|
全て
| 目次
| 2nd ライフ
| ネットワーク社会と未来
| マルチチュード
| アガルタ
| シンギュラリタリアン
| 地球人スピリット
| マーケットプレイス
| ブログ・ジャーナリズム
| OSHOmmp/gnu/agarta0.0.2
| mandala-integral
| レムリア
| スピノザ
| ブッダ達の心理学1.0
| シンギュラリティ
| agarta-david
| アンソロポロジー
| バック・ヤード
| チェロキー
| 環境心理学
| osho@spiritual.earth
| スピリット・オブ・エクスタシー
| 22番目のカテゴリー
カテゴリ:ブログ・ジャーナリズム
「横尾流現代美術」
私は私だからです。私以外の何者でもないからです。誰だって同じでしょ。自分は好きです。肯定しています。けれど、前進するためには、自己否定が必要です。最近は「個人」から「個」という、普遍の「私」に移りつつあります。「私」の私物化からの脱却です。 さぁ、ここも、私がブログ・ジャーナリズムを通じて感じているところ。横尾は論理家でもなければ、本来ジャーナリストでもない。彼の言葉は、それなりに翻訳が必要だ。そのまま、同じ単語を使っているからと言って、同じことを意味しているとはかぎらない。その文意の本意を見ていく必要がある。 それまでは、精神世界を10年以上彷徨していたんですが、絵を始めると同時に、精神世界に対する興味がまるで潮が引いたように、まったくなくなってしまいました。これは僕の精神世界が如何に観念的であったかということを示しています。だから絵を描くということは精神世界の彷徨の結果、たどりついた地点かなとも思ったんです。精神世界から絵の世界に飛び込むことにすり替わったんだと、その頃は考えていました。さらに後になると、絵を描くこと自体が精神世界の実践だったということがわかってくるんですが。p86 横尾は、もう70才だ。あっという間に、団塊の世代の兄貴分だったポップアーティストも、時代の長老になろうとしている。しかし何であれ、こうして、ニワカ新書本立ち読み評論家となった私に、また再び横尾さまのメッセージが届くのであった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.03.29 13:40:00
コメント(0) | コメントを書く |
|