「国家論」
バルーフ・ド・スピノザ /畠中尚志・訳 1940/12初版 岩波書店 文庫 213p 原文1677年
No.955★★★☆☆
「エチカ」一冊をまるまんま読むぞ、という決意と掛け声はすばらしかったが、ほとんど数ページを読んだまま進まない。最初はだいたいの概略は立ち読みで掴んだのだが、そんなことで終わってはいけない一冊だ、という直観があった。しかし・・・・。魅惑的ではあっても、それは読み手としての自分とかけ離れた世界であるからこそ魅惑的に見えるのであって、自らのものとするには、ふさわしくない世界というものもある。スピノザはそういう存在として私から次第に距離をとり始めるのだろうか。
「国家論」は「エチカ」の後に執筆されたものであり、未完のまま遺稿として残されてしまったものである。多くの部分を「エチカ」を論拠としている。ただ、「エチカ」の導入部の、あまりに静謐な抽象的概念の連なりと比較して、やや法律の文章を読んでいるような気分にはなるが、こちらのほうが、具象名詞が出てくるだけ、スピノザ初心者の私には読みやすい。
スピノザには、他に「政治論」や「知性改善論」、あるいは「遺稿集」などがあるが、それらの中でもういちど再評価される必要があるだろう。この「国家論」を読み進めていくことは、それほど難しくないが、なんともその世界は、現代の「国家」観や「政治」観に比較するとかなり古びており、そのままオリジナルなまま納得することはできない。なんせ330年前の執筆である。
この本においても単語としての「マルチチュード」は見つけることができなかった。なにか他の言葉に翻訳されているのか、あるいは、いまだに的外れなところを探し続けているのか、自分ではまだわからない。しかし、急ぎの旅ではないので、ぶらぶら散歩はまだ続く。そして、また考える。なんでまたネグリはこのようなスピノザへ毎回々々降りていくのだろう。疑問は疑問としてまだ続く。