「アセンションするDNA」 光の12存在からのメッセージ ヴァージニア・エッセン編著 冬月晶・訳 1999/2 ナチュラルスピリット 原書NEW CELLS, NEW BODIES, NEW LIFE! 1991
編著者のヴァージニア・エッセン関連は、このブログでは「ハトホルの書」を読んだ。いわゆるチャネリングものだが、欧米、とくにアメリカの「ニューエイジ」的ニュアンス一辺倒の一冊ということになるだろうか。霊界との通信、特に「高級霊」との通信、ということについて、いわゆる科学的な方法だけでは検証しきれないだろうし、また、すべてのケースをチャネリングであるから耳を傾けるべきだとすることはできない。ないとは言えないが、あるとも言えない、それがこの世界だ。自分の体験からしても、それは言える。
この本、12人のチャネラーによる、12の「高級霊」からのメッセージを編集したものだと思われる。日本語出版は1999年だが、原書は1991年。原書のタイトルには「DNA」などという文字は入っていないが、本文にはDNAに触れているところもある。しかし、遺伝子工学の話題が沸騰している時期でもないだろうに、日本語タイトルがこの文字を入れたわけは、ちょっと分からない。
「超シャンバラ」でも強く感じたことであるが、12という数字を強く意識して、ネットワークや「組織」や「委員会」のメンバー数を12人とするところがあちこちに目につく。たしかに12星座とか12干支であるとか、12面体とか、キリのいい数字ではあるが、なんでもかんでも12で割り切ろうとすれば、無理がでてこよう。それは、かならず硬直と限界を生む。時には8でもいいだろうし、13でもいいだろうし、21、22も悪くない。9だって11だって、6、5、3、17、ひとつひとつに味わいがある。この本の中にもあるが、チャクラを7つと限定してしまうところに、落とし穴がある。もちろん8とか9とか10とかのチャクラを主張する場合もあるが、それは強く7を意識したうえでの、超7のニュアンスが強く見てとれる。
なにはともあれ、目には見えない世界のことは、おおむね7とか、おおむね12という、大きなゆとりの幅のなかで味わっていきたいものだ。
ご想像のように、それぞれに種類の違うコンピュータやソフトを使う12人の多忙な人々から原稿を集めてまとめるのは、たやすいことではありませんでした! 不ぞろいな点もありますが、ご了承ください。p9
1991年当時なら、それはなるほど、と思う。でも、今なら、コンピュータの機種やソフトの互換性で悩むことはごくごく少ないだろう。むしろ、ひとりひとりのアクセスしている世界や単語、その用い方の「不ぞろいさ」は今でも残っているだろうし、また残しておいてよい、ものかもしれない。
集められたなかから、あなたの加速に役立つものを選んで、他のものは悪いとか間違っていると言わずに、とりあえず今は「そのままに」にしておきましょう。同じ人は一人としていないし、だれもが今いる場所にいるべき存在なのだという、人生についての学びを実践しましょう。多様であって当たり前なのです。これを実行するのは概して簡単ではありませんが、でも真剣に取り組んでみようではありませんか。p9
いわんとするところは理解できる。しかし、ちょっと言い逃れてしているような感じをもつのは何故だろう。ひとりひとりの個性があっていいのだし、その多様性を認め合うことはよいことでもあるし、もっとも重要なことでもある。しかし、ある人がそう生きている。一個の人間として、自立して生きているというならそれでいい。ただチャネリングの場合は、そとへの「働きかけ」がある。ターミナル駅に降り立つと、あちらこちらから、売店の呼び込みの声が聞こえる。あちらのお菓子、こちらのお酒、こちらのブランド商品、こちらのみやげ物・・・。それぞれが、思い思いに、好きなものを食べ、好きなものを身につけ、好きなところに出かけるのは、それでよい。
しかし、チャネリングの場合はどうなのかな。あまりに「呼びかけ」がうるさ過ぎる、と感じるのは私だけだろうか。私はこう生きているよ。楽しいよ、満足しているよ、OKだよ、というならそれでいいだろうし、そこになんらかの説得力があるなら、その輪は広がっていくに違いない。だが、チャネリングの声のその原点には、なにか悲痛な、決定的な迷い、不満感を感じてしまうのは、こちらがわの心理の投影なのであろうか・・?
