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ヒーリング・カウンセラー溝口あゆかイギリス便り

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2008年12月05日
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飛行機に乗る前は元気だったのに、降りた頃には喉がやられ、鼻水が止まらず状態になっていました。う~ん、日頃からもっと体をいたわり、かつ、鍛えておかなきゃね、と反省。で、イギリスは冷え込んでいますよ~。

さて、前回はえらく長かったので、今回は短めに(たぶん)いきますね~。頂いたコメントを拝見したり、自分やクライアントさんの体験を振り返り、↓のことを書いてみようかなと思いました。

安堵感や安心感、愛を感じられるためには、誰かが自分を愛してくれることだと思い、振り向かない相手、誠実ではない相手、または自分を尊重してくれない相手などにしがみついてしまうとき、私たちは一番苦しむでしょう。それは、自分が求める愛を相手が注いでくれないからではなく、真の苦しみの原因は、私たちが幻想にしがみついているからです。

求めている愛は本当は自分の中に昔からあって、常にあって、今もこれからもずっとあると気がついたとき、私たちは、幻想から抜け出すことができるのでしょう。それまで、おそらく何度も何度も幻想のドラマのなかで傷つき、途方に暮れ、絶望し、体が動かないぐらい落ち込むのかもしれません。

そんな暗闇にいる人を見るにつれ、ほんとうは愛と光がその人に燦燦と降り注がれているのだから、幻想を信じ込むのをやめて、自分に思考をよく見つめていけば、その光に向かって歩いていけるのにと歯がゆく思うこともあります。

とはいえ、私もかつてはどっぷり暗闇に陥り、ソファの中でうずくまって泣いていたことも何度もありました。今でも、よく幻想のドラマの中に入り込み、不安になることが年中あります。

しかし、一日に一度、燦燦と注いでいる光に向けて顔をあげ、大丈夫なんだ、愛はあふれんばかりにあるんだと思い出します。私が正気に戻る一瞬です。そして、奇跡の学習コース、ガンガジ、バイロン・ケイティ、エックハルト・トールなど正気を完全に取り戻した(?)マスターたちの言葉に触れ、確認しています。

自己憐憫(どうして私だけが・・・、どうせ私なんか・・・etc)、被害者意識(あの人さえ~~してくれたら、あの人があんなことを私にしたから・・・etc)、罪悪感(こんな私は幸せになる価値はないetc)、自己否定(私はひどい人間だetc)、生きていく上で、多くの幻想のドラマがあるでしょう。自分の苦しみが大きければ、大きいほど、それは幻想のドラマに深くはまっているということです。

カウンセリングをしていて難しいと思うときは、その方がとても苦しんでいらっしゃるから、なんとなかその幻想のドラマから抜け出すお手伝いをしたいと思っても、その方は、自分のドラマにものすごい勢いでしがみつているときです。

幻想なのだから、どうでもいい、気にするなということではありません。反対に、幻想のドラマをよ~く見つめ、どこにウソ(=真実でない)があるのか、見破るということです。見破ったとたん、あれほど現実だ、事実だと思っていたことが、サーと霧がひくように消えて行きます。

残るのは、開放感と驚き、そしてほんとうの意味で眼が開いた感覚。そして、愛と感謝。

バイロン・ケイティのワークは、これにとても有効なツールで、大変お勧めです。(くどいけど)私は私なりにやったり、バイロン・ケイティのワークを使ったり、少し変化させて使ったりしています。

さて、下記のコメントを頂きました。ありがとうございます!

こんばんは。
前から、エゴでない『愛』ってどういうことなのだろうと思っていました。いわゆる異性間でのニーズを満たす愛しかしらなかったので。<中略>いわゆる老若男女関係なく愛する『博愛』ならイメージできるのです。しかし、いわゆる、異性間で、エゴ以外の愛の交換って一体なんだろうってどうしてもそこでゆきづまります。すべてが博愛なら、結婚なんて全く意味がないし、男女がいる意味も本当に生殖のためだけになる。それだけなのかなあ?と、思うと本当にわからなくなりますね。今、それがゆきづまっているところです。

