|
カテゴリ:心理学 メンタル 悩み、読書
読レポ第1168号 カール・ロジャーズ ~カウセリングの原点~ 著:諸富祥彦 発行:㈱KADOKWA 第2章 「カウンセリングにおける変化の過程」の発見 同じテーマについての書かれた5つの論文の中で、最初に置かれた「第5章 心理療法におけるいくつかの確かなる方向性」(Rogers.1953)の最初のあたりに、心理療法の本質について端的に書かれてた箇所がある。カウンセリングや心理療法で多くのクライアントが体験する「共通の体験」とはどのようなものかきわめて重要な箇所である。 潜在的自己(potential)を体験する すべてのケースははっきりと現れる心理療法の一つの側面は、体験のアウェアネス (awareneness of experience)とか、「体験を体験すること(the experiencinag ofexperience )」とよびうるのであろう。私はここで自己体験することという表現を用いたが、これも正確な 用語というには不十分である。クライアント中心のセラピストとの関係の安全性においは、 自己に対するいかなる現実的な脅威も暗黙の脅威も存在しない。そうした関係の中でクラ イアントは、自分自身の体験のいろいろな側面を、実際に自分に感じられるままに、五感 の器官や内臓感覚的装置(sensory and visceral equipment)を通じて感じられるままに、 今の自己概念に合わせるために歪曲することなく、吟味していくことができる。 また、同じ論文の別な箇所では、次のように言う。 心理療法とは、五感と内臓感覚的な体験に立ち返ることを意味していると思われる。それ は、もし私たちすべての動物の特徴である五感と内臓感覚での体験に、ただ人間という動 物のみが十分になしうる自由で歪みのない意識という贈り物を与えることができるならば、 美しく建設的で現実的な生命体になることができる、という発見なのである。 ここに、ロジャーズの考えるカウンセリングや心理療法の本質が端的に示されている。カウンセリング、心理療法とは、アウェアネスをもって、自分の内的な体験を十分に体験する、ということである。それは、アウェアネスを伴って、「五感と内臓感覚的な体験に立ち返る」ということである。それが、カウンセリング/心理療法の本質である。 カウンセリングや心理療法の役割は、クライアントの体験に外から何かを加えることではない。クライアントがまだ明確な気づきには至っていなくても、曖昧な仕方で、暗黙のうちに体験しつつある自己の体験を、より十分に体験しつくすことができるようにすることである。より深く、より広く、自己の体験をより十分に体験し、体験しつくすこと。そこから、新たな気づきや意味がうまれてくること。このプロセスにこそ、カウンセリングや心理療法の核心はある。 自分の内的な体験を十分に体験する。クライアントが、一人ではなかなか十分に探索し体験しつくせない自己の内的な体験を、より広く、さまざまな視点から十分に体験すること、体験しつくすこと。それができるように援助するのが、良質なカウンセラーやセラピストがおこなっていることである。 先に引用したロジャーズの言葉は、カウンセリングや心理療法のこの核心をズバリとつかんでいる。今も、まったく古びていない。この仕事をしている人間がもう立ち返るべき「原点」が先の言葉に示されている、と言っていいだろう。 と著者は述べています。 カウンセラーやセラピストとは、クライアントの自己に対するいかなる現実的な脅威も暗黙の脅威も存在しないように安全な環境作り。クラ イアントは、自分自身の体験のいろいろな側面を、実際に自分自身に感じられるままに、五感の器官や内臓感覚的装置を通じて感じられるままに、今の自己概念に合わせるために歪曲することなく、吟味していくことを援助することであると私も思います。 これは、私が活動している話し合いのミーティングファシリテーターでも同じようなことである。話し合いに参加している一人ひとりの安全な発言の環境づくり。参加者が自分に感じられたままの発言を否定しないで肯定的に受容(受け取る)することです。ミーティングファシリテーターも参加している人の発言しやすいように援助するだけです。 これは、学校の教員や会社の上司にも言えることのように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.12.28 20:06:46
コメント(0) | コメントを書く
[心理学 メンタル 悩み、読書] カテゴリの最新記事
|