 大名小路絵図」のうち、現在の千代田区の皇居外苑に当たる地区。09:05 二重橋前交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第7回 】を歩き始める。



切絵図には「二重橋」という記載はない。江戸時代には奥の橋を「西ノ丸下乗橋」、手前の橋を「西ノ丸大手橋」といい、二つとも木橋だった(現在は鉄橋と石橋)。「西ノ丸大手門(現在の皇居正門)は、明治21年(1888年)に高麗橋が撤去され、櫓門だけが現存する。

切絵図の西ノ丸下南部区画(現在の皇居外苑南部)。「水野和泉守」は出羽国山形藩水野家(譜代)の藩主忠精(ただきよ、老中)の屋敷。「立花出雲守」は陸奥国下手渡(しもてど)藩立花家(外様)の藩主種恭(たねゆき、若年寄)の屋敷。



「平岡丹波守」は安房国船形藩平岡家(譜代)の藩主道弘(若年寄)の屋敷。「田沼玄蕃守(げんばのかみ)」は遠江国相良藩田沼家(譜代)の藩主意尊(おきたか、若年寄)の屋敷。「御厩(おうまや)諏訪部弥三郎」には将軍の馬屋があり、将軍専用の馬を管理する御召馬預(おめしうまあずかり、諏訪部家が世襲)や、幕府の公用馬を管理する御馬預が働いていた。

「桜田門」。切絵図には「櫻田御門」とあり、枡形門が記されている。高麗門と櫓門が現存。門名は、古くこの辺りが桜田郷と呼ばれていたことに由来する。安政7年(1860年)大老井伊直弼が水戸浪士らにより暗殺された「桜田門外の変」で知られる。



「日比谷濠」は、江戸時代初期に日比谷入江の埋め立てと江戸城整備により造られた。日比谷濠が分断されて西側が「凱旋濠」と呼ばれるようになったのは、明治39年(1906年)日露戦争の戦勝を祝して凱旋道路の祝田橋(いわいだばし)が建設されたことによる。



切絵図に「馬場先御門」とあり枡形門が記されているが、現在は石垣の一部が残るだけ。3代将軍徳川家光が門内の馬場で朝鮮使節の曲馬を上覧、門名の由来は馬場が朝鮮馬場と呼ばれたことによる。09:35 馬場先門交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第7回 】はここで終わり。


二重橋前交差点 → 馬場先門交差点 : 2.1 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 15.4 km )






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Last updated  2023.01.14 08:33:50
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