地球人スピリット・ジャーナル2.0につづく
「私の体験的ノンフィクション術」
佐野眞一 2001/11 集英社新書
この本は、ノンフィクションライター佐野眞一が自作の紹介をしながら、その世界を各方面から紹介する一冊である。
ノンフィクションとは読んで字のごとく、フィクション=虚構にあらざるもの、のことである。具体的には、小説、戯曲などを除いた散文形式の文芸をノンフィクションと総称している。したがってその範囲にいは、紀行、ルポルタージュ、評伝、戦記、事件報道などきわめて多岐にわたるジャンルが含まれている。一見いいかげんに思える、この融通無碍さがノンフィクションの最大の魅力であり、私がこの分野を好きになった理由でもある。p86
この本を読みながら、佐野とおなじ団塊の世代にして、大組織に頼らない文筆家たちである小浜逸郎や岡留安則のことを思った。小中学生相手の私塾を経営しながら「批評家」として社会的な提言を続ける小浜。小さな「噂の眞相」というマイナーな雑誌を「スキャンダリズム」をベースとして、発行部数において文芸春秋に次ぐ月刊誌に成長させた岡留。それに比して佐野は、ノンフィクションという技法をもとに、自らの書斎をでて、名もなき人々の姿を追うことの大切さを教える。
いまでこそ人なみにワープロもパソコンも一応もってはいるが、ワープロはいつまでたっても”一本指打法”だし、最近買ったパソコンにいたっては、まだ電源を入れることと切ること程度しかできないでいる。p122
2001年の段階だが、プロのライターならちょっと遅いな、とは思うが、本文では荒川じんぺいや加藤仁のフィールドワークを連想する部分もある。
島で最初にインターネットをやりはじめたのは、ことし78歳になるUターン老人である。インターネットを使って、日本中の離島という離島を情報ネットワークで結びつけたら面白い、というのが発想の原点だった。ここには、ITに使われるのではなく、ITを自分の「道具」として自由につかいこなす柔軟な発想がある。p29
ノンフィクションライターに必要な要素がいくつかある。
世界中を震えあがらせたニューヨークの同時多発テロ事件が起きたとき、私はある雑誌の依頼を受け、事件勃発から百時間もしないうちにマンハッタンの現場に立っていた。フリーのノンフィクションライターの命は、一にも二にも、事件がおきたらすぐ現場に駆けつけるフットワークの軽さである。 p218
といいつつ、こうも言う。
長編を書く場合に一番大事なことは、生活のリズムを絶対に崩さないことである。一日10枚なら10枚、5枚なら5枚と目標を決めて、いくら興に乗っても、それ以上は書かないことである。マラソンと同じで、調子がいいと思ってペースをあげると、必ずその揺り戻しがくる。徹夜などもってのほかである。p126
佐野にはたくさんの著書があり、他の「哲学」や「ファンタジー」とは一線を画す、現代の民俗学にも通じるという、この魅力的なノンフィクションという分野をもう少し知る必要を感じた。