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「歩きつなぎの旅」の記録

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2024.05.03
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2024年05月03日(金)快晴


快晴。憲法記念日。今回歩くのは、万延2年(1861年)板「芝口南西久保愛宕下之図」のうち、現在の中央区浜離宮庭園と港区東新橋1~2丁目・新橋4~6丁目に当たる地区。08:25 大手門橋前、【 江戸切絵図歩きめぐり 第48回 】を歩き始める。



浜離宮庭園。「浜離宮恩賜庭園」がある。承応3年(1654年)甲府藩主徳川綱重がここに邸地を与えられ、「甲府殿浜屋敷」の建設を始めた。綱重の子の綱豊が6代将軍家宣となり、この屋敷は将軍家の別邸「浜御殿」と呼ばれるようになった。切絵図にも「濱御殿」とある。



東新橋1~2丁目。切絵図に「松平陸奥守」とあるのは、陸奥国仙台藩伊達家(外様)の上屋敷。「仙台藩上屋敷表門跡」解説板によると、元禄15年(1702年)本所吉良邸討入のあと高輪泉岳寺へ向かう赤穂浪士は、この場所で仙台藩邸から粥のもてなしを受けたという。



切絵図の仙台藩邸西側に「日比谷イナリ」とある。徳川家康の入府以前は大塚山(現在の日比谷公園付近)に鎮座していたが、慶長年間(1596~1615年)に芝口(現在の東新橋1丁目、切絵図の位置)へ遷座した。現在は東新橋2丁目に「日比谷神社」として鎮座する。



新橋1~6丁目。切絵図に「遠山金四郎」とあるのは、江戸町奉行を務めた旗本遠山景元の子孫の屋敷。金四郎は通称で、遠山家当主が代々世襲した。切絵図に「愛宕ノ下大名小路」とある通り沿いには大名屋敷が並んでいる。



「鹽竈(しおがま)神社」を訪れる。もとは仙台藩上屋敷の邸内社だったが、安政3年(1856年)当地にあった仙台藩中屋敷に遷座した。切絵図には中屋敷を示す「■」と「松平陸奥守」が記されている。切絵図に「柳生對馬(つしま)守」とあるのは、大和国柳生藩柳生家(譜代)の上屋敷。柳生家は代々将軍家の剣術指南役を務めた。

新橋4丁目交差点近くに「浅野内匠頭終焉之地」碑がある。元禄14年(1701年)刃傷事件を起こした内匠頭は、ここにあった陸奥国一関藩田村家(外様)上屋敷で切腹した。切絵図には「田村右京大夫」とある。09:30 新橋柳通り口 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第48回 】はここで終わり。


大手門橋前 → 新橋柳通り口 : 4.9 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 146.2 km )






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Last updated  2024.05.04 11:26:00
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