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カテゴリ:mandala-integral
この本、「チベット<歴史>深読みリスト」にリストアップされていながら、地域の公立図書館にも、いくつかの大学の図書館にもはいっていなかった本である。かなりの専門書に属する一冊なので、ほぼ諦めかけていたのだが、思わぬ時にひょっこりと登場してくれた。いつもながら、お世話になっている図書館のご尽力には心から感謝いたします。 そして、どこからやってきてくれたのか見てみると、意外や意外、県境を超えた地域の公立図書館からであった。かならずしも、現代日本文化の中心地に属する地域ではないが、最近では、子供たちの学力がほぼ国内トップにランクされている地域であり、教育先進県とさえ呼ばれている。 その地域に思いを馳せたとき、ふと、ブータンがおかれている、地球全体からみた位置を考えてしまった。けっして覇権的な意味合いにおいては求心力はもっていないが、突出している独自の先進性という意味では、この二つの地域とその文化は、どこか通じるものがある。日本のチベット、と呼ばれる地域もあるが、私は、敬意をこめて、その地域を、日本のブータン、とさえ呼びたい。 さて、この本、もともとは著者・今枝由郎がフランスに留学中に博士論文として1987年にフランス語で書かれたものであり、2002年になって著者本人によって、日本語に訳出されたものである。著者には「ブータン仏教から見た日本仏教 」や「ブータンに魅せられて」などの好著がある。ほかに「ブータン---変貌するヒマラヤの仏教王国---」、「ブータンのツェチュ祭り---神々との交感---」、「ブータン・風の祈り」「ブータンの民話と伝説」などの著訳書がある。 地球上におけるスピリチュアリティのインテグラルに関心が集まる今、西洋からみた東洋という意味ばかりではなく、西洋化してしまった東洋からみた、東洋精神史の再評価・再認識という波の中にあって、仏教とくにその進化の最終段階と目されるチベット密教に対する注目度は高まる一方だ。しかし、中国共産党によるチベット破壊以来、トラウマと伴わない形でその高度なスピリチュアリティを味わうことが、大変難しいことになってしまっている。 しかし、チベットよりさらに秘境と言われて、多くを世界に知られることがなかたブータンには、破壊される前の密教文化が、その幸福度の高い民衆とともに保存されている可能性がある。6~70万の国民しかいない小国ではあるが、そこから学ばれるべきことは多い。 20世紀初頭から、この広大な地域の諸地方はチベット本土も含めて政治的、経済的、社会的に非常な変革を余儀なくされた。その中で現時点ではブータンが、この千年以上続いた文明の唯一無傷の代表者といえるであろう。こうした状況の中で、チベット研究にとってのブータンの重要性は計り知れないものがある。しかし逆に、チベットの観点だけからブータンを見ることは、一面しか見ないことになる。実際数世紀にわたって、ことにドゥク派政権成立以後、ブータンは色々な分野で独自性を発達させ、これはチベット学にはまだ知られていないが、それ自身のものとして研究されるべきだし、研究されるに値する。あまりにもチベット中心的なアプローチはブータンの独自性を見えなくしてしまう。p22 ブータンの研究資料は限られている。現在のところ日本語文献は著者関連によるものが唯一と言っていい。副題「ドゥク派政権の成立と変遷」のとおり、本書においては、ブータン国家の中世から現代までに至る過程において、その精神性、とくにチベット密教がどのように関わっているか詳細が記録されていて、貴重な研究資料といえる。 フランス流のチベット歴史文献学といった場合、私にとって一番重要なことは、証明である。”誰でもどんな命題でも提唱することができる。しかし重要なのは、それを如何に論証するかである”というのが、金貨玉条のように教えらえたことである。一見、当たり前で、なんら取り立てて言うべきことでもないように見えるが、けっしてそうではない。近くは日本の現状を見てみると、命題はりっぱでも、その論証となると、論理に飛躍があったり、自家撞着を含んだりといったことが往々にして見られる。これは論証よりも、命題を重んじるところから由来するのであろうが、論証できない命題は、いかに魅力的であっても何の価値もない。少なくとも歴史文献学の立場からはそうである。p335 歴史文献学ならぬ当ブログにおいて、しかも学問的領域からは遠く隔たった下界にあそぶブログ子にあっても、耳の痛いお言葉である。当ブログはすでにエピローグに向って、ひとつの輪を閉じ始めている。「OSHO@Earth.Spirit 0.3」、「インテグラル」、「アガータ多火手」 、の三つのカテゴリを残しながら、いまだ、論証どころか、その命題でさえ明確になっていない段階だが、「21th カテゴリ」に進むあたりでは、せめて命題のひとつだけでも提唱してみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.10.31 09:11:57
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