私もエゴがない愛を体験したことがないので、推測になりますが、エゴがない(ニーズがない)ということは、自分の中に欠如感がないということですね。自分の中にないと思っているものを満たしてもらうために恋愛や結婚をするのではなく、相手をただ愛しているからという真にシンプルな理由で恋愛し、結婚するのだと思います。(「まずは思い込みを捨てましょう」を参照にしてみてください)

自分を真に深いレベルから愛したとき、老若男女関係なく愛する『博愛』と自分が選んだ相手への愛がまったく変らないことに気がつくでしょう。頭でいろいろイメージしても、自分がほんとうに体験するまでは、きっと分からないことなのだろうなぁと思います。

日々の生活の中で自分を許し、受け入れるたびに、または、自分の本心にしっかり耳を傾けるたびに、私たちはそんなエゴのない愛に一歩一歩近づいていくのでしょう。

結局そんなに短くありませんでした。はは。今回も読んでくださってありがとうございます!ハート(手書き)







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最終更新日  2008年12月06日 02時30分11秒
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 未知の世界?   rei_m さん
>自分を真に深いレベルから愛したとき、老若男女関係なく愛する『博愛』と自分が選んだ相手への愛がまったく変らないことに気がつくでしょう。頭でいろいろイメージしても、自分がほんとうに体験するまでは、きっと分からないことなのだろうなぁと思います。


そのような種類の「パートナーに対する愛情」ってホントにあるんでしょうかね。
もしあるとしたら、そういう段階ではSEXなどもしなくなってしまうのでしょうか?

「幻想のドラマ」に関するお話は、またまた目からウロコでした。 (2008年12月06日 03時38分09秒)

 cling   まほ さん
12/5のバイロンのBlogにも同じようなことが書かれてますね。

http://www.byronkatie.com/2008/12/why_cant_we_change.htm

We know people who always seem to drift into painful relationships. As soon as they get out of one painful relationship, they begin another. Why can’t they change?
・・・
We cling to our stories and can't let go. Just the thought of change is stressful. We can't change when we don't really want to.

幻想やストーリーにしがみついている間は、それが幻想とはなかなか切り替えられないんですよね。特にそのまっただ中にいるときは。難しいワークです・・・。 (2008年12月06日 14時22分06秒)

 度々失礼します。   rei_m さん
とあるメルマガのバックナンバー
http://archive.mag2.com/0000164141/20080919141351000.html?start=20


「恋愛感情は『愛』『依存心』『罪悪感』の3つの要素からできていて、『依存心』と『罪悪感』が極力、少なくなるのが理想だが、(生きている限り人の欲求はゼロにはならないので)『依存心』をゼロにすることは不可能」

と書かれています。
恋愛(パートナーシップ)においてエゴの要素をゼロにしてしまったらもはや関係は成立しなくなってしまうのかもしれません。
パートナーとそれ以外の人々を全く同じように扱うことは不可能でしょうし。 (2008年12月06日 18時43分24秒)

 恋愛感情はやっぱりエゴ?   かえで さん
あゆかさん、コメントにご回答くださりありがとうございます。

私は『神との対話』とかいろいろ読んでいて、一夫一婦制の結婚は保障とか、一生一人の人を愛し続けるべき!というエゴを守るものじゃないの?っていう疑問が湧いて、考えれば考えるほどそうとしか思えなかったんですね。
で、やっぱりそうなんだなあと。
異性に感じるいわゆる恋愛感情は、生殖のための一瞬の幻なんですね。ちょっと残念・・・。

今日外出して窓の外を眺める席で食事したんですが、ちょうど交差点のところだったので、男女のカップルがいっぱい見えました。
この人たちも所詮は『男女はカップルになるべき』『一夫一婦制の結婚』という思い込みでくっついているのかなと思うと、まだそれを否定したい、なにか希望を見出したい自分がいます。 (2008年12月06日 19時51分51秒)

 たとえ始まりはそうでも・・・   rei_m さん
>かえでさん
たとえ恋愛やパートナーシップの元々の始まりというか目的は「生殖」であっても、本人達次第でそれを
「お互い慈しみ合ったり触発し合ったりして共に成長して行く、深いレベルの交わり」
にしていくことも可能なんだと思います。
人間である以上逃れられない「エゴ」は上手く手放したり飼いならしたりしつつ。
これは人にだけ与えられた特権なのかもしれませんね。 (2008年12月06日 21時13分25秒)