この地上にいる間にあなたがたがぜひとも思い出さなければならないのは、あながたの遺伝コードがエネルギーだということです。この遺伝子のエネルギーは、原初の神々と古代人たちを治めるためにやってきた天使の実体からもたらされました。エネルギー遺伝子は、はるか昔から、そして今なお、あなたがたに影響をおよぼしつづけています。それは地球上のレムリア、アドナ、アトランティスという文明とともに始まりました。まずはレムリア人のエネルギーから話しましょう。神であり、巨人でもあった彼らは、人間を治めるためにやってきて、やがてその人間の子孫と交わりました。p47
この辺は、「とりあえず今はそのまま」にしておくことになんのやぶさかなことはないが、こちらへの働きかけをされている限り、イエスかノーかは、はっきりとしておかなくてはならないのではないだろうか。このような違和感を「放置」しつづけた結果が、たとえば麻原集団の暴走などを生んだことを考えれば、かならずしも、簡単には看過すべきではないと、私は思う。少なくとも表現すべき内容と表現する方法、あるいは媒体に、もう一度再考を願いたいと私は思う。ましてや「大天使ミカエル」の言葉を使っての、このようなメッセージを流布することに、どのような意味があるのだろう。
たとえば、どこまでも温和なホピ・インディアンと平原インディアン[別名バッファロー・インディアン]は、いまでもレムリア人のエネルギーが有する心の概念を遺伝子としてもっています。より好戦的なアトランティス人の性質は、コマンチやアパッチと呼ばれる人々のなかに見ることができます。どちらが正しいということではありません。これはたんに、赤人がいまだにこうした二つの魂のパターンの性質をもつという遺伝プロセスを表すにすぎず、この性質はいま再び肉体に戻ることにを選択した人々のなかにも見られます。p49
あぶないなぁ、こういう表現をアメリカのニューエイジは好んで使うのだろうか。日本の読者はこういう表現を嬉々として読み続けるのだろうか。ここに見られるのは明らかなレイシズムではないか。フランス人は好色で、イタリア人は軽薄、イギリス人は鈍重で、ドイツ人は頑固、日本人は金ばっかりおっかけていて、インド人は明日できることは今日しない・・・。などなど、「ジョーク集」ならジョーク集として読んでしまうのだが、大天使の名前をもってきてまでレイシズムに没頭するとは、私には理解できない。
あなたがたはまだこの旅の途中で、以前いた場所を思い出しているところです。そうした過去の記録は、今まではあなたがたに知らされなかったのですが、そのヴェールがすべて取り除かれて、人類の旅の知識が解放されました。それはあなたがたの過去を語りながらも、未来を告げるものです。アトランティスとレムリアの旅のすべてが明かされ、長らく忘れ去られていたことの記憶がよみがえるでしょう。そこには、光から物質へと降下していく450万年間の身体の記憶も含まれています。あなたがたの細胞はこのプロセスを思い出して、もう戻っています。p231
どうも「あなたがた」と言われると、え?そのあなたがたという言葉の中に、この私も含まれるのかな、とギョッとする。とりあえず、その枠内からは外れていたい。まぁ、だから、そう思うのなら、最初からこのような本を読まなければいいだけのことなのだが、読んでしまったのだから、すこしはメモしておこう。この文章は「女神アテナと風の神アイオロス」ということである。
人間というタイプの種が現われたのは、ほんの200万年前のことだ。この惑星がさまざまな次元からきた、少なくとも四つのことなる文明を受け入れていることを覚えておきなさい。こう言うとあなたがたは、ならばアトランティス文明やレムリア文明をいつから、どこにとり入れてきたのかと思うだろう。p281
こちらは「ティアナ、ソクリー博士、コートン」ということである。年代や文明を、いきなり大時代的に取り上げるのは、シュタイナーを初めとして、ちょっと困ったものだなぁ、と実は思っている。この辺は、もうすこし地に足をつけて、そのうち読んでいってみよう。