忘れないこと。
風邪を引いて、甲子園に行って送別会が有って仕事が忙しい。それでも人間は偉いもんで、風邪は漸く治ろうとしている。昨日も遅くなった。家人に電話を入れたのは晩の9時過ぎ。慌てて帰る。私の方が言って置いたのだ。忘れるなよって。思えば色々教えてもらった。世の中の事、未だ本当に知らなかった事が多い。毎年30万と言われる犬や猫達が殺処分にあっているこの国は、今回の中国との問題でも露呈したが、本当はどうしようも無い国なのかも知れない。欧州に訪れ、片やギリシャの国債を買うと言い、片や尖閣の理解を求める。そりゃ相手にもされんわなぁ、煙草は上がる、ガソリンの暫定税率、もうみんな忘れたでしょう?結局払い続けてます。何を怒ってるのだろう、仕方の無い事なのだが。団体や個人やいろんな想いがあって、どうしてそれが上手く行かないのだろう。テレビでは安く上がるから子供の動物番組が多いが、子供の犬や猫しか可愛いと理解出来ないのは、本当にこの国は動物を飼う資格がない人間の集まりでは無いのか。街で生きる野良猫、彼らの表情は昨日今日出来るモノでは無く、多くの苦労や喜びから出来ている。人間が嫌いな野良も、人間が好きな野良も彼らの都合では無く、全て人間の都合だと思うのだが。それでも顔や、表情は見ているだけで楽しい。ご主人と楽しそうに散歩をしている犬達も、よく見れば体型や仕草から、何となくその子の生活が見える。それが楽しいし、面白いと思うのだが。改めて、我が家の長女。歯も抜けて髭もいつの間にか無くなり、オムツが外せなくなり、耳が聞こえない、我が儘に成って吠える事が多くなりました。でも、今が一番可愛いと思います。歳を取れば手が掛かります。当然です、体臭もちょっと強くなりましたし、屁も人間なみです。今までは私に絶対服従でしたが、最近は主張もしてきます。散歩のコース、歩く速度、トイレの場所も好きな所。仕方無いです、老犬の部類に入りますから。犬とは、猫とはそんなモノです。人間もそうじゃ無いのかな。こんなユキがもし今、目が見えなくなって。面倒だからって捨てられたら。ちょっと考えられませんが捨てられた子が居ました。犬の心中を察しても仕方無いですが、どんなに不安だったでしょう、どんなに寂しかっただろう。それが出来る飼い主はどんな顔をして今生きてるんだろう。怒っても仕方ないですがね。五郎蔵、昨日四十九日でした。私当直でしたからお酒は飲めませんでした。それでもちょっと、部屋に出して、夕食に付き合って貰いました。明日が休みです、私。今パソコンの横に五郎蔵を引っぱり出して、酒の付き合いをして貰ってます。昔、震災の後いろいろ活動をしました。その後、野宿者支援にも関わりました。その都度人間が嫌いに成ったのは私の勝手ですが、五郎蔵も人間が嫌いに成ってないのだろうか?短い付き合いだったが、今は家族に成った彼。忘れませんし、忘れられません。なぁ、五郎蔵心配はするな。お前はワシらの心に何時も居る。家人の携帯、1台はスズで1台は待ち受けはお前に成っとる。決して忘れない。そんな貧しい人間に、とうちゃんもかあちゃんも成らないから。