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カテゴリ:江戸切絵図歩きめぐり
2024年01月23日(火)薄曇
所々に青空も見えるが、全体に薄雲の広がる天気。今回歩くのは、文久3年(1863年)板「八町堀霊岸嶋日本橋南之絵図」のうち、現在の中央区日本橋兜町に当たる地区。09:05 日本橋郵便局前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第38回 】を歩き始める。 ![]() 切絵図に「鎧ノ渡」とある。江戸時代、ここに日本橋川で唯一の渡船場があった。永承年間(1046~53年)奥州平定に向かう源義家が鎧を沈めて海路の安全を龍神に祈願したことから、「鎧が淵」と呼ばれたという。明治5年(1872年)鎧橋が架けられたことにより、渡船は廃止された。 ![]() 切絵図の楓川に「海賊橋」とある。江戸時代初期、橋の北東に御船手頭 向井将監(しょうげん)の屋敷があったことに、橋名は由来する。御船手頭は幕府の海軍で、海賊衆とも呼ばれた。将監の屋敷跡地は、切絵図に「松平和泉守」(三河国西尾藩松平家上屋敷、譜代)とある。明治元年(1868年)海賊橋は海運橋と改称された。 ![]() 「大原稲荷神社」を訪れる。切絵図には楓川岸に「天一位 大原イナリ」とある。当地は日本橋川・楓川の水運の要衝で、海運・芸能の神として信仰されてきた。楓川は 1960年代に埋め立てられ、跡地には首都高速道路が通っている。 ![]() 「鳥居稲荷神社」を訪れる。下野国壬生藩鳥居家(譜代)上屋敷の邸内社を起源とする。享保6年(1721年)大火による類焼で上屋敷は移転。跡地は町屋街となり、移ってきた住民によって神社は維持されてきた。切絵図には「イナリ」とだけある。09:25 鉄鋼会館前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第38回 】はここで終わり。 日本橋郵便局前 → 鉄鋼会館前 : 1.4 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 111.3 km ) ![]() お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.01.24 10:32:05
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