 その中間にあるもの   kazun さん
「博愛」と「特定異性との恋愛」の間にも、いろいろ解かり易い段階や例があると思うのですが…、「グループや仲間との絆」「親友との友情」「親子間家族の絆」等、いろんなパターンで、相手の事を100%純粋に思いやりから何か助けてあげたいと、思える心。
湧いてくるイメージです。「交換」や、「計算」も、ダメだ!と頭ごなしに否定(自己否定および、他者否定)ではなく、「その考えが私を苦しめているでしょうか?相手を苦しめているでしょうか?」と、静かに考えていくと、何か見えてくるかもしれません。

すいません

えらそうになんか書いてしまいましたが、もし、参考になればと思い書きました。 (2008年12月07日 08時42分43秒)

 Re:幻想のドラマを手放す(12/05)   Mari さん
こんにちは!
最近、あゆかさんの記事にケイティが登場することが多く、うれしい限りです。
実は来月、柏市でのストレスに関する市民講演会で、バイロン・ケイティのワークについてお話させていただくことになりました。入場は無料ですので、この機会に是非ワークのパワーを見て聞いて、体験して下さい。よろしくお願いします。
http://www.cafeblo.com/lotuscommu/archive/166 (2008年12月07日 18時45分34秒)

 愛はいろんなかたちに変化する?   あっちゃん さん
生殖って、ひとつのかたちの愛だと
思いました。
しかも命の営みのなかに実感として入ったということでもあります。
(親から生まれてくる時点でそうなのかもしれません。)

パートナーとの愛の形も時間をかけてゆっくり変化している気がします。

それは隣人愛的なものにいずれなっていく予感がします。
また、自分の子であっても、自分ではないといつもブツブツ?となえています。
他人(家族やパートナー)を動かそうとするとき、私はいつも
いらだちを感じ、怒りの気持ちが
沸いてきます。
でも、また自分と他人を同じくらいに大切に
しようという思いに立ち返れたとき
すっきりした気持ちになります。

自分が結婚したときは、罪悪感?と経済的依存心?
はありましたが
底にはあたたかい、いままでにない異性との心の奔流(かなりテンション低い流れ…)を感じたので

恋愛?というか一時的な盛り上がった気持ちが
下がったときでも、相手の人間性を信頼できると
思って結婚しました。

今は、いろんな葛藤やぶつかりを経て
新しいパートナーシップを結ぶ過程をたどっています。
罪悪感、経済的依存心から抜け出せたのは
悩んだ自分と、それに関わりを持ってくれた
(衝突した人も入れて)人たちのおかげでそ。

それと自分自身に「根拠なき」(これ、大事…何もしなくても誰でも愛されるものなのです。)自信が
持てるようになってきたからです。

溝口さんのような人が現におられますし、全国や
世界にも愛を発信し続けてくれる人が
いっぱいいるので、アンテナを捨てなければ
キャッチする日は来ると思うのです…。
まだまだわかっちゃいませんが。。。
(2008年12月07日 19時50分40秒)

 分かち合い   etuko さん
タイムリーなテーマをありがとうございます!

私も先日、クライアントさんから同じ質問をされました。
自分が満たされていて、誰でも同じように愛するのなら、パートナーの必要性は?と。

自分が満たされていて、幸せでいっぱいで、その幸せな感じを誰かと分かち合いたいわ、と思った時に誰か一緒にそれを分かち合ってくれる人がいたら素敵ではないですか、と私が回答しましたところ、非常に納得していただけました。

必要なものがなくなったら、与えることができるようになりますよね。
分かち合うことで、愛が倍増します!
http://openingheart.net/ (2008年12月08日 00時43分06秒)

