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敗戦後の日本を駆け抜けた男。
安藤明。 彼のことを、日本のフィクサーとして、宮崎学が本にまとめている。 かつて、敗戦国日本に厚木事件というのがおこった。 終戦時に、マッカーサーは厚木飛行場に降り立ったが、 その厚木周辺には、終戦を認めようとしない軍人が終結して、飛行場に壊れた日本機を並べて着陸の妨害する行動を起こしだしたのだ。 その時、米軍は、もしマッカーサー一行に危害が加えられたら、沖縄から爆撃機が飛んで東京の皇居に原子爆弾を落とす予定で準備していたという。 第三の原子爆弾の投下だ。 そのときの日本軍には、すでに厚木の軍人たちの暴動を抑える力がなくなっていた。 そして、万策つきた責任者が、土建屋の親分だった安藤明に頭を下げて、処理を依頼する。 そこで安藤明は子分を集めると、一晩で壊れた飛行機を撤去して、飛行場を綺麗にしてしまったのだ。 さらに、集結していた軍人を説得して、マッカーサー元帥が無事に降り立つことを成功させてしまう。 このときの軍からの礼金500億円。 この金を使って、次にこの安藤明は、何をおこなったか。 焼け野原の東京・築地に、昭和の鹿鳴館と呼ばれる「大安クラブ」が誕生させたのだ。 多数の美女たちが雇い、酒、女、破格の贈り物など、私財を投げ打って、 GHQ高官相手に接待攻勢が繰り広げられたのだ。 いったい、彼は、なんのためにそんなことを行ったのか。 目的は、昭和天皇とマッカーサーの会見。 そして、天皇制の護持だったといわれている。 戦後、アメリカは、天皇の戦争責任について、意見が二分していた。 戦争責任の追及、戦後統治の役目。 そこで、安藤明は、このような奇想天外な行動を行っていったのだ。 昭和天皇とマッカーサー元帥の歴史的会見は成功する。 東京駅前、丸の内の「オアゾ」というお洒落なビルがある。 そこの丸の内ホテルの七階に「大安クラブ」という店がある。 この店は、かつての昭和の鹿鳴館といわれた、あの「大安クラブ」を作った安藤明氏の次男によって名前が復活されたものだという。 この記事を評価する お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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