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「歩きつなぎの旅」の記録

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2024.02.03
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2024年02月03日(土)快晴


今日は節分。二十四節気では明日から春ということになる。今回歩くのは、文久3年(1863年)板「八町堀霊岸嶋日本橋南之絵図」のうち、現在の中央区日本橋茅場町1~3丁目・八丁堀1~2丁目に当たる地区。09:00 鉄鋼会館前 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第39回 】を歩き始める。

日本橋茅場町1~3丁目。「日本橋日枝神社」を訪れる。千代田区永田町にある山王日枝神社の境外摂社(摂社とは、本社と末社の間に位する社格)。切絵図には「山王御旅所(おたびしょ)」とある。御旅所は、神社の祭礼で祭神が巡幸する際、仮に御輿を鎮座しておく場所のこと。



日本橋日枝神社近くに「其角(きかく)住居跡」碑がある。宝井其角は松尾芭蕉の門弟。蕉門十哲のひとりに数えられる。其角が住んでいた場所について、江戸名所図会に「茅場町薬師堂の辺(あたり)也」とあり、切絵図にはその「薬師堂」が記されている。



「純子(じゅんこ)稲荷神社」を訪れる。元文2年(1737年)千代田稲荷神社(中央区日本橋小伝馬町)を勧請、当地の組屋敷に居住していた与力・同心の鎮守として創建されたという。切絵図には亀島川岸に「純子イナリ」とある。



八丁堀1~2丁目。切絵図に「卓峯(たくほう)屋敷」とあるのは、幕府の筆師 安藤卓峯の拝領地。「澪杭(みよぐい)屋敷」とあるのは、江戸湾内海標柱請負人の拝領地。澪杭とは、江戸湾に入ってくる諸廻船の水路(澪通り)に建てられた目印の標柱のこと。



首都高速道路の上に架かる「久安(きゅうあん)橋」は、明治元年(1868年)に改称されるまで「越中殿橋(または越中橋)」と呼ばれていた。橋の東側に伊勢国桑名藩松平家(松平越中守、親藩)の上屋敷があったことに、橋名は由来する。



切絵図には楓川に架かる「越中殿橋」と「松平越中守」の上屋敷が記されている。楓川は 1960年代に埋め立てられ、跡地は首都高速道路になった。09:40 久安橋東詰 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第39回 】はここで終わり。


鉄鋼会館前 → 久安橋東詰 : 3.2 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 114.5 km )






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Last updated  2024.02.04 01:46:45
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