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2023.12.29
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読レポ第1169号

カール・ロジャーズ

~カウセリングの原点~

著:諸富祥彦

発行:㈱KADOKWA

第2章 「カウンセリングにおける変化の過程」の発見
 心理療法とは、「五感と内臓感覚的な体験に立ち返ること」である2/2

 

※3点、付け加えておきたい。

 1953年に書かれたロジャーズのこの論文は、ロジャーズのあらゆる文献の中でも、セラピィの本質をズバッとついた最高の論文の一つである。

 ロジャーズ51歳。臨床家としても、研究者としても、この頃がおそらく全盛期である。幸いにして、私たちは、同時期のロジャーズのカウンセリングの実際を映像で見ることができる。1953年から1955年頃に撮影された『ミス・マンとの面接』(畠瀬稔 関西人間関係研究センター)である。この映像資料で私たちは全盛期の、的確で精緻なロジャーズのカウンセリングの実際をみることができる。大学院生の訓練などにも最適であり、筆者自身も数十回はみている。


  先の記述の中で、「心理療法とは、五感と内臓感覚的な体験に立ち返ること」である、という、身体感覚に着目した表現がなされている。フェルトセンスという身体感覚を重視した教え子ジェンドリンとは別に、ロジャーズ自身も身体感覚に着目していたのだ、と通常は考えられている。しかし、近年執筆された田中(2018)によれば、ジェンドリンが1950年に提出した修士論文の中に、ロジャーズの『クライアント中心療法』(1951年)の草稿が、せでに引用されているとのことである。これは、この学派の心理学において重要な意味を持つ歴史的資料である。未公刊の著作の原稿をドラフトの時点で入手できていた、ということは、すでに何らかの深さ、何らかの頻度で両者の間に交流があった、と考えるのが自然である。すると、1949年から1950年、ロジャーズ47歳から48歳、ジェンドリン23歳から24歳の時に二人がお互いに刺激し合いヒントを得るような会話をしていた可能性は十分にある。ロジャーズが最初に sensoory and visceral experience(五感と内臓での体験)という言葉を用いたとされている1951年『クライアント中心療法』が完成稿に至る時点ですでに、ドラフトを読んだ若きジェンドリンとの会話の中で得たヒントをもとにロジャーズがこの言葉を創出し使い始めていた可能性すら否定はできないでありう。つねに他者との交流の中で自らの理論を柔軟に更新し続けたロジャーズという人間の性質を顧みるならばそれは自然なことである

 この箇所に、ロジャーズのアプローチ、そして、パーソンセンタード、クライアントセンタード、と呼ばれるセラピィの核心となる原理が端的に示されているように思われる。

 中田(2014)諸富(1992a)は、パーソンセンタード・セラピィ(PCT)の内部で、古典派、フォーカシング派、EFT派、さまざまな立場による「内部対立」が生じている問題を取り上げている。中田(2014)は、「傾聴とフォーカシング、EFTその他それそれを臨床実践上で結ぶ論理」「傾聴だけをおこなう立場とFocusingやEFTなどのPCT傘下の各立場や方法(中略)に通底する論理」を「PCAの定義」として他の学派に提示する必要性を説いている。

 筆者は、この箇所こそ、その「論理」ないし「原理」を示していると考える。すなわち、カウンセリングのクライアントやワークショップの参加者一人一人が、「潜在的な自己体験する」「体験のアウェアネス」「体験を体験する(the experiencing of experience)」とここでロジャーズが言っている、体験を十分に体験すること、「クライアント中心のセラピストとの関係の安全性においては、自己に対するいかなる現実的な脅威も暗黙の脅威も存在しない。そうして関係の中で自分自身の体験のいろいろな側面を、実際に自分に感じられるままに、五感の器官や内臓感覚的な装置を通して感じられるままに」体験する、という機会を提供しうることが、このアプローチの核心ではないか、と考えている。使う技法云々の些末な問題ではない。

 クライアントやワークショップの参加者は、暗黙のうちにであれすでに潜在的に体験し始めていたであろうその体験をより十分に体験し、体験し尽くし、それを体験として展開していく。するとそこから、意味や気づきが生成されていく、パーソンセンタードのセラピストやファシリテーターの役割は、この「内臓感覚的な暗黙の体験をより十分に体験し、そこからアウェアネスや意味が生成されていくプロセス」を十分に展開していくように自覚的にサポートしていくことにある、と筆者は考えるのである。「クライアントがみずからの、まだ潜在的な内臓感覚的な体験をより自覚的意識的に十分に体験し尽くし、展開し、そこからアウェアネスや意味が生成されていくプロセスを支援すること」こそが「パーソンセンタードのアプローチに共通の実践的基盤」であり、「原理」である、と筆者は考えている。

 精神分析の壮大な思想体系、認知行動療法のサイエンス性に対抗しうるこの学派の本質は、「なまの、内臓感覚的な、生命体的への立ち返り」=「野生」である。

と著者は述べています

 ここの項でも、「クライアント中心のセラピスト(カウセラー)との関係の安全性においては、自己に対するいかなる現実的な脅威も暗黙の脅威も存在しない。そうして関係の中で自分自身の体験のいろいろな側面を、実際に自分に感じられるままに、五感の器官や内臓感覚的な装置を通して感じられるままに」体験して「クライアントがみずからの、まだ潜在的な内臓感覚的な体験をより自覚的意識的に十分に体験し尽くし、展開し、そこからアウェアネスや意味が生成されていくプロセスを支援すること」こそががセラピスト(カウセラー)の役目であり、さらに、ここでワークショップでのファシリテーターもともと、ロジャーズ言っていた。
 やはり、ファシリテーターも同じであることが、確認できました。なによりも、クライアントや参加者の安全性を保ちクライアントや参加者の自身の自らの思いを言葉化する援助が大事であることに、再確認できました。
 クライアントや参加者のなまの、内臓感覚的な、生命体的への立ち返る援助がセラピスト(カウセラー)やファシリテーターの役割であることを。





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Last updated  2023.12.29 22:14:12
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