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「歩きつなぎの旅」の記録

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2024.04.13
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2024年04月13日(土)快晴


快晴。東京のサクラはすっかり葉桜。今回歩くのは、文久元年(1861年)板「京橋南築地鐵炮洲絵図」のうち、現在の中央区築地1~4丁目に当たる地区。08:35 千代橋、【 江戸切絵図歩きめぐり 第46回 】を歩き始める。



中央区役所脇に「土佐藩築地邸跡」解説板がある。文政9年(1826年)土佐藩山内家(外様)がこの辺りの土地を拝領した。切絵図には「松平土佐守」とある。坂本龍馬はこの築地藩邸に寄宿しながら、桶町(現在の中央区八重洲・京橋)にあった千葉定吉道場へ通っていたという。



「桂川甫周屋敷跡」解説板。蘭方医の桂川家は代々幕府の奥医師をつとめた。正徳元年(1711年)初代甫筑が当地を拝領、屋敷を構えた。4代甫周は杉田玄白や前野良沢らに蘭学を学び、「解体新書」の翻訳に参加した。切絵図には「桂川甫周」とある。

「築地本願寺」を訪れる。切絵図には「西本願寺御門跡(ごもんぜき)」とある。横山町(現在の中央区日本橋横山町・東日本橋)にあった本堂が、明暦3年( 1657年)大火により焼失。幕府から代替地として下付された八丁堀沖の海上を埋め立て、延宝7年(1679年)当地に本堂を再建した。古代インド様式の現本堂は1934年の竣工。



切絵図の築地川南支川に「備前橋」が架かっている。「備前橋跡」解説板によると、橋の北西にあった備前国岡山藩池田家(外様)の中屋敷に、橋名は由来する。切絵図に「松平内蔵頭(くらのかみ)」とあるのが岡山藩邸。現在、付近の川跡は公園・駐輪場などになっている。



切絵図の築地川に「軽子(かるこ)橋」が架かっている。軽子とは荷物を運ぶ人足のこと。築地川の河岸からの荷揚げ作業に、橋名は由来するという。現在、跡地は公園になっている。09:15 入船橋交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第46回 】はここで終わり。


千代橋 → 入船橋交差点 : 3.0 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 137.6 km )






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Last updated  2024.04.14 09:50:44
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