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カテゴリ:シンギュラリタリアン
<1>よりつづく
「ポスト・ヒューマン誕生」 この本は、600ページを越す大書なので、一度に読みきることはできない。量的なこともあるが、主に主テーマとなっている科学技術的なことは、ちょっとやそっとの素養があったとしても、とても読みきれるものではない。ものごとの真偽を確かめるだけの力がこちらにはない。そして、もっとも重要なことは、著者であるカーツワイルは、よりいっそう人類を未来へと駆り立てるように、一歩先のことを指し示し続けようとするスタイルを自らのものとしているところにある。 ジャーナリストを「ニューヨーク・タイムス」の社是になぞらえれば、大衆の半歩先を歩く仕事ということができるかもしれない。「新聞は大衆とともにあってはいけないし、大衆より一歩先へ行ってしまってはいけない、新聞は大衆の半歩先を歩かなければならない。」という言葉はある意味名言だ。 あるいは、カウンセラーは対峙するひとりの人間とともに歩く姿勢を保つことが大切になる。たとえば河合隼雄などは、けっしてクライエントを急がせない。その人間の成長を待つ。あるいはともに成長しよう、という姿勢をどこまでも保つ。 それに比して、科学者であり、有能なプログラマー(広い意味において)であるカーツワイルは、常に自分の存在や自分の思想哲学を、人類より一歩先におくことを使命にしているかのようだ。 この本の「コンピュータが人類の知性を超えるとき」というサブタイトルは、実は、1999年にでた「スピリチュアル・マシーン」のサブタイトル「When Computer Exceed Human Intelligence」だった。翻訳チームもカーツワイルの「一歩先主義」についていけない。なぜにそれほど、彼は先に急ぐのであろうか。 それは、彼は、彼自身を「発明家」と定義づけているからだ。物事が具体化して、ちょうどタイミングの良いときに大衆に提供すること、そのことに賭けている。過去の発明品は、発明王トーマス・エジソンに比肩するかのように評価されている。彼の両親がホロコーストから逃れてきたp4人びとであった、という社会的背景も大きく影響しているのかもしれない。 しかし、この本では客観的に科学の技術の進歩が語られているが、ネットで検索すると、「著名発明家のカーツワイル氏、自身の冷凍保存による延命を計画」なんて記事にぶつかったりする。著者は健康的にも決して万全ではなく、中年時代から相当量のサプリメントなどで体調を維持している風にもとれる。 その彼が<特異点>を2030年代においていることは、自らの個的肉体の限界性をにらんで設定している可能性もある。ナノボットやサイボーグへの一歩踏み込んだ発言や行動は、大衆よりは「一歩先」に行ってしまっている。しかし、それは彼のスタイルなのであって、必ずしも人類がそのような道をたどると決定されているわけではない。 この本は、はっきり言って、私の貧弱な科学的知識では、「共感」して読むことはできない。微細なところにおいては、その技術の存在や真偽について確認することさえできない。 しかし、人類は、ともに歩いてくれる存在も必要だし、半歩先から手を引いてくれる友人も必要だ。そして、時には一歩先への可能性を指し示してくれる根拠も必要になる。 著者には新刊がある。「レイ・カーツワイル加速するテクノロジー」はちょっと薄い本で、もうすこし噛み砕いた上で、ダイジェストした本であるようなので、そちらの本でもうすこし理解を進めたいと思う。 <3>につづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.11 13:35:58
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