「3rd新ミレニアムへの挑戦」
アービン・ラズロ著 鈴木宏子・訳 1999/7 原著1997
ラズロを読むのは2冊目。前著「叡知の海・宇宙」は2004年原著がでてすぐ05年に翻訳されたものだから、現在読んでもタイミングを失ってはいないが、こちらの「3rd新ミレニアムへの挑戦」は、もともと1997年に出されたものだから、タイトルからしてやや時代がかっていると言える。日本においてはそれこそ、魔の1995年、阪神淡路大震災やオウム真理教事件などを経て、ウィンドウズ95発売などで、パソコンやインターネットが家庭に入り始めた時代だ。また、世には「ノスタラダムスの大予言」が闊歩していた時代である。日本語訳は、まさに、魔の大王が空から舞い降りてくる、と予言されていた1999年7の月に出されている。
「3rd新ミレニアム」とは、21世紀という意味ではなくて、あらたなる三番目の千年紀、ということだから、西暦2001年から3000年の千年間を意味している。その千年の間に、人間がなすべきこと、をブタベストクラブのラズロが提言するという形の本である。現代科学の粋を集めて、それを総合・解説しながら、さらに彼は、人間ひとりひとりの在り方に言及する。
現代の世界では、どこに住んでいようと、またどういうことをしていようと、あらゆる人々が自らの行動に責任があるのだ。
・一個人として
・国家の市民として
・企業と経済の共同者として
・人類コミュニティの成員として
・精神と意識を授けられた人間として p167
これらひとつひとつの短いが力ある言葉は傾聴するに値する。引用するにはちょっと長すぎるが、この部分はこの本の根幹であり、またこのブログ「地球人スピリット」のテーマにダイレクトに繋がるところなので、全文引用する。
「個人として」我々は責任を持って、他者の利権および幸福と調和する形で、それらを犠牲にすることなく自らの利権を追及し、あらゆる形の殺戮と残忍な行為を糾弾および防止し、我々が本当に必要とし、扶養していける数を超える子どもたちを生み出さないようにし、地球に住む全ての子どもたち、女性、男性が生存し、発展し、平等の地位と尊厳を持つ権利を尊重しなければならない。
「国家の市民として」我々は責任を持って、我々の指導者に対し、剣を鋤に打ちかえ、他国と平和にそして強調の精神をもって相互関係を結び、人類の全コミュニティの正当な希望を認め、主権を濫用して近視眼的かつ利己的な目的のために人々および環境を操縦することのないよう要求しなければならない。
「企業の共同者および経済の参加者として」我々は責任を持って、企業目的が利潤と成長のみを基軸にせず、その製品とサービスが人々を傷つけたり自然を損なうことなく人間のニーズと要求に応えるべく配慮するようにし、破壊的目的および無節操な計画に荷担しないようにし、グローバルな市場で公正な競争を行う企業家や企業体全ての権利を尊重することを確実にしなければならない。
「人類コミュニティの成員として」、非暴力、団結、そして経済・政治・社会的平等の文化を選び取り、人々と国家が自らと同質であろうと異質であろうとその相互理解・尊重を促進し、あらゆる他のすべての人々が、その直面する難問に、この先例のない課題に対処するのに必要な物質・精神的リソースをもって応ずることができる能力が与えられるよう要求するのは我々の責任である。
「精神と意識を授けられた人間として」、あらゆる形の人間の精神の顕現の卓越性と、生命と意識を生み出し、より高いレベルの見識、理解、思いやりへと自ら進化し続ける可能性を約束するコスモスに対する畏怖と驚嘆を鼓舞することへの理解と認識を促すことに、我々は責任を負う。 p168