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2023.12.08
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読レポ第1148号

カール・ロジャーズ

~カウセリングの原点~
著:諸富祥彦

発行:㈱KADOKWA

第1章 ロジャーズを理解するための5つのキーワード

「内臓感覚」で思考する/「内臓感覚」で生きる

ロジャーズのカウンセリングで深く耳を傾けていると、人はおのずと、他者の期待に応えるのをやめ、その社会に属していると自然と身につくティピカル(定型的)な思考を自動機械のように反複するのやめていく。すなわち、そうした「〈社会内的な在り方〉」から「離脱」していく(〈社会内的定型的存在様式〉からの離脱)。これはもちろん、定型的な思考パターンでしかものを考えられなっくている自分からの離脱である

 すると、同時に人ははゆっくりと、自分の内側に深く入っていく。「内側の、言葉にならない、大切な何か」に即して言葉を探すようになっていく。「あー、あの……なんて言ったらいいか……」「うーん……」と、そこから絞り出すように言葉を発していく。「そこに何か、大切なことがあることはわかっているけど、まだ言葉にならない何か」、その「何か」、言葉にならない暗黙知に触れながら、それを何のか言葉にしようと絞り出していく。この暗黙知は、「内臓感覚知」として、一人一人の内側に与えられる。自分自身の言葉を取り戻す時、人はそのようにして自分の内臓感覚から言葉を発するようになるのだ。

 このことをロジャーズは、「五感と内臓感覚での体験(sensory and visceral experiences)」という独特の言葉で表現した。この「内臓感覚」という言葉は、現代人が新たなよりどころを探すキーワードの一つになりうると私は思う。

 ロジャーズのカウンセリングにおいて、人が、より自分らしい自分を模索して生きる時、〈社会内の定型的な思考パターン〉に従ってものを考えるのをやめる。その代わりに、みずからの「内臓感覚」に従ってものを考え、判断して、生きるようになるのである(〈内臓感覚的存在様式〉)。みずからの「内臓感覚」に照らし合わせて言葉を選び、ものを考え、これからどうするかを選び取っていくようになるのである。それは、そのほうが、はるかにより懸命に生きることができるようになるからである。つまり「内臓感覚」は貴重な情報をもたらす「知の源泉」の一つである。それは一つの「身体知」であるが、ロジャーズの含意を尊重して、「内臓感覚知」とでも呼ぶのがいいだろう。

 「内臓感覚知」は豊かであり、また確固としていて、定かである。私たちが今のままでは何か違いと思う時、あるいは、人生の大事な岐路において何か謝った選択をしそうになっている時、それは、確かな「内臓感覚的違和感」をもって軌道修正を迫ってくる(「なんか、違う感じ……」)。その時点では、それが何であるのか、どのような理由でそうしてはならないかわからないいのだが、たしかに重要なことであるということはあるということはよくわかり(暗黙の知implicitlyknowing)、しばらく時間が経った後ではじめて、それが何であったのかわかるのだ

 このように多くの場合、内臓感覚で生きていくことは、人がより深く、賢明に生きることを可能にする。「内臓感覚知」は、論理的思考だけよりもはるかに精緻で、的確な判断を可能にする。

 内臓感覚で考える、というのは、知性や理性、言葉を捨てて、「野生に帰れ」「自然に帰れ」といったルソー的な命題とは異なる「考えるな。感じろ」といった反知性的な生き方のことでももちろんない。ロジャーズの言う「十分に機能する人間」がそうであるように、内臓感覚を大切な思考の手がかりとして生きる人は、それまでに獲得した多様な経験や知識など、ありとあらゆるデータをフルに活用してより賢明にものごとを判断していくようになるのである。

 ロジャーズのカウンセリングに共通する変化の方向は、一言で言えば〈社会内的定型的存在様式〉→〈内臓感覚的存在様式〉と定式化しうるものである

 多くの人は、今〈社会内的定型的存在様式〉でがんじれめになっている。その社会で堤とされた定型的な思考パターンの外に出ることができず、その内側でぐるぐると反複し続けている。そんな不自由さを抱え、自分でもどうしていいのかわからず、苦しみ、もがいている。頭だけでの思考は、どれほど自分で考えたつもりでいても、いつの間にか自然とその社会の定型的な思考パターンに搦め捕られてしまうからだ。

 内臓感覚は、「定型的思考パターンをずらし、その外に出る」ことを可能にしてくれる。カウンセリングにおいて無条件に受容されていると、人は次第にとらわれが緩んでいき、内臓感覚にアクセスし始める。「社会内的定型的存在様式から離脱」と「内臓感覚知へのダイレクト・アクセス」、それによる「内臓感覚定型的存在様式へ転換」―それは、ひとりロジャーズのみならず、多くの心理療法において共有されているものである。

 「内臓感覚」というロジャーズの概念は後継者の一人、ジェンドリンによって「フェルトセンス(felt sense)」概念としてより洗練された形で引き継がれていく。「内臓感覚知」は、「ジ・インプリシット(the implicit:暗黙なるもの)」による思考として精緻化されていく。人がみずから内側で直接アクセスすることができる、暗黙の知恵を含んだ曖昧な身体的実感、「フェルトセンス」=「ジ・インプリシット」は形式的な概念や論理的思考と相互作用することによって、特定の社会や文化における概知の「パターンを超えた思考(thinking beyond pattern)」を可能にしていく。

 ジェンドリンはさまざまな学問、芸術、スポーツなどにおいて領域横断的に、何事か、すでに存在した定型的なパターンを超えるクリエイティブな何かが生み出される時には必ず、ロジャーズが「内臓感覚」と呼びジェンドリンが「フェルトセンス」=「ジ・インプリシット」と呼ぶこの身体知が活用されことに着目した。ロジャーズが「内臓感覚」と呼びジェンドリンが「フェルトセンス」=「ジ・インプリシット」と呼ぶこと「何か」こそ、私たちの用いるあらゆる概念や論理的思考が立ち行かなくなり、そこで立ち止まる「思考の辺縁(エッジ)」である。それに着目した創造的な思考の訓練方法はTAH(Thinking At the Edge:思考の辺縁=エッジで思考する、まだ言葉にならない暗黙知での思考)と命名され定式科されている。

と著者は述べています

 確かに、 ロジャーズの言っているように深く耳を傾けていると、人はおのずと、他者の期待に応えるのをやめて、自ら徐々に「内臓感覚」で思考していく。つまり、自分の内側にある感じたことでの思考をする。

 まさしく私、昨日その現場に立ち会った。始めに言ったことが、深く耳を傾けていくうちに徐々に本人の内側におのずとアクセスしていき、変わっていった。
 ここで言っているように、一言で言えば〈社会内的定型的存在様式〉→〈内臓感覚的存在様式〉と変わっていたのです。
 社会内的定型的存在様式とは、社会に属していると自然と身についた定型的な思考の自動機械のように反複思考です。既成概念に囚われた思い込みがある思考だと思います。
 内臓感覚的存在様式とは、みずから内側で直接アクセスすることで、暗黙の知恵を含んだ曖昧な身体的実感思考である。自分の感じた、感じることでの既成概念に囚われないで自分の感じた事を信じての思考だと思います。
 人は、深く耳を傾けていくと、自分の内側に意識がフォーカスしていき、徐々にですが、自分らしい生き方になっていくのです。





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Last updated  2023.12.08 19:16:54
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