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東京都多摩市に、一宮という地名があります。
その一宮に、小野神社があります。 武蔵国一宮といえば、現在は大宮にある氷川神社ですが、それは中世以降のことで、それまでは小野神社が一宮でした。 創建は、安寧天皇18年(紀元前532年)と伝えられている古社です。 御祭神は現在、天下春命(あまのしたはるのみこと)を筆頭にしています。 天下春命は、秩父神社の御祭神の八意思兼命(やおもいおもいかねのみこと)の皇子にあたりますので、秩父氏と何らかの関係があったのかもしれません。 しかし、小野神社は古来、瀬織津姫の一神のみを、お祀りして来たとも言われています。 実は小野神社は、もう一箇所あるのです。 多摩川を越えた、府中市住吉町にも小野神社が存在します。 府中市側の小野神社です。 小野神社近くの多摩川です。 昔はダムも多摩川上水への取水もなく、水量の多い暴れ川だったそうです。 どうして、小野神社が二つあるのかというと、元々は一つだったのが多摩川の洪水や氾濫で、村ごと移転しなければならなかった様です。 ところが、だんだん元の場所にも戻る人たちがいて、神社を再建したと考えられています。 現在では、府中市側の方が元宮があった所ではないかと言われていますが、はっきりとしたことは分かりません。 府中市側の小野神社に祀られているのも、瀬織津姫なのです。 多摩市側の小野神社の社殿や神門には、金色に輝く菊のご紋が付けられています。 瀬織津姫を、天照大神の荒魂としてお祀りしているからなのでしょうか? それとも末社に、伊勢神宮内宮・外宮をお祀りしているからでしょうか? それならば、どうして筆頭が天下春命なのでしょうか? 疑問が残ります。 ところが、府中市側の小野神社には、菊ではなく三つ巴の紋が付いています。 本来小野神社には、こちらの三つ巴の紋が付いていたのではないでしょうか。 つまり、小野神社にお祀られている瀬織津姫は、天照大神の荒魂としてではなく、本来の姿の瀬織津姫だということになるのではないでしょうか。 一宮から府中のあたりまでを、昔は小野郷と呼ばれていました。 遣隋使として隋へ渡った小野妹子や、六歌仙の一人の小野小町と同じ、小野氏が住んだ所でした。 小野氏は、近江国滋賀郡小野村(滋賀県大津市)周辺を本拠地にしていました。 琵琶湖の畔にある唐崎神社(からさきじんじゃ)は、天智天皇の時代からの祓所です。 創建は舒明天皇(じょめいてんのう)6年(633年)、七瀬之祓(ひちのせのはらい)の第一処として定められ、毎年7月には祓祭り「夏越の祓の御手洗祭」が行なわれています。 そのご祭神は、女別当命(わけおきひめのみこと)で、琴御館宇志丸宿弥(ことのたちうしまるのすくね)の妻とされていますが、その性格から瀬織津姫が隠されていると思われます。 武蔵国の小野郷でも、多摩川の岸の小野神社で、きっと祓祭りが行なわれていたのではないでしょうか。 瀬織津姫は、非常に力の強い女神様でしたが、日本書紀の完成によってその名前が消されてしまいます。 しかし、その力の強さ故、朝廷からも力だけは利用され続けて来たのです。 瀬織津姫を慕う人たちによって、その名が守り続けられて来たのは、全国で百社程度と言われています。 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
February 19, 2008 04:23:06 AM
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