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「歩きつなぎの旅」の記録

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2023.07.22
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2023年07月22日(土)曇


今日、気象庁から関東甲信の梅雨明けが発表された。今回歩くのは、文久3年(1863年)板「飯田町駿河台小川町絵図」のうち、現在の千代田区神田神保町1~3丁目・一ツ橋2丁目・神田錦町1~3丁目に当たる地区。08:15 南堀留橋 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第23回 】を歩き始める。



神田神保町1~3丁目。切絵図の日本橋川に「俎板橋(まないたばし)」が架かる。江戸時代初期からある橋名で、当初は俎のような木の板を渡しただけの橋だったことに由来するという説と、近くにあった台所町に由来するという説がある。現在の橋には「俎橋」のプレートが掲げてある。

切絵図に「木下太七郎」とある。5代将軍徳川綱吉の侍講(君主に学問を講じること)を務めた朱子学者 木下順庵が拝領した屋敷で、太七郎はその子孫。順庵の門下は「木門(もくもん)」といわれ、6代将軍家宣・7代将軍家継を支えた新井白石などがいる。



切絵図に「裏神保小路」とある辺りが、現在の神保町交差点。一筋南に「表神保小路」もある。神保の名前は、表神保小路の南側にある「神保伯耆守」の屋敷に由来する。神保家は旗本。元禄年間(1688~1704年)この地に950坪の敷地の使用を、幕府から許可されたという。



一ツ橋2丁目。切絵図に「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」とある。洋学教育・外交文書の翻訳・外交折衝を担う機関。幕府により洋学所として計画され、安政3年(1856年)蕃書調所に改称して九段下に開設された。文久2年(1862年)当地へ移転してきた。

神田錦町1~3丁目。切絵図に「板倉主計頭(かずえのかみ)」とあるのは、上野国(現在の群馬県)安中藩板倉家上屋敷。のちに同志社英学校を設立する新島襄は、天保14年(1843年)藩士の子としてこの屋敷の長屋で生まれた。



上屋敷跡地に建つ学士会館の一角には「新嶋襄先生生誕之地」碑があり、近所の公園は「錦三・七五三太(しめた 新島の幼名)公園」と名付けられている。09:15 神田警察署前交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第23回 】はここで終わり。


南堀留橋 → 神田警察署前交差点 : 5.1 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 65.3 km )






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Last updated  2023.07.23 09:12:48
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