<11>その2乙よりつづく
「私が愛した本」 OSHO <12>
当ブログは現在1022冊の頁をめくってきたことになる。以前から感じていたことではあるが、当ブログにとって1クールは1000ではなく1024となりそうだ。ライトナンバーは1024だ。これ以上、数を数えていくことにあまり意味はない。ここで一旦やめるか、次のボリュームに移るべきだろう。そこでいろいろ考えたが、1024冊目となるのは、Oshoの「Zen Manifesto」となりそうだ。この本、現在英語版しか持っていないので、「禅宣言」をネットで購入予定。
さて、ここからが問題だ。1022まで来たとして、そして1024のピークは決定したとして、1023冊目は、一体なににしようか。読みたい本は何冊か枕元に積んである。結局は、あとは偶然にまかせよう。ここで思い出すべき話ではないが、「あの」三浦和義は、獄中にいる間の13年間で7500冊の本を「買った」そうだ。これだけの長期にわたって、これだけの本を「買う」のも大変だが、実際に「読んだ」のだろうか。かの早川紀代秀は獄中の「2年ほどで7~800冊の本」を読んだというから、人はやっぱり時間があると、本が読みたくなるらしい。
閑話休題
はてさて、ネット社会つながり→マルチチュード→スピノザ→西洋哲学→Oshoの読書、という連想の中で、急につまみ食いするような形で再読し始まったこの「私の愛した本」だったが、ここにきて、ようやく、あらためて巻頭から読み直してみた。分かっていたことだが、 「ツァラトウストラはかく語りき」からはじまるこのシリーズ、「ソクラテス最後の弁明」のほかは、最初予定されていた50冊の中に、西洋哲学関連はほとんど触れられていない。
当初50冊の予定でスタートしたこのシリーズ、50冊が追補され、さらに50冊追追補され、ついには168冊に達した。Oshoにとっては、順番はそれほど大きな意味はなく、どこから読んでもかまわない構造となっている本ではあるが、やはり、この本の中から西洋哲学だけのリストだけを拾い出すのでは、片手落ちはなはだしいということになる。
このジャンルから次第に次なるジャンルに移っていくとしたら、他のジャンルはどれも興味深いが、当ブログの変遷に合わせて、「禅」編となるだろうか。本来は、このテーマは、もう少しあとからやってみようと思っていたのだが、流れはそうなってしまっている。
よく読んでみると、これ以外にも禅に触れているところがあるのだが、気がついた時にまた修正していくことにしよう。
<13>につづく