 参考になります!   あひる さん
あゆかさんの話とみなさんのコメント、とても参考になりました。(いつもだけど)
親に愛されないことに強くこだわってきてしまったいたのですが、というよりそこに気がつくまでが長かったのですが、それがそれほど気にならなくなりました。どんな親でもその中に一粒の愛は含まれていると認められるような気がします。(まだあふれるような愛に包まれていると実感できない私です・・・)理想の形は理想であって、そこを目指すのは同じでも、行きかたは皆がそれぞれ工夫するところなのかもなんて思います。

あゆかさん、お体お大事にされてください~。 (2008年12月08日 17時05分19秒)

 ざくざく出てます!出てます!   haruko さん
あゆかさんのブログや本を拝読し、仕事の休み時間に一人でランチに行って心の深い所に入り込み、ノートに書き出しています。
びっくりするほど「がんばらなきゃ、いけない!だってそうしないと認められないから!認められるために苦しくなるほど頑張らなければ!苦しまなければ!みじめな人生になってしまう!みじめな人生は嫌!ひとからすばらしい人って思われなきゃ!思われなきゃ!」すごいエゴの声が噴出しています(笑)
職場での悩みなんかも、すべて原因は自分・・・。
軍隊の指揮官のような厳しい声を、他でもない自分に怒鳴りつけているなんて・・・。
すごいですねぇ。
掻き出せるだけ掻き出して、じっくりみつめてみます。
第一段階です。 (2008年12月09日 15時23分51秒)

 はじめまして   あずき さん
はじめまして。あゆかさんの本は3冊ほど読ませていただいて、ここでも時々感銘をうけているものです。いまはバイロンケイティさんの本を読んでいます。
「エゴがない(ニーズがない)ということは、自分の中に欠如感がないということですね。自分の中にないと思っているものを満たしてもらうために恋愛や結婚をするのではなく、相手をただ愛しているからという真にシンプルな理由で恋愛し、結婚するのだと思います」というところで、なるほどーと思いつつ、でもそうだったらパートナーというのはどういうところでこの人だってなるのかな、という素朴な疑問がでてきました。「ただ愛してる」っていうのはどういうことなんだろうと・・私は離婚して娘といま二人ぐらしですが、娘に対する愛情はそういうかんじなのですが娘が私のことを好き好き言うのでなんで好きなのかきくと「ママが産ましてくれたから(産んでくれたから)」と言います。今6歳ですが、4、5歳のときからそう言ってました。
家族は産まれたときに決まっているので、ただ愛すという感覚が分かるような気がするな・・もしかして友人に対する愛も「ただ愛す」という感覚に近い気もしてきました。そういうことなのかも・・
九州に住んでいてなかなか腰が重いですが、本やブログがとてもありがたいです。いつもありがとうございます。 (2008年12月22日 15時44分34秒)

 いつも助けになるメッセージ有難うございます   おれんじ さん
今日はじめてこちらの記事を見てやっとホッとできたと感じています。ずっと長い間母との確執があり、母と全く分かり合えないつらさ、母に自分を認めてもらえない悲しさ、痛み、そこからくる激しい怒り、そんな感情を繰り返し繰り返し感じてきました。いつかは母が私を理解してくれるのではないかと思ってあきらめずに何度も何度も同じ事を繰り返して…。でも今日はもう限界に来て母に大爆発してしまいました。母は相変わらず謝ることもなく理解もせず怒鳴り返すだけでした。父が亡くなったのはお前のせいだ、兄もお前の事は大嫌いだとも言いました。私の気遣いや愛情、家での手伝い、力仕事、そうしたものを全く感じようとせず、ただ自分の中に閉じこもっている母。時には怒りながら、時には嘲笑さえしながら私を罵倒する母に深く傷つき、私はどうしてこんな親を選んで生まれてきたのだろうと落ち込みました。他の人達がうらやましくて…。

こうした感情も自分ではずせるのでしょうか?できるんでしょうね。今はこの状況の理由が全く分からないので深く理解は出来ないのですが。出口は必ずある。そう思ってこの文章を読むと、自分がしっかり握り締めている思いも見えてくる気がします。今日、みじめな気持ち、愛情に飢えた気持ちでいた自分が初めてホッと出来た気がします。トンネルは長いですが、先は明るいと信じて。有難う。 (2008年12月31日 23時10分03秒)


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