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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2006.10.13
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カテゴリ:地球人スピリット

地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく



 恩師が亡くなった。享年70才。だいだいだいすきな先生だった。彼女は私たち小学校5・6年の時の担任だった。大学を出たばかりのまだ二年目で、それこそ情熱に溢れていた時期だったのだろう。私たちの学年もそれこそ、ひとりひとりのキャラが立ったクラスで、ちょうど5・6年という多感な時代だった。先生はとびきrの美人だったし、字も上手、まるで、坪井栄の「二十四の瞳」のようなクラスだった。

 いたづら坊主だった私は、いつも叱られてばかりいた。だけど、ガリ版で新聞などを作った時は、めちゃくちゃに褒めてくれた。先生は自宅にクラス45人全員連れていってくれて、お寿司を御馳走してくれたり、やんちゃな男子とは、取っ組み合いまでして指導した。いい先生だった。みんなが好きだった。

 先生は、それから数年して、教員を退職し、東京にいって結婚した。亡くなった先妻の子供が当時小学校二年だったという。それから先生と会うチャンスは減ったが、上京すれば、先生の自宅におしかける教え子たちもいたし、同級会と言えば、小学校中学校の8人の卒業年度の担任の先生をお呼びするのだが、多くの同級生たちの目的は、彼女だった。

 40前後の厄年の頃に同級会が復活し、それから、何度か同級会が開かれ、先生は毎回、遠いところをかけつけてくれた。先生特有の教育法がいくつかあった。その真髄は、なにごとも真正面から正直に向かっていくということだった。悪いことは悪い、良いことは良い、しっかりと即座に教えてくれた。そして、いつもしっかりと私たちをみていた。愛に溢れていた。みんなが先生を好きだった。

 先生は、先祖とともに故郷のお寺に埋葬されることになり、今日はお別れの告別式だった。クラス代表の女性が弔辞を読み、小学校時代をみんなで思い出した。もう40年前のことなのに、きのうやおとといのことのようだった。みんな泣いていた。私も泣いた。なんだか奥歯が抜けてしまったような、噛みしめる力がなくなってしまったような脱力感だ。

 浄土真宗の葬儀だったので、ちょっともの珍しく、僧侶たちのお経などを聞いていた。その中に「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」というくだりがあった。これは仏教であれば、どの宗派においても使われる経文なのだと思う。仏法僧、なんども聞いてきた経文ではあるけど、このブログのこの段階において、この言葉を聴くと、また新たな気分で聴くことになった。

 ふと思う。僧はサンガ、コミューン、「社会」を意味している。仏はブッダ、人そのもの、「私」そのものを表している。法はダンマ、法、「真理」を表している。これは3つあわせて一つのものだといわれている。あるいは、一つのものを、三つの方向から見てみるとこうなるという。

 自分の現在の状況のことを考えてみた。「社会」的には、もうある意味、これでいいや、と思っている自分がいる。ごくごく当り前の家族があって、まずまずこなしている仕事の仲間がいて、遠くだったりネット仲間だったりはするけれど、趣味や同じ志でつながっている友人たちも結構いる。まぁ、外側に関しては、こんな程度でも、十分いいのではないか。いやいや、私は恵まれた環境にあって、たくさんの愛ある人々に囲まれている、とそう思える。

 「私」自身についてはどうなのだろうか。思わぬ人生の展開ではあったが、せいいっぱい楽しんできたし、自分がやりたいと思ったことはそれなりにやってこれた。理想は理想としてあるけれど、失敗したことは失敗したこととして後悔しないわけでもないが、ここでまで歩いてきて、それなりによかったなと思う。

 だから、私なりのサンガムとブッタムは、それなりにまぁいいじゃぁないか、と自分で思えるところもある。しかし、ダンマムはどうだろうか。「真理」である。真理とは、生死を超えて存在しているもの。私が生まれる前から存在し、私がこの世にいなくなってからも、存在しているもの。そう言ったものに少しでも接触できただろうか。そういう流れにいくらかでも、プラスになれることができたのだろうか。

 この部分はすこし弱い。弱いけれど、私なりに思い当たる節もある。私は私なりに探求してきた。Oshoと出会ったし、瞑想会にも参加してきた。本も読んだし、旅もした。自分なりに確たるもの、というか、これは変わらないよ、ということもすこしはある。でも、まだまだ、私のダンマというほどのことはない。これからの人生は、私なりにこのダンマを研いていく人生になるのだと思う。

 先生の告別式に出て、そんなことを考えていた。先生が残してくれたダンマはなんだっただろうか。うまく表現はできないが、「なにごとも真正面から正直に向かっていくこと。しっかり見て、愛を持って生きること」そういう先生の生き方そのものだったと思う。

 越前千恵子先生ありがとうございました。 冥福をお祈りいたします。





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Last updated  2009.03.30 08:19:00
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