<013>よりつづく
「ウェブ進化論」私的検証014---序章 ウェブ社会 その6
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ネット世界とリアル世界p023
うーむ、よくある対峙の構造だが、ホントはよく分からない対峙だね。これだけでは何を言おうとしているのかは分からない。少なくとも、著者にとっては、リアル世界よりネット世界がより可能性を秘めている、という論旨になるのであろう。
本書はネット世界の最先端で何が起きているのかに焦点を当てる。情報技術(IT)ではなく「情報そのものに関する革命的変化」が今起ころうとしているのだということを、何とか伝えたいと思う。しかし今、その大変化は、ネットの「あちら側」で起きている。見ようという意思を持たなければ見えない場所で起きている変化だから、これが厄介なのである。
さぁ、でてきたぞ、「あちら側」という単語。もうここまで来ると、著者を罵倒したらいいのか、あるいは、言葉で表現しきれないことを、一生懸命、表現しようとしている著者を激励するか、どちらかに傾かないと、この本を読み進めることができない。罵倒してさっさと退却することはいつでもできるので、今はとにかく、書いてくれた著者を歓迎激励しつつ、読み続ける自分を励まして、前に進むしかないだろう。
たとえば、本書でこれから繰り返すグーグルという会社の何が凄いのかということは、ほとんどの人がよくわからない。
ああ、この文章があると、自分的には、ほっとする。やっぱ、わかりにくいことなんだね。googleについては、すでに本著を一回一読しているのだから、おおよそのことを把握したが、今回さらに精読することによって、何がどう理解できるのか、実は、本当は怖い。理解できなかったら、どうしよう、とも思う。
しかし「あちら側」に構築されつつある情報発電所のような仕組みとなると、それはパソコンという窓を通してネットに向き合うことでしか、その姿を想像することができない。
う~~ん、パソコンでよかった。これが、スーパーコンピュータとか、特別な技術を言われたら、ちょっととまどったかも。パソコンという窓を通してネットに向き合おうことくらいなら、私にもできそうだ。
「ネットの世界に住む」というほどどっぷりとネットに依存した生活を送る以外、その本質を理解するすべはない。だから「住む人」と「使ったこともない人」の間の溝は大きくなるばかりだ。
うーーむ、まぁ、この十年間、ネットにはまって生きてきた、という感じはあるが、どっぷりネットに依存したかどうかはわからない。結構、先走ってネットにチャレンジしてきたが、しかし、その後にやってきた人たちより、いくばくか先行したはずなのだが、(たとえば当時小学生だった子供達とか、パート主婦のうちの奥さんであるとか、おなじ保険屋仲間のおじさん連中だとか、よりは、先走っていただろう)、ふと、ここまでくると、先走って苦労したのがなんだったのか、と思うくらい、後からやってきた連中は、結構、ネットとうまく付き合って、生活にも、うまく取り入れているようだ。
だが、まったく使ったことのない人、最初から毛嫌いして使わない人とのギャップは広がり続けるだけ、ということはある。もう、ホント、会話が通じなくなるときがある。まぁ、しょうがないな、ゴルフが嫌いな人とゴルフのことについて話したり、ベジタリアンを否定する人と、菜食について語り合う、というほどに、溝が深く、ほとんど徒労に終わるので、そういう無駄な努力はしないことにしている。
しかしながら、そのことと、たとえば、山地の上に住んでいて、携帯電話の電波が届かないとか、まだADSLされ提供されない地域に住んでいる知人友人達のように、ネットの中に住みたくても住めない人間もたくさんいる、ということだけは忘れてはいけないと思う。
「ネットの世界に住まない」人々に最先端の話をするために要するエネルギーは回を追うごとに増すばかりなのに、議論してもそこから何かが生まれる感じがしなくなった。 p024
なるほどぉ、ご苦労さんなこった。この苦労は分かるなぁ。
<015>へつづく