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カテゴリ:マルチチュード
「9.11 N.Y.同時多発テロ衝撃の真実」 VHS発売日: 2002/9/12 監督:ジュール・ノーデ/ゲデオン・ノーデ/ジェイムズ・ハンロン 9.11と聞けば決まって、あの映像が目に飛び込んでくる。あの夜は、家族はみんなそれぞれの部屋に戻り、私だけが茶の間のテレビを見ていた。夜のニュース番組のオープンニングが始まったかと思うと、異様な風景を映し出していた。まるで、メザシが豆腐にでも刺さったような風景だ。ある意味コッケイな風景だ。なんだ、ありゃ、一瞬、笑ってしまったものの、あわてて二階に行き、各部屋のドアを叩いた。大変なことがニューヨークで起きている。これは大事件だ。 家族で唖然として画面を見つめているうちは、どのようにしてこの火事は消えるのだろう、と、そればかり考えていた。消えるものとばかり、思っていた。しかし、あの巨大なビルが崩れ落ちた。まるで、昔みた映画、「タワーインフェルノ」、そのものだった。何事が起こったのか、すぐには誰にも分からなかった。 あれから6年の時間が経過しようとしている。さまざまなことがあった。戦争があり、陰謀論があった。あれからもっと死者がでた。日本も戦争の片棒を担がされている。いろいろな意見があり、たくさんの涙が流された。辛いことも時間が経過していけば、すこしは薄らぐものなのかもしれない。しかし、ニュースのタイトルになるチャンスが減ったとしても、人々の話題になることが少なくなったとしても、いまだに「衝撃の真実」は消えない。 9.11と聞いて、私は、あの映像をふたたびまざまざと思い出した。衝撃の真実と聞いて、なお、あの映像がクローズアップされた。 しかし、この映画には、あのシーンはでてこない。一切でてこない。ほとんどの部分は、8人の部下を9.11で亡くしたN.Y.の消防士長と、彼が葬式に読み上げる弔辞の作成を手伝う中年のジャーナリスト女性の、会話だ。8人の部下たちのひとりひとりを、消防士長は思い出す。 語られる一人ひとりは、決して「英雄」や「ヒーロー」なんかじゃない。ごく当たり前のアメリカ人たちだ。消防士長も忘れてしまっているところもある。しかし、タイピングを手伝う女性のインテークにより、ひとりひとりの克明な人間像が浮かびあがってくる。そしてまた、ひとりひとりを思い出すこと自体が、消防士長にとってのヒーリングとなる。女性は、期せずして、熟練した心理カウンセラーであり、セラピストの役を担っていた。 最後のシーンになって、教会における葬儀の中で弔辞を読みあげる時、この消防士長が、いかにも米国大統領ブッシュに酷似している俳優だったことに気がついた。歴史にもしもはないが、もし、ブッシュ大統領が、この映画に登場する消防士長のような、ごく当たり前の人間であっていてくれたなら、事件もおきなかったし、その後に続く悲しいドラマの連鎖はなかったのではないだろうか、と思った。 この映画には、アルカイダも、それから起きた新たな戦争にも触れていない。ただ、あの事件で姿もなく死亡したとされる350人の消防士達に捧げられている。一人ひとりの人生と、その死は、なにごととも比較できないし、それぞれが、ひとつ、ひとつだ。事故全体では2973人が亡くなったとされている。ひとりひとりに、ひとつひとつの人生があった。 2001年、という言葉は、20世紀においては「輝ける未来」を意味していた。人類がすべてを賭けて迎えるべき、素晴らしい世界であるはずだった。でも、まだ、あるはずだった、と過去形で語ることは、私にはできない。いまだに、21世紀は、輝ける未来であり、素晴らしい世界の到来である、と確信することしかできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.08 21:34:18
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