カテゴリ:ナーラダ・バクティ・スートラ
『ナーラダ・バクティ・スートラ』 (要旨解説) 不安と疑いは無知から生じる産物である。主から離れると恐怖が生まれる。将来が心配になる。そして幻惑され主以外の相対的な概念でこの苦しみを逃れようと努力する。それが無知である。前節に挙げられた良い質を身につけない限りこの無知から逃れることはできない。『バガヴァッド・ギーター』第13章12節で、主は良い質(スヴァダー)を説明した後、「以上のことが知識の本質であり、これに反することが無知であると私は明言する」と宣言している。この不安と疑いに代表される心の迷いは執着と嫌悪という二元相対観念から生まれる。この大敵に打ち勝つには主の正統な代表者であるグルと歴代のアーチャリヤの御足に保護を求めなければならない。グル、シャーストラ、サドゥの見解は一致している。人類にとって最高の恩恵は全身全霊でする献身奉仕(アナンニャ・バクティ)によるバガヴァーン・シュリークリシュナの礼拝(バジャナ)によって得られることを確証している。師弟継承(グル・パランパラー)に入ることより不安と疑いから解放され、師弟継承をつなぐ慈悲が与えられると、つまり人にクリシュナ意識を配る側に回ると、一意専心の「バクティ」(アナンニャ・バクティ)が得られる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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いつも有難うございます。
人はどうしても感覚器官を通して、心が対象をとらえるので、二元相対の中で「あぁしなければ」「こうしなければ」と思考をフル活用して、結果を望んでしまいます。 この節は、主の御名を離れてはこの無知の世界からは抜け出れないとしている。 この心癖こそ、問題であり、心が思索にふける前に、すぐ主を意識する自分にならなければと理解させて頂きました。 (Aug 17, 2016 10:47:17 AM)
>虹の父さん
心を死滅(ニローダ)させることなどカリ・ユガでは不可能です。 クリシュナの方に向ける。そうすると体験が得られ、考えるという心の機能が自然になくなり脳波が下がります。 クリシュナに心を固定する最善の方法が主の御名を唱えることです。 心が思索にふける前に、主に意識を向けるとは至言ですね。 ありがとうございます。 感謝 番茶 (Sep 5, 2016 10:31:15 PM) |
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