<16>からつづく
「私が愛した本」 OSHO <17>
5番目、J・クリシュナムルティの「最初にして最後の自由」(邦題「自我の終焉」)だ。私はこの男が大好きだ。そして私はこの男が嫌いだ。私が彼を愛するのは彼が真実を語るからだが、彼の知性ゆえに私は彼を嫌う。彼はただ理性、合理性であるにすぎない。彼はあの忌むべきギリシャ人、アリストテレスの生まれかわりではないのかね。私が嫌いなのは彼の論理だ。私が尊敬するのは彼の愛だ。しかし彼の本はすばらしい。
これは彼が光明を得た後の最初の本だった・・・・・そして最後の本でもある。ほかにもたくさんの本を著したが、それらは同じことの貧しい繰り返しにすぎない。彼は「最初にして最後の自由」以上のものは、ひとつも生みだすことができなかった。
不思議な現象だ。カリール・ジブランは、彼の傑作「預言者」をわずか18歳ののときに書いた。そして全生涯それ以上のものを創り出そうとして苦闘したが果たさなかった。ウスペンスキーはグルジェフに出会い、何年も間彼と生活し仕事をしたが、それでも「テルティウム・オルガヌム」を超えることができなかった。そしてJ・クリシュナムルティの場合もそうだ。彼の本「最初にして最後の自由」は本当に最初で最後の本だ。p35
5番目・・・・このシリーズの中でも最も不思議な瞬間にやって来た。「大師の御足のもとに」という題名の本がある。著者として書かれている名前は、ジッドウ・クリシュナムルティだ。だがクリシュナムルティは、自分は書いたことを覚えてもいないと言っている。それが書かれたのはもっとずっと以前、クリシュナムルティがまだほんの9歳か10歳だった頃のことだ。その本が出版されたそんな昔のことをどうして彼が覚えていられる? だがそれは偉大な作品だ。
私は、世界に初めて、誰が真の著者かを明らかにしたと思う。アニー・ベサントだ。アニー・ベサントがその本を書いた。クリシュナムルティではない。ではなぜ彼女はそれを自分の著述だと言わなかったのか? その裏には理由がある。彼女は、クリシュナムルティが世界中に導師として知られることを望んだのだ。それはまさに母親の野心だった。ベサントはクリシュナムルティを育て上げた。そしてすべての母親が自分の子どもがかわいいのとまったく同じように、彼女はクリシュナムルティを愛していた。年を取ってからの彼女のたったひとつの欲望は、クリシュナムルティが世界教師に、ジャガット・グルになることだった。もしクリシュナムルティが世界に対して何も言うことを持っていないとしたら、どうやってクリシュナムルティを世界教師として宣言できるだろうか? この「大師の御足のもとに」という本で、ベサントはその要求を満たそうとした。
クリシュナムルティは、あの本の著者ではない。本人が。その本を書いた覚えがないと言っている。彼は誠実な人間だ。きわめて正直だ。だがその本はいまだにクリシュナムルティの名の下に売られている。彼はそれを差し止めるべきだ。自分がその本の著者ではないということを、この本の出版社にはっきりさせるべきだ。もし出版社がそれを出版したいのなら、著者不明として出版すればいい。だがクリシュナムルティはそれをしていない。それが私に、クリシュナムルティはまだ禅の十枚の札、あの十牛図の9番目の絵の中にいると言わせるのだ。彼はそれを否定できない。ただ、自分には思い出せないと言うだけだ。否定するがいい! 自分の著作ではないと言うべきだ。
だがその本はすばらしい。実際、誰でもそれを書いたことを誇りに思うだろう。求道の道を旅し、導師と波長を合わせたいと望む者は、「大師の御足の下に」を学ばなければならない。私は学びなさいと言う。読みなさいとは言わない。なぜならフィクションは、ロブサン・ランパや彼の何十冊もの本のような霊的(スピリチュアル)フィクション、その他の多くの虚構作家の本は読むものだからだ。今ではたくさんある。そこに需要が、市場があるからだ。今では誰もが導師になれる・・・・。
ババ・フリージョン・・・・笑ってしまう。何という品質低下だ! フリージョンでさえ・・・・彼は今では変えた----自分を変えたのではなく、名前を変えただけだが・・・・彼はもう自分をババとはよんでいない。以前は自分をババと呼んでいたものだ。ババ・ムクタナンダの弟子だったからね。インドでは敬愛をこめて、導師はババと呼ばれる。そこで彼は自分をババと呼び始めた。だがその後、それではものまねだと気がついた。それを捨てた。今では自分をダダ・フリージョンと呼んでいる。ダダであろうとババであろうと同じことだ。すべてナンセンスだ。だがこういう人間はそこら中にいる。こういう人たちに気をつけなさい。自分が全面的に明瞭でなければ、こういう連中の網に引っかかる可能性はいくらでもある。p111
5番目、私はもう一度、J・クリシュナムルティにみんなの注意を惹きつけたい。その本の題名は「生と覚醒のコメタンリー」だ。これは何巻もある。それは星々の世界と同じ材料でできている。
「生と覚醒のコンタリー」は彼の日記だ。ときどき彼は自分の日記に何か書く・・・・美しい日没とか、一本の古木とか、あるはただ夕方・・・・ねぐらに帰る小鳥たち・・・・どんなことでも・・・・海に流れこむ河・・・・何でも自分が感じたことを、彼はときどき書き止める。この本はそうして生まれた。これは系統的に書かれたものではない。日記だ。だが、それを読んだけで、別世界に誘われる・・・・美の世界へ、あるいは、それよりはるかにすばらしい壮麗の世界へ。私の涙が見えるね?
しばらくこの本を読んでいないが、この本のことを口にするだけで、私の目には涙が浮かぶ。私はこの本を愛している。これはかつて書かれた中で最も偉大な書物のひとつだ。私は前に、クリシュナムルティの「最初にして最後の自由」(邦題「自我の終焉」)が彼の最高の本で、それを超えたものは書くことができなかったと言ったことがある。むろん本に関してはその通りだ。「コメンタリー」は日記にすぎないからだ。本当の意味での書物ではない。だがそれでも私はこれを中に入れる。p145
<18>